日本SFの巨星、山田正紀先生(@anaryusisu)が最近ツイッター小説を始めている。
ツイッターの140文字で小説を書くというのはわりと前からあった試みらしい。
ぼくも去年法事で帰郷する飛行機の中で1つ書いてみた。 いかがですか。
飛行機の隣の席の子供があまりにもうるさかったので思いついたものである。

父はSF小説が好きで、書斎には創元推理文庫やハヤカワ文庫がいっぱいあった。
父の年代を考えると、最初期のSFファンに入ると思う。
ぼくは子供のころから勝手にそれらの本を持ち出して読んでいた。
とうぜん長い小説は読みきれないので、短い小説を好んで読んでいた。
短編よりももっと短い掌編、ショートショートと呼ばれるもので、4ページか5ページで終わってしまう。
普通小説でもO・ヘンリーやサキが有名である。
SFではなんと言っても星新一が有名であるが、父の本でもっとも好みだったのはフレドリック・ブラウンの短編集「未来世界から来た男」である。

これが本当に短くて、アッと言う間に終わってしまう。
有名な「おしまい(The End)」という小説などは本当に1ページで終わってしまう。

ブラウンの短編集は星新一氏が訳したものがサンリオSF文庫からも出ていたが、やはり読みなれた創元推理文庫版が面白い。
特に「おしまい」などは何度も朗読していたので、「寿限無」のように暗唱してしまった。
子供はアホである。

ブラウンは長編小説も書いている。
推理小説とSFと両方あるけど、ぼくはSFしか読んでいない。
特に傑作なのが「火星人ゴーホーム」である。



父はブラッドベリも好きだった。
ぼくは最初ブラッドベリの良さが分からなかった。
中学生のころに、萩尾望都さんがマンガ化したのを読んで好きになった。
今ではブラッドベリの方が好きだ。



ブラウンとブラッドベリを比較すると、ブラウンが爆笑のブラックユーモア小説であるのに対し、ブラウンはどちらかというとしっとりした真面目で感動する小説である。
あと、ブラウンはオチが強烈だが、ブラッドベリはオチが弱い。
で、ある程度大人になってくると、オチがない小説の方がオシャレで高級な感じがするのである。

長さが短いと言えば、小説ではなく随筆だが内田百閒も好きだ。



百閒は、もう絶版だが、旺文社文庫で読むに限る。
歴史的かなづかひで書いているからだ。
ぼくはことさらに旧かなを好む懐古趣味はないが、丸谷才一や百閒のような、新かなを問題視し、旧かなを貫く宣言をしている人の本は、旧かなで読むのが筋だと思う。
丸谷才一の本は旧かなで出すが、百閒は本人がもう死んでいるので新かなに改めて出すと言う、福武書店の気が知れない。

さて、百閒は、随筆であるから余計オチがない。
でも、ユーモア精神と嫋々とした余韻がすばらしい。
高校時代は百閒のような文章が書きたいと思って、原稿用紙に随筆を丸のまま書き写していた。
文章を書き写すのは勉強になるからやった方がよい。
(ただし天声人語は勧めない)
このことはそのうち別に書く。

一番好きなのが「凸凹道」という話である。
ぼくは高校のとき一人暮らしをしていて、トンカツ屋で食事しながらこの話を読んだ。
いまでも「凸凹道」を読むと、高校生のときに夕食を食べに行っていた、国道の脇にあったトンカツ屋の情景が浮かんでくる。

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