昔、父が定期購読していたオーディオの雑誌があった。名前も忘れた。PHP研究所(プログラミング言語ではない)の出している『PHP』とか、新潮社の出している『波』のような小冊子で、もしかしたらレコード屋に行けばタダでもらえたブックレットのようなものかもしれない。
 それに「すさびの心が分からない日本人」というタイトルの小文が載っていて、小学生のぼくは子供心に感銘をうけた。ということで、本日のブログはその文のマルパクリである。著者の方も、雑誌の題名も月号も分からなくなっている。

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 その文にはアメリカの女性シンガー、リンダ・ロンシュタットがアルバム発売に合わせて来日記者会見したときの模様が書かれていた。その会見である記者が「ロンシュタットさんは今回のアルバムのジャケットでローラースケートを履いていますが、ローラースケートはお得意なんですか」と聞いた。リンダは、なんでそんなことを聞かれるのか当惑した表情で「いいえ、ローラースケートはできないです」と答えて、場内が爆笑の渦に巻き込まれたそうだ。その質問をした記者の記事ではロンシュタットさんがローラースケートを出来ないと“白状”したと書いていた、ということであったと思う。
 で、そのコラムの筆者は、このやり取りはまったくくだらないと思ったと書いている。リンダは脚線美が自慢で、それをアピールするのがファンの心に訴求するので、遊び心でローラースケートのコスチュームを選んでいるに過ぎない。リンダがローラースケートをするかしないか聞くのは何の意味はない。日本人は「すさび」の心を忘れていて、くだらないことにこだわる、という文であった。

 「すさび」というのは遊びとか荒びとかいう言葉の訓読みで、要はちょこちょこっと遊び心で、思いつきで何かをすること(が、芸に深みを与えること)であるとかそういう意味であると思う。たとえばヒッチコックが映画のワンシーンに自分がちょこっと登場するとか、なんかのSF映画の巨大宇宙船のプロップの表面に、別の映画の宇宙人がちょこっと載っているとか、そういうことだろうか。で、それが日本人は忘れている、という。本当だろうか。

 数年前、給食の時間に「初音ミク」の歌を掛けるのが学校で禁止になった、という都市伝説がネットで流行った。理由は「機械音だから」と言う。本当にそんなことで公権力が特定の音楽を放送禁止にできるものだろうか。でもネットで普通に「ミクの歌は『機械音』だから良くない」という言説は、素人の音楽評論家によって普通にされていたのである。
 でも機械による音楽は、普通に昔からあった。ワルター・カーロス(のちに性転換してウェンディ・カーロス)のスイッチト・オン・バッハ、同じくドイツのクラフトワーク、日本ではYMOが有名だ。リズムセクションに限って言えば、ここ30年ぐらいのブラック・ミュージックやJ-POPはリズム・セクションがだいたいウチコミなんじゃないだろうか。だいたいどんな生音であろうが、オペラ歌手のアリアであろうが、録音はデジタルであるから、あらゆるCDは機械音である。どこからが許せない機械音なのか、初音ミクを批判する人は明らかにした方が良い。

 スティーヴ・ハウはギターが下手だとか、ジミー・ペイジはギターが下手だ、という議論がある。あれ意味あるのだろうか。どちらもロックの世界に一時代を築いたスーパースターであり、スタイリストである。ハウについては、リユニオンイエスのアルバムで、彼がうまく弾けないフレーズをトレヴァー・ラビンが弾き直した、というしょうもない話が、日本のオタクの間で広まっている。
 じゃあトレヴァー・ラビンとスティーヴ・ハウと、どちらがイエスの、そしてロックの歴史に名を残したか。比較してもしょうがなくて、どっちも偉大なミュージシャンである。
 ここで言われているうまいというのは、早くピッキングが出来るとか、正確にピッキングできるとかいう文脈であろう。つまり、豆を箸でうまくつかめる人とか、米粒にうまく筆で字が書ける人、という意味で、音楽の価値とはあまり関係がない。そういう技能検定みたいなものは、あまりロックとは関係がないのではないかだろうか。

 じゃあマイルス・デイヴィスのオルガンはうまいんですか、という話になる。ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル、チック・コリア、キース・ジャレットという名うてのキーボーディストと共演した後にマイルスが最終的に選んだキーボーディストは、自分自身だった。マイルスのオルガンは、言ってしまえばぼくでも練習すれば弾けそうな感じがするが、アガルタやパンゲアの、あのジャーッというその場の空気を支配するサウンドは、彼にしか出せない。

 Perfumeの歌は口パクだから、マシーンでオートチューンを掛けているから良くない、と言う人がいる。でも、あれは、わかりきっていることだが、そういう趣旨の中田ヤスタカ氏のパフォーマンスなのである。小学生時代の映像を見ると、3人共(当時はぱふゅ〜む)生歌はすごく上手い。東京でヤスタカ氏に引き合わされて、感情のない歌を唄いなさい、抑揚を殺した歌を唄いなさいと言われて、あ〜ちゃんはまったく意味が分からず困ったそうだ。しかし今、Perfumeのパフォーマンスは世界が認めるアートとして完成している。

 ゴールデンボンバーは楽器を弾いている真似だから良くないという。でもそういうバンドは昔からあった。モンキーズやベイ・シティ・ローラーズがそうで、どちらも音楽史に名を残した偉大なバンドである。(どちらも楽器ができるが、過酷なスケジュールのためアルバムやツアーには影武者も参加した、ということだったららしい?)ただ当時からそういう批判をする人は確かにいた。別に、楽器を弾く真似でゴキゲンなコンサートが出来るのならばそれでいいんじゃないだろうか。

 作家の筒井康隆さんは小学生時代から休み時間に空想の物語を友達に聞かせて人気を博していたそうだが、ある日、彼の人気をねたんだ優等生の少年に「でも、筒井の話は全部ウソじゃないか」と言い出し、それ以来、それまで彼の話に聞き入っていた友人がみな「ウソつき、ウソつき」とはやし始め、筒井氏はそれからクラスでいじめにあったそうだ。

 こういう、ある意味マジメな人による、本質をはずした批判というのが昔からあって、他の国のことは知らないが、少なくとも日本人の一部は、「すさび」の心を忘れてしまっていると思う。