ここ5年ぐらいのことだが、日本人のここがすごい! 日本人はこういう風に外国の人に褒められている! というテレビの番組が多い。

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昔はぼくもよく見ていた。
褒められると気持ちがいい。
それは誰だって同じである。
しかし、それにしても、長い間、延々似たような番組が多くて、辟易としてきた。

所ジョージさんもこういう番組の司会をしている。
あの人、こんな番組の趣旨とはもっとも遠い感性の人かと思っていた。
髪を金色に染めて、アメ車に乗って、ガレージに住んで、色んな物にペンキを塗って遊んでいる。
そういうアメリカンな感性にどっぷり浸かって生きていたい、できればここが日本であることなんか忘れてしまいたいと思って生きている、そういう人だと思っていた。
そういう人だと今も思っている。
でも、その人が「日本人のここがすごい」という番組をやっている。
まあ誰でも生きるために必死だけど、悲しいことだ。

こういう番組が近年増えたのは、別にネトウヨさんが跋扈しているからでも、アベさんがテレビ局に指図しているわけでもなく、単純に視聴率が取れるからだそうだ。
2011年、震災の年に、日本人ぜんいんがションボリしていたので、そういう番組を流した。
それが、ことのほか数字が良かった。
それで、そういう番組がどんどん増えていったそうだ。

テレビというのは、向こうが見せたいものではなく、こっちが(我々の隣人の多数派が)見たいものを見せてくるという機能がある。
つまり、映像のイメージをプロデュースしてるのはお客様だ。
映像Xを見せるとチャンネルを変えられてしまう。
映像Yを見せるとチャンネルは変えられない。
そういう数字を見ると、映像Xを減らし、映像Yを増やすように、メカニカルに動作する。
一種の集合知だ。
(集合愚というか)

聞いた話では、子供、動物、食べ物を食べるところが数字を持っていると言う。
そういえば、美容外科のCMなどで意味もなく猫ちゃんが出てくる。
トーク番組の途中で突然カレーを食べ始めたりする。
子供が株を買ったりする。
あれはそういう意味があったのか。

話を戻すが、それで、日本人は日本人が褒められるのが好きだ、当初の予想を超えて異常に好きだということが分かったので、どんどんそういう番組が増えたという。
外国人タレントの中には「日本人を褒める係」として頼まれる人もいるらしく、そうでなくても「この件に関して日本人をほめてもらえませんか」と依頼が来るという。
そういえばいろいろ思い当たる。

情けなくないか。
褒めてもらえるいいところがあるから褒めてもらえるのではなく、褒めて欲しいと思っているから褒めてくれているわけである。
しかも「この件でこういう褒め方をしてください」と日本のテレビ局に頼まれて褒めている。
これは幇間よりももっとひどい。
幇間は旦那衆が褒めて欲しいことを敏感に感じ取って、言葉の芸でクリエイティブに褒めてくる。
しかしこの場合、旦那衆があらかじめ、このタイミングでこう言っとくれとリクエストを出しているわけである。
幇間オンデマンドだ。

で、その褒めるポイントがなんかいじましい。
ワールドカップ・サッカーをブラジルに見に行った日本人が、試合で負けても客席のゴミを拾って帰ってエライというのがニュースになった。
そんな褒め方されてうれしいですか。
俺はうれしくない。
試合に勝って褒められたい。
試合に負けたんだから、椅子を蹴り壊して大騒ぎするぐらいでもいいと思う。
ゴミなんか拾ってるから勝てないんだよ。
まあそれはちょっと言い過ぎで、ゴミを拾った人は偉いと思うけど、「客がゴミを拾って礼儀正しくて外国の人に褒められた」ことがワールドカップのテレビ番組でクローズアップされるのは、ちょっと情けない。

そういえば日本人は大震災のときも暴動を起こさないで偉いとか、ちゃんと給水所に並んでいて偉いという話もあった。
確かに偉いよ。

でも日本人って、礼節をわきまえているからこういうとき暴動も起こさずにちゃんと並んでいるのだろうか。
ちょっと怪しいと思う。
というのは、先日東京駅で、開駅100周年スイカというのが発売された。
徹夜で並ぶなと再三注意があったのに、佃煮にするほど人が並んだ。
そして朝イチで人がさらに並んで、明らかにスイカの数を上回る人が並び、横入り、割り込みが多発して、最終的にプチ暴動が起こったそうだ。
これ、礼節をわきまえた人がすることか?

こういう風なことを書くと、「転売目的の中国人が並んだ」と最近は言われる。
まあ確かに相当の数はそうだったかもしれない。
でも相当の数は日本人である。
あと、成人式で白い着物を来て暴れているのも日本人であろう。
成人式に、わざわざ、揃いの着物を着て、時間通りに市の公民館に集合して、しかるのちに暴れるなんて、世界的に見ても相当めずらしいのではないか。
この件について外国人の意見を聞いてみたい。

日本人は礼儀正しいのは確かだろう。
でもそれ、心底礼儀正しくて、礼儀正しくあろうと厳しく自らを律しているから礼儀正しいのだろうか。
それとも、ムラ社会の相互監視が行き届いていて、同調圧力が強くて行動が揃うので、チャンスがあれば暴動ぐらい起こそうと心の底ではフツフツと思っているのを、むりやり押さえつけて礼儀正しくしているのだろうか。
まあそれは、人によって違うだろう。

いずれにしても「礼儀正しく、ちゃんと並び、ゴミを拾うのが日本人の誇るべき特質」かどうかは、議論の余地があると思う。
ぼくは、ウォーキングするときに、空き缶が落ちていたら拾うようにしている。
ゴミを拾う動作は腹筋も鍛えられていいと、ジェリー・M・ワインバーグがなんかの本で言っていたからやり始めた。
1日2本は、落ちている空き缶を写真にとって、ツイッターにあげるようにしている。

やってみたらわかるけど、これが、拾っても、ひろってもなくならない。
空き缶が落ちている写真なんて、一日何枚もみんな見たくないだろうから、ツイッターに上げるのは2本に限定しているが、実際はもっと拾っているのである。
はじめたのはここ3年ぐらいのことだが、千本以上は拾っていると思う。

ということで、近所をウォーキングしていると、100mも歩くと空き缶が見つかって、同じ日本人として恥ずかしいし、家に帰ってテレビをつけると、そんな日本人が外国人に褒められているという番組をやっていて、違和感を感じる。