ブログも千回を迎えて思うのは、いまいち何回書いても「定見」というものが見えてこないなーということだ。文字数にしたら本何冊分も書いているのだから、この世界はどういう場所か、ぼくという人間はどういうものの捉え方をしているか、見えてきてしかるべきだと思う。過去記事を読んでいて、1個1個の記事はそれぞれもっともなことを言っていて、中には面白い記事もあるけれども、全体としてそれが分からない。
 今日から1つの試みとして、同じ話題について継続的に記事を書くことにする。いろいろな時事や日常に起こったことを、あるものの見方に当てはめて見ることで、より知見が深まるのではないかという試みだ。とか言ってすぐ挫折するかもしれないが、ひまでしょうがない方はお読みください。

Bus at Night
 さいきんぼくは、今の世の中は専門家が信用出来ないということが、大きな問題としてあるんじゃないかと思えてきた。昔がどうだったかは分からない。

 専門家とはなぜいるのか。これは、各専門家がその専門に集中することで、他の人がその人にその分野を任せることができるからだ。他の人は別のことの専門家になればいい。人は得意なことをするのは苦にならないから、それぞれ得意なことを分担してやるのが効率がいい。大勢の人が一斉に、独立に同じことを研究するのは時間の無駄だ。AさんはXに集中し、BさんはYに集中する。Bさんは、XのことならAさんが得意なことを知っているので、応分の報酬を払ってAさんにXを任せる。これで双方ともWin-Winの関係になるし、社会の効率は最大化して、みんな幸せになる。
 ところが、何らかの状況でAさんがXの専門家を持って任じながら、いまいち信用出来ない状況が、いろいろ起こっている。これではBさんはせっかく支払ったやすからぬ報酬が無駄になるし、安心してYに没頭できない。素人ながらXのことを自前で勉強し、Aさんのやることをいちいちチェックしなければならないのである。そもそもAさんのやることになぜ瑕疵が発生するのか。なぜBさんがYに集中できないのだろうか。それを考えていきたい。

 年始早々から痛ましい事故があった。大学生が載ったスキーツアーのバスがコースを離れ、道路脇に転落した。乗っていた41人中乗務員2人を含む15人の方が亡くなり、残り全員が重傷を追った。被害者の方のご冥福をお祈りします。

軽井沢スキーバス転落事故 - Wikipedia

 このバスはいわゆる「激安バス」だった。バスを運行している会社は国が定める基準金額、約27万円)を下回る約19万円でバスツアーを引き受けていたと言う。運転手の方が高齢だったとか、大型バスは運転経験がないのに任されていたとか、健康診断を受けていなかったとか、健康状態をチェックする点呼がなかったとか、書かれている。事故の原因は書いている時点で判明していないが、過酷な労働条件であった蓋然性が高い。

 事故の報道は、このようなバス会社がいかに過酷な競争を課されているか、乗務員はいかに人手不足で過酷か、ということを訴えていた。
 まずこの時点で不思議に思える。人出が不足しているのであれば価格は高くなり、優秀な人材が集まるのではないだろうか。なのに「激安」ツアーが企画されて、経験の少ない運転手さんが酷使されるという実情はおかしく感じる。ただしく状況を賃金や価格に反映させるシステムが働いていなかった。

 事故を評した発言で「ツアー会社、バス会社の責任は免れ得ないが、どんどん顧客が値段を下げる圧力を増していけば、企業側はどんどんコスト削減をすることになる(から客側にも責任がある)」というものがあったが、ぼくはこれが良く分からない。
 まず、ものの値段はなんで決まるかというと、市場が決める。で、値付けをするのはサプライヤー側で、プロである。複数のプロがせめぎあって、この値段ならウチでも行けます、この値段ならウチでも大丈夫です、という判断を行って、値段を決めていく。
 そもそもツアーバスの適正価格とはなんだろうか。ぼくは浅学にしてよく分からない。運転という作業の賃金、諸経費を積算した結果、労働市場の相場と言った、複雑な諸事情の関数であって、けっきょくシロートたる客には分からないのである。ただ旅行会社でパンフレットを提示されて「これなら小遣いで間に合うから頼もう」と思うだけだ。
 客が安い値段を求めるからサプライヤーが安い値段をつけざるを得ないという。そんなことあり得るんだろうか。何も客が「この値段より安くしないと乗ってやらないぞ」と脅したわけではあるまい。もしそんなことがあれば、「アーそれは無理です」、「他をあたってくださいー」と、あっさり取引をやめればいいだけの話である。事故を起こしたらおしまいだ。この値段を切ったら危険が大きい。その判断はプロたるサプライヤーがする責任がある。

 こういう痛ましいことがあると「会社も会社だけど客も客だ」という「大人の意見」が出るが、まったく承服が出来ない。客はシロートで店はプロだ。客はプロのサービスの内実についてまったく知らないし、知る必要もない。マジックショーの客は手品のタネを知る必要がない。レストランの客はシェフの秘密の味付けをしる必要はないのである。旅行会社に行って「xxまでのツアーであればこれぐらいの値段ですよ」と言われて「アーそうですか」と言う。ここで無茶苦茶なな値引きがあれば、素直に「そんな値段では安全が確保できませんし、法律が定める最低の料金を関係会社に支払えませんのでお引き取りください」と、プロの立場で言えばいいだけのことだ。
 客は店のプロフェッショナリズムを信用し、身を任せる。そうであってこその休日の楽しいひとときである。身の安全をはかるために、チェック体制を固める必要はない。

 しかし、痛ましい事故が起こってしまった。原因の一端は、どうもサプライヤー側の度を超えたコスト削減にあり、その背後には、過剰な会社間の競争があるらしい。そうなると、サプライヤーにはコスト削減のリスクを見積もる必要な能力がなかった、ということになるし、客側も「こんな値段で大丈夫なのか」、「このドライバーさん本当に大丈夫なのか」と、常に監視の目を光らせていなければならなくなり、おちおち休日も楽しめないことになる。どんどん世の中のクォリティが下がっていき、人心は荒んでいく。
 そうならないように、必要な監視、チェック体制を作らなければならない。それはプロ側、行政側の問題ではないか。

 このバス事故が、専門家が信用出来ない事例の一つだ。バスぐらい気楽に乗りたいと思うし、安い値段を提示されたら素直にうれしいと思いたい。そして「それだけではだめで、客も応分の値段を払わなければならない」という主張は、どうも承服しかねるのである。真犯人はそこにはいないと思う。