町を歩いていて、自分の思い通りにならない人に遭遇し、カリカリして、声を荒げて、不満や敵意を表明する、こういう人を見かける。
振り返れば、自分も、わりとそういう怒りっぽいタイプである。

Rage face
たとえば、駅前の書店で、店員に「xxって本ありますか」と聞いたとする。
すると店員があさっての方向を向いたまま、「そこを探してないんだったら、ありませんよ」としれっと言う。
こういうことがたまにある。

むちゃくちゃ腹が立つ。

店員はプロで、お客様はアマチュアである。
プロは何らかの論理に従って本を棚に並べているはずである。
客はまったくその論理が分からない。
一冊の本を買うために、店員が隅から隅まで棚を探せというのだろうか。

ということで、脳みそが沸騰し、店員に文句を言う。
「探せっていうのかい」
「こっちは探したくないから聞いてるんだよ」
「客が欲しいものの場所ぐらいすぐ分からないのかい」

でもこんなことを発作的に言っても、実を結ぶ可能性はあまりない。
店員はしぶしぶ書名を聞き直して、一応探してみるが、やはりない。
こういう場合、店員は、客が聞いた本がもともとないことをなんとなく知っていたのだ。
もともと書店の店員であれば、いま問い合わせがあるような売れ筋のタイトルぐらい覚えている。
というか、小さな店であれば、どこに何があるかぐらい、基本的に覚えているのである。
聞き馴染みのない書名を聞いて、自分の店にないことぐらい、パッと分かる。

そもそもこの店員は、接客をウリにしようとも、ぼくのような客を大事にしようとも、最初から思っていない。
面倒な客のケアを親切におこなって、しょうしょう売り上げを伸ばそうという気持ちが、もともとないのである。
もっというと、面倒な問い合わせをして、自分の美しい自由な時間を邪魔するような客には、来てほしくないと思っている。
だから手痛い一発を食らわせて、もう来ないように客を教育しているのだ。

まあそこまで思っているかどうか知らないが、とにかくこういう店員に対して、真面目に腹を立てても時間の無駄である。
最初から利害が噛み合っていないのだ。
「あ、そうですか」と言ってその場を去り、二度とそんな店を使わないのが正しい。

腹が立ったからと言って、カリカリして、喧嘩腰で何かを言い返す人というのは、そんな喧嘩腰の物言いであっても、相手が聞く耳を持っていると思っている。
そんな言葉を相手が真剣に聞いて、反省し、次回からはもっといい扱いをしてくれると思っているのである。
超・性善説だ。

声を荒げたくなるような人は、もともと思いやりに欠けているか、自分のことを大切に思っていない人である。
そんな人に向かって、本音をむき出しにして、実り多い議論を求めたところで、無駄だ。
変な人もいるんだなあと思って、なるべく関わりを避ける方向に持っていけば良い。

まあ、わかっちゃいるけどやめられないの類である。
発作的に声を荒げてしまうことは、やはりある。
ただ「この人に大声を出すことに意味はあるのか」という自分に対する問いかけを、持つと持たないとでは、感情のコストが大きく変わってくる。