昨日はSMAPのことを書いたので今日はベッキーのことを書く。
 後者の話題は、多少ぼくも関心がある。インターネット セキュリティとプライヴァシーの問題だからだ。

Bacciarelli Rebecca and Eleazar
 タレントのベッキーさんという若い未婚女性が、「ゲスの極み乙女」というロックバンドの(カッコの中がロックバンドの名前である)リードヴォーカルの川谷絵音さんと交際をした。川谷さんは自分が既婚者であると最初告げていなかったらしいが、告げた後も交際は続いたらしい。
 というのは、ふたりがごく最近まで、SNS「LINE」を使って通信している様子が、生々しいスクリーンショットと共に週刊文春に載ったからだ。ベッキーさんが「謝罪記者会見」をする前日とおぼしき内容もあって「(記者会見では)友人で押し通すつもり」などと言っている。
 週刊文春すげえな。SMAP、ベッキー、甘利大臣と軒並みスクープを飛ばしている。

 不倫是か非か、という問題はぼくは詳しくないから論じない。まあ、面白いからいろいろテレビを見ていた。

 いろいろ見ていて思ったのは「テレビは、SMAPは絶対に叩いてはいけないと思っているんだなー」(なにしろ「解散回避!」とか「5人の絆!」とか言っているので)、「それに対して、ベッキーというのは、いくら叩いてもいいと思っているんだなー」ということである。つまり、テレビはいちおう公器でありながら、商売の都合で、ある人は叩き、ある人は叩かないという基準を、恣意的に定めているということである。これが政治家にも科学者にもあてはまるとすると、そうとう危険なことではないか。

 よくテレビに登場するコンテンツで、ぼくがどうしても正視に耐えないのが「地方議員号泣記者会見」だ。あれはどうしても見られない。あれを見てケラケラ笑っている人の神経がよく分からない。自分も子供の頃よく泣いていじめられたので、ぜんぜん明るく楽しい映像だと思えないのである。議員が歳費をごまかすのは決して許せないが、号泣してるところを茶にして笑いものにする人の精神はよく分からない。

 ということで、テレビを見ても世の中のことはよく分からないんだなー、わからないなりに、特定の人が不必要におとしめられるんだなーというのが、ここ数日いまさらながらあらためて分かったことだ。世の中は「テレビ離れ」が起こっているが、ぼくは習慣的にぼうっとテレビを見てしまう方なので、これからは積極的に見ないようにした方がいいとも思った。

 もうひとつ話題になったのは「人の「LINE」がどうして覗けるのか」、「誰が覗いたのか」、「覗いていいのか」、「週刊誌で報じていいのか」である。
 これは論じる価値のある大問題だが、ことさらに「LINE」!、「ライン」!と、私企業の名前を出して「叩いて」いるのも解せない。

 いろいろテレビやWebを見比べていて分かったのだが、今回のLINE流出は、アカウントとパスワードの組み合わせを知っているとか、当事者が前使っていた端末を何らかの方法で入手したとか、ソーシャルクラッキングが行われたのではないか、ということだ。

 ぼくはLINEは(単にうとくて)使っていないが、TwitterやFacebookは使っている。このとき、Mac(2台)やWindows、iPhoneとiPadで全部同じアカウントを見ている。(いくらなんでも情報中毒過ぎるだろう!>自分)
 同じ記事をiPhoneとWindowsで同時に見ることもある。だから、もしぼくのiPhoneを不法に入手した人がいれば(まあ指紋認証しているが)、同じタイムラインをバッチリ見られる。これはメールであろうが、パソコン通信であろうが、なんなら外出中に録音をチェックできる留守番電話であろうが、同じである。

 これも最近の新聞テレビに顕著な特徴で、ネットは「コワイもの」、「さいきんの若いチャラチャラした人が使っているもの」、「犯罪に使うもの」、そして、「いくら叩いてもいいもの」と思われている。今回のケースで通信会社の責任を問うのはなかなか難しい。その流出した情報をメシノタネにしているテレビが、同じ番組でLINEを叩いているのも変な感じだ。
 まあ、最近は、ネットがないときに比べて連絡が取りやすくなったから、こういうプライヴァシー汚染が起きる機会が増えた、昔に比べて注意する点は増えた、とは、間違いなく言えるだろう。でも、一方で情報発信力が弱かった市民運動の人の役に立ったり、障害がある人の役に立てるのもまたネットの力である。ただ叩き、可能性を封じ込めている報道っぷりは疑問が残る。まあ、商売敵を叩いているのであろうか。