今日は本当に英語の勉強の話だ。
dankogaiさんのブログエントリ「404 blog not found : 訳すな、訳してもらってから読め」の受け売りだが、要するに日本語で読み親しんでいる本の原語版をあえて読み直すというものである。

英語が出来るようになる過程では英語の本をバリバリ読みたい。
あれをやって初めて、英語の勉強も身になって来ているなァと実感が湧く。
そしてこれが、ものすごくハードルが高い。

土屋雅稔氏の「〈具体的・効率的〉英語学習最強プログラム(Amazon)」という本にあったのだが、カンタンな英語の本でも普通にものすごく難しい単語が出てくるのだ。
Mrs. Rachel Lynde lived just where Avonlea main road dipped down into a little holoow, fringed with alders and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of old Cathbert place; it was reputed to be an intricate.

これは『赤毛のアン』の冒頭の一節だが、fringe、repute、intricateという単語は確かに難しい。



土屋さんの本にはO・ヘンリー「賢者の贈り物」にも、ヘレン・ケラー「私の生涯」にも、デール・カーネギー「道は開ける」にも「ハリー・ポッター」にも最初からフルで超難しい英語がバンバン出てくるから、「英検一級の単語は英米人でも使わない超難解語」という俗説は間違っていると述べている。

では、英語の本を読むためにはとりあえず何十万語もの英単語を暗記しなければならないのだろうか。
土屋さんの本にも書いているが(この本結構面白いので、そのうち腰を据えて紹介したい)、それだけではなくて、難しい単語をどんどん読み飛ばす、前後の文脈で判断して適当に意味を推察しながら読む能力も必要だと思う。

夏目漱石の「坊ちゃん」と言えば中学生なら誰でも読む小説だが出だしはこうである(青空文庫より)。
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。

無鉄砲、無闇、小使(この書き方は現代では下手すると差別語? 用務員さんのこと)という言い方は今の中学生は分からないだろう。
青空文庫はすごくルビが振っているが、囃す、云う、貰う、奇麗、翳す、創痕という言葉はもしかすると新潮や岩波の文庫本ではルビが振ってないんじゃなかろうか。
「坊ちゃん」でこれだから「猫」「こころ」「草枕」などはもっともっと難しい言葉が書いてあると思う。

しかしぼくは上に書いた漱石の本は中学で全部読んだ。別に言葉が難しいと思ったことはない。単語や漢字だけではない「日本語なるもの」が分かっていたので、なんとなく意味を推察して面白く読めたのだと思う。

古典でなくても、現代のアニメでもラノベでも難しい言葉はよく出てくる。
映画『ガメラ2 レギオン襲来』では自衛隊員と科学者の会話に「隕石には制動が掛かっている(意志を持った巨大生物の可能性がある)」という言葉が効果的に使われていた。
あれが「ブレーキが掛かっている」だと雰囲気ぶち壊しだが、セイドウって何だろうと思った人も多いと思う。

わざと分からない単語を入れる文章術さえある。
別のところで書いたことだが、倉橋由美子の小説「パルタイ」には「オント」という言葉が何の説明もなく出てくる。
「こういうとき私はオントを感じる」とさらっと書いているのだが、当時のインテリであってもオントという言葉を説明なしに使う人はいなかったと思う。
倉橋由美子は当然日本文学の最高峰であるから、色々な実験が仕込んである。
この「オント」という言葉は(フランス語で「恥」という意味らしいが)、左翼学生の中に違和感を感じながら交わっている「私」の孤立感、読者にさえ言葉が通じない孤独感を、効果的に表現していると思う。
ちなみにこの「オント」の使い方は、クイズダービーの篠沢教授の文章術の本の中でも取り上げられていた。

閑話休題。英語の話に戻るが、「赤毛のアン」であっても難しい単語全開の英語の本を読みこなすには、何かいい方法があるだろうか。

ここでdankogaiさんのブログに書かれている方法は、自分が翻訳書で読んで好きで好きでたまらない本を、原著で読めばいいというものだ。
これはやってみれば分かるが、すごく進む。
英語脳が刺激され、読解力が上がるのが感じられ、楽しい。

dankogaiさんは「デューン 砂の惑星」を読んだそうだが、これはdankogaiさんだから出来ることで、普通は出来ないと思う。
まず、内容が普通に難しい。
矢野徹さんの翻訳でも十分難しいのだ。
そして「スー、スー、スー、スーク!」とか「イークト、エイ!」とか言う砂の惑星アラキス語が英語に混じって出てくる。
巻末にアラキス語の用語集がついているのだ。
これはややこしい。
そしてまったく現実とは違う異世界の話だから読みこなしにくいし、読みこなせたところで現実に応用できるか分からない。
英語の勉強は時間が掛かるので、やってる最中に「こんな苦労してて役に立つのかなァ」という疑問が浮かぶとそれがストレスになって集中力が著しく減退する。
ということで「デューン」はぼくは勧めない。
同様の理由で「指輪物語」はもっと勧めない。

ぼくはアシモフの「黒後家蜘蛛の会」にした。



Amazon.comで買えば7ドル。
日本で文庫本を買うより安い。

この本も初学者の教材としてはちょっとかなり微妙である。
これはインテリが談論風発をしながら謎を解くというもので、内容はほとんどインテリの会話、議論、皮肉である。
日本で言えば「我輩は猫である」のようなものだ。
かなり知性と教養がないと楽しめないんじゃないか。
でも、池央耿氏の名訳でホントに、間違いなく暗記するぐらい読み込んでいるし、短編集なので選んで見た。

これが読める。
本当にスラスラ読めるのである。
いや、ここでスラスラ読んだところで普通の本や雑誌が英語で読めるというわけではないのだが、これは本当に体験してもらいたい。

もっとカジュアルな日常会話を学びたければ、日本のマンガを英訳したものもある。
ぼくは「よつばと!」を英訳したのを愛読している。



これは日常会話を英語でちょっと一言言いたいときに非常に勉強になる。
翻訳者の苦労がいろいろ想像できて楽しい。

それにしてもAmazon.comは安い。
ていうか日本の本屋は洋書をボッタクリ過ぎだ。

ペイパーの本を日本から買うと送料がバカにならないが、Kindle版だと手間なしだ。
これは項を改めて書く。
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