またインターネットで見かけた投稿を見てブログを書く。

Exam
たまにあるのが、学校の先生がいかにひどいテストの採点をしているか、その子の親が写真付きでツイッターに載せるパターンだ。
本当にひどいのが多い。

まず、業者テストらしいのだが、問題に「㋐、㋑、㋒のいずれかから答えなさい」と書いてあって、生徒が「ア、イ、ウ」と答えると、ぜんぶ「○がついてないから」△で1点マイナスというやつがあった。

理科のテストである。

これは絶対におかしい。
理科の実力と、カタカナにマルを付けるかとは関係ない。
そう思って、ツイッターで怒りまくった引用ツイートをしたら、見ず知らずの人から反論のツイートが来た。

いわく、社会に出たら書類の書き方やなんかで正確に書かないといけないから、そういう大事なことは教えないといけないのではないか、と言う。
へぇー。

でも、理科のテストである。
そういうのはマナーの授業かなんかでやればいいんじゃないですか。
そう再反論してみた。

「大事なことはいつ教えてもいい」から、理科のテストで教えてもいいという。
まあそういう考えならそれはしょうがない。

ぼくは違う考えである。
たとえばこの問題が6問あって、正解が㋐、㋑、㋐、㋑、㋐、㋒だったとする。
各5点。

A君はうっかりやさんだが理科の勉強はちゃんとやっていてア、イ、ア、イ、ア、ウと書いた。
ぜんぶ△で、24点だ。

一方B君は、理科はイマイチだが、答は○で囲むかどうかとか、そんなトリヴィアルなことばっかり血道を上げている子だったとする。
㋐、㋑、㋐、㋑、㋐、㋐と書いた。
○5つ、×1つで、25点になる。
この場合B君がA君よりも、理科のテストで上位になってしまうのだ。
おかしくないか。
理科のテストとは、理科の実力を計るためのものであろう。

そもそもこれは業者テストの問題の出し方が悪いのである。
答を○で囲む生徒と囲まない生徒が出来るような、マル付き記号を回答の選択肢にするのが悪い。
子供が長じて「社会に出て」も、マルを付けるかどうかで無効になるとか、そういう書類はどんな因業な役人も書かさないのではないか。
(さいきんは役人の人も融通が聞いて「これはこういう意味でいいですか」と書式の不備をどんどん添削して通してくれることが多い)
テストを作った業者も、まさか教師がこんなことで点数に差をつけるとは思っていなかったのではないか。

これ、ハネやハライで漢字のテストをバツにする教師と一緒で、いかにしょうもないところで差をつけるか、テストで点を引けるかばっかり教師が考えているようで胸糞が悪い。
でも漢字の字系は多様性が認められたらしいよ。

漢字の手書き、多様な字形OK…文化審が指針案 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)



もう一つ、正確には忘れてしまったが、「10円のお菓子を7つと、20円のお菓子を1つ買った。いくらか」という問題があった。
例によって「式と答が両方合って正答とする」というもの。

これで、ある子が「10×7+20=90」と書いて、バツになった。
えええ!?
どう考えても合っている。

これも回答の写真がアップされていたのだが、掛け算の記号に「なにこれ?」と教師の指導が入っていた。

これ、正解は「10+10+10+10+10+10+10+20=90」と書かないといけないらしい。
(さいきん老眼が進行して10の回数にイマイチ自信が持てないが)
なぜかというと、そのテストの時点では掛け算を教えていなかったからだって!

そんなわけあるか。
教師が教えようがおしえまいが、掛け算というものは世の中に、ある。
ちょっと好奇心の強い子供であれば先回りして、図書館やなんかで覚えてしまうだろう。
学校に図書館があるのはそういう子供の好奇心にこたえ、育てるためじゃないの。
計算の場合、お店が商売をやっていて、電卓の押し方を親が教えているかもしれないのである。
だいたい、10円のお菓子が7個、という金額を出すために、10を7回足す、そんな不自然極まりない計算をなぜ教える必要があるだろうか。
「10円のお菓子が7個」という問題が出た時点で「掛け算を知らないから分かりません」というほうがまだ正しいのではないだろうか。

よしんば、「掛け算はダメ」というゲームみたいなローカルルールがあったとしよう。
赤ペンで「なにこれ?」というのはいくらなんでも子供に失礼ではないだろうか。
子供はトラウマになるよ。
言葉の暴力である。
ああ、余計な勉強をしたら怒られるんだなあ。
先生のいうこと以外は一言でも覚えたらテストでなじられるんだなあ。
そう思って、数学のことが、勉強のことが、社会、学校のことがきらいになるだろう。
これは何の教育か?
反・教育いがいのなにものでもないのではないだろうか。

でも、こういう教師は以外に多いらしい。
これは写真がないが(発言だから写真に写らないが)、子供に「習ってないところは教科書を読まないように」という教師もいたという。
本当なら予習の否定である。
何らかの合理的な指針や、文科省からのお達しがあるのだろうか。
習ってないところを子供の判断で先回りして勉強する子供に教室をかき回されて生徒が勉強不能になった実例が?
でも出来る子供が割りを食うなんて変な話だ。
勉強しないで、教師の顔色だけ伺うのが勉強の本質になる。
そんなんじゃ社会を引っ張る優秀な生徒は育たないよ。
横並びで、はみださず、キレイで小粒な社会の歯車を作るのが教育の目的なんだろうか。
とりあえず、学校の先生のテストのつけかたは間違っていることもあるから気をつけろ、変なことを書かれてもくさるな、と、子供には教えたい。