ついさっきテレビのニュースで見て、思ったことを書く。

The first train in Ishimbaevo

 2017年、愛知県の駅で、線路に入った認知症の男性(当時91歳)が電車で轢かれて亡くなった。上下線20本に2時間の遅れが発生した。
 JR東海は男性の妻(93歳)と長男(65歳)を訴えた。事故によって振替輸送の費用が発生したので、男性を監督する責任があった妻に360万円、長男に360万円、計720万円を支払えというものだ。
 1審の名古屋地裁は両方に責任があるから両方とも支払えという判決を下した。2審の高裁は別居していた長男には責任がないということで妻にだけ支払えという判決をくだした。そして事故が起きて9年後、ついに最高裁で両方の家族に責任がないという判決が下りた。

 なぜJR東海が男性の家族を訴えることになったのか。これは、責任能力がない人が起こした損害は、監督責任があった家族等が責任を負うという民法の規定があるからだという。たとえば小学生が自転車で人をはねた事故で親が責任を負ったという例もある。
 今回の判決は、どっちに転ぶ可能性もあって、辛くも家族側が勝利という形だそうだ。裁判官は民法の規定は家族の状況を総合的に判断すべきとし、長男が別居していた、妻は自分自身要介護の状態であったから責任は負いにくいとして今回の判決となった。つまり、長男が同居していれば、あるいは奥さんが元気で毎日介護していれば、重い責任を負わされたということになる。認知症の老人をがんばって介護すればするほどリスクが大きくなるということになる。もしそうなれば、誰も介護なんかしたくなくなるのではないだろうか。

 そんな馬鹿な法律があるだろうか、と思うが、テレビの「生活笑百科」などを見ていると、そんなこともあるらしいと聞く。

 有名な話では、飛行機の機内で見ず知らずの人が急に病気になった。CAが「お客様の中にお医者様はいらっしゃいますか」と言う。これ、日本の飛行機会社の場合お医者さんは手を挙げないという。というのは、患者が亡くなったら、医者はうっかり善意で申し出てしまったために、賠償責任を負う可能性があるそうだ。アメリカ、カナダは「善きサマリア人の法」というのがあって、医者は責任を負わないでいいらしい。日本もそうした方がいい。

航空機で「お医者様はいませんか?」に応じて治療・・・急病人が死亡したら責任は? - 弁護士ドットコム

 他にも、近所の子供を預かってと言われて見ていて、その子が走り回って転んで怪我をしたら、ちゃんと見ていなかったからと言って「注意義務違反」で賠償責任を負う可能性があるという。

 人の世話を積極的に見る、いい人であればあるほど重い責任を負い、不慮の事故が起きれば賠償金を求められる。こんなことあるんだろうか。法律的にはあるらしい。つまり人の世話なんか見ないほうがトクだということになる。なぜそうなっているのか良く分からない。

 正義がどうかはとともかく、認知症の老人は増え続けている。「もしかして完璧に面倒は見られないかもしれないけど、まあ面倒みようかなあ…」と思っている家族がいるのなら、それは応援した方がいいだろう。ついうっかりうとうとしている間に電車に轢かれてしまった。それだけでも大変なのに、追い打ちを掛けるようにJR東海から裁判を起こされ、9年間戦いが続く。これはおかしい。いい判決が出て良かった。

 そもそも、訴えたJRの良識を疑う。電車が2時間遅れるのがそんなに大変なことですか。地域のおじいさんが電車に轢かれて死んだ。それは沿線のサラリーマンも「そんなこともあるのかなあ…」、「そういうことならしょうがないなあ…」と思うべきだ。会議なんかやり直せばよい。それが安い運賃で高速移動している人と、その高速性、信頼性を当て込んでいる人が負うべきリスクである。今回の事故では駅のホームに鍵がかかってなかったそうだ。ぼくは電車のホームなんてお年寄りがそうそう簡単に抜け出したりできないものだと思っていた。駅長は何百万円賠償金を支払ったのだろうか。
 たまに運転手がぼうっとしていて止まるべき駅を飛ばしたとかいう事故が報道される。地下鉄の運転手が煙草の吸い殻を線路に大量に捨てていて、白煙が起こって電車が止まったという話もあった。あれ、いちいち運転手が何百万円も賠償金を支払うんですか。
 鉄道会社は普段から、人が入れば入れるところに、高速の乗り物を走らせて、小銭を稼いでいる。であれば、住民を事故から守るために最高度の対策を打つべきだ。しかるに、近所の住民は電車様の運行を妨げないように細心の注意を払え、電車を遅らせたら何百万円も払えという。これは通らないと思う。