フェイスブックの焼き直し。
松戸市のリサイクル推進ゆるキャラ? のクリンクルちゃんが、公式ツイッターでこういう発言をしていた。




https://twitter.com/matsudo_kurin…/status/771148221787742208

サーマルプリンター用のツルツルした紙がリサイクルに混じると使えないからリサイクルする側は気をつけよう、ということらしい。

この主張はおかしくないだろうか。
そんな、市民から受け取る紙をそのまま溶かしてポイっていう、安直な仕事を、松戸市のゴミ処理場はしているのだろうか。
いや、そんなわけないだろう。
市民がそんなに潔癖に、再生紙の原料になるものだけを入れるとは限らないからだ。
現実にはコート紙も、私製パンレットの表紙のプラバンも入れられているはずだ。
だから、どのみちゴミ処理場では再分別の作業が必要なのだ。

なのに、なぜプロではない市民一人ひとりが慣れないリサイクルに毎夜手間を掛けなければならないのか。
プロのゴミ処理場が科学の粋を集めてガーッと分別した方が早いだろう。
そして、分別する手間が軽ければ軽いほど、市民も協力しやすいのではないだろうか。
機械化自動化が難しければ、単純労働したい人材を募ってもいいだろう。
俺も金もらえるならやってもいいよ。

わからないのがペットボトルである。
キャップとラベルを外してそっちはプラゴミに、残ったボトルは中を洗って軽くつぶしてペットボトルの日に出してくださいなどと言っている。

でも、自動販売機の横のゴミ箱は、そのまま野放図に捨ててもいいのである。
つまりゴミ処理場には、ラベルキャップ分別、瓶洗浄のテクノロジーがすでに備わっているわけだ。
だったらそれを家庭から出るボトルにも適用すれば良い。
いや、すでに適用してるはずだ。
上と重複するが、そんな潔癖にすべての市民が洗ってつぶした瓶だけ出しているはずはないからである。
ではなぜ、無駄な呼びかけをするんだろうか。

なんで「マナーの名のもとであれば、市民に苦労を掛けていい」という認識がまかり通っているんだろうか。
家で明日に向けて英気を養ったり、家族と団欒したり趣味に勤しんだりする時間を削って、ゴミの分別なんかさせられるのはおかしい。
これは労働による納税(庸)、あるいは強制の苦役ではないか。

で、このクリンクルちゃん(警察官!)のいいぶりも「〜なのだ!」、「〜だから気をつけろ!」という、ぼくの嫌いな「決めつける言い方」である。
議論の余地なし、そういう風に決まってるから従え! というものだ。
ゆるキャラに扮して、ふざけ半分なら許されるというものではない。