先週、以下のような新聞投稿を引用したツイートがバズっていた。
「妊娠中の人がスーパーで優先駐車場に車を停めた。すると高齢者の男性が『そこは身障者用だから社会のルールを守れ』と怒鳴り、私は妊娠中だと伝えたがエレベーターの中まで付いてきて文句を言われたので110番した。駐車場は妊娠中の人、けが人、内部障害者の方も対象だということだ」
この新聞投稿を受けて、引用した人いわく、「老害を何とかしないと少子化は止まらない」という。
この「老害」という言葉は、「確信犯」と一緒で、最近意味の変わってきた言葉である。
もともとは、会社の社長や会長がいつまでも居座っていて、昔の成功体験や、人権がなかったころの考え方を振り回したり、いつまでも新しい考えを持った人に席を譲らない、という意味である。
代表的には、元総理大臣の森喜朗さんとか、ああいう人のことを言う。
つまり、単に年老いているだけではなく、ある組織の中で権力を持っている人が、歳を取っても退かないために、若い人に実際に迷惑を掛けていることを言う。
この言葉は堀江貴文さんが国会議員選挙に立ったとき、しきりに自分が倒すものは「老害」であると言っていたので有名になった。
この時の堀江さんは、本来の意味でこの言葉を使っていた。
彼は、同じ選挙区の亀井静香さんのような政治家のことを指してそう言っていたのだ。
しかし堀江さんは選挙には負けた。
ぼくは彼が負けた一因は「老害」という言葉を多用したからだと思う。
それを聞いている人はみな「若者vs.老人」の対立軸で捉え、権力者でもなんでもない年配者が、批判票を投じたのではないか。
先日坂本龍一が復活YMOのライブで、「千のナイフ」という曲を弾きながら、「NO NUKE(反核)」、「NO WAR(反戦)」という旗を振り回すアジテーションをしたら、YouTubeのコメント欄に、反・反核、反・反戦の人が?「老害」と書いていてビックリした。
坂本龍一は「老害」であろうか。
仮に「反核」、「反戦」という旗を振ることが害悪であるとしても(ぼくはそうは思わないが)、彼がそう主張することは、歳を取って耄碌したからでもないし、彼がそのようなメッセージを発信することが、若い人のアイディアを阻害することにもならない。
アーティストはひとりひとり個人事業主であり、組織の長でも指導者でもない。
坂本龍一が居座ることで、中田ヤスタカさんのような若いミュージシャンの台頭が阻害されるということも別になさそうだ。
ふつうミュージシャンに老害はいないと思う。
要するに、最近の若い人の用語法では、「自分より歳を取っている人が、自分に気に食わない行動をしていたら、それは老害」となるのであろう。
でもそれって「老」を付ける必要あるか?
くだんのスーパーで怒鳴っていた人は、高齢者だからそうしたのであろうか。
年齢関係ないと思う。
スーパーの駐車場で、赤の他人に因縁をつけ、エレベーターの中まで追ってきて、結果的に警察の介入を招くような人は、明らかに変な人だ。
変な人は老人に多いのだろうか。
でもテレビでは、若者の異常犯罪がどうした、やっぱりアニメやゲームの影響かとか言っている。
どちらも言いがかりだと思う。
若い人でも、年取った人でも、変な人は一定の確率で存在する。
その、ごく一部の人の存在をもって、世代全体が「傾向的に」断罪される必要はない。
若い人でも老人でもいいやつはいるよ。
ぼくは先日地下鉄のエスカレーターで右側が空いているので立っていたら、後ろから駆け上がってきた新人サラリーマンと思しき20代の男性に「エスカレーターのマナーを守って下さい! 右側は歩いて下さい!」と怒鳴られた。
ぼくもむかし彼のように怒鳴っていたような気がする。
でも、そのマナーはもう古いのである。
今はエスカレーターは歩行禁止になっている。
ぼくはれっきとした中年男性であり、彼の方が若い。
たぶん彼は元気があり余っていて、黙って立っていればひとりでに上がっていくエスカレーターの遅さが我慢できずに走っていたのだろう。
また、若くて寝付きがいいからギリギリまで布団を出られず、しかも会社に行けば一番若造で、遅刻をしたらメチャクチャ怒られるから、一刻も早く上の階に付きたくてエスカレーターの右側を走っていたのかもしれない。
ぼくはといえば、エスカレーターを走る人が大嫌いだ。
カバンでどつかれたことがあるからである。
だからと言って左側で並ぶ気にもなれず(たいてい走りたい人は少数派で、左側はすごく並んでいる)、右側にしれっと立っていた。
ぼくは自分を叱りつけた若者に「最近はエスカレーターで歩いちゃいけないらしいですよ」と言ってみた。
すると彼は「だって・・・」と言ってぼくをにらみつけた。
そんなことを言っている間にエスカレーターは上に着いた。
待ってりゃそのうち着くんだよ。
彼はエスカレーターを降りて、ものすごい勢いで駅の中を駆けて行った。
会社に間に合えばいいね。
でも、駅の中を走るのもマナー違反だと思う。
この場合、駅の人が決めた新しいルールに従えば、彼は悪者である。
若さゆえの悪さであるから、「若害」か?
(読み方はジャクガイか、ニャクガイか)
でも、ぼくは「若害はルールを守らないから、社会の秩序を守るためになんとかしよう」などとは思わない。
彼のような若者ががんばってくれないと世の中は闇だと思うからである。
それに、つい最近までは、エスカレーターの右側空けの方が正しいルールだった。
つまり、もし以前のルールが適用されていたら、ぼくの方が「老害」だったわけだ。
そんなの紙一重である。
だいたい、人間をグループに分けて、このようなグループの人は○○しがちである、したがって迷惑だ(排除しないと困る)という論理は、差別である。
本当の問題は、くだんの投書を取り上げた新聞のように、世代間の対立を煽ろうとしている人がいることだ。
「老害」とか「若者の○○離れ」のように、ことさらに人間をグループに分け、対立させようとする。
ちょっと前までは片山さつきさんのような人が扇動した生活保護叩きというのがあった。
こうやって庶民同士を分断し、怒りの矛先を隣人に向けているのは、それこそ権力者の思う壺であろう。
駐車場の問題にせよ、エスカレーターの問題にせよ、システム上の問題だと思う。
バカでも分かりやすいようにきちんとルールが表示してあればいいのである。
弱者同士いがみあって、対立しているのは、不幸な関係である。
この新聞投稿を受けて、引用した人いわく、「老害を何とかしないと少子化は止まらない」という。
この「老害」という言葉は、「確信犯」と一緒で、最近意味の変わってきた言葉である。
もともとは、会社の社長や会長がいつまでも居座っていて、昔の成功体験や、人権がなかったころの考え方を振り回したり、いつまでも新しい考えを持った人に席を譲らない、という意味である。
代表的には、元総理大臣の森喜朗さんとか、ああいう人のことを言う。
つまり、単に年老いているだけではなく、ある組織の中で権力を持っている人が、歳を取っても退かないために、若い人に実際に迷惑を掛けていることを言う。
この言葉は堀江貴文さんが国会議員選挙に立ったとき、しきりに自分が倒すものは「老害」であると言っていたので有名になった。
この時の堀江さんは、本来の意味でこの言葉を使っていた。
彼は、同じ選挙区の亀井静香さんのような政治家のことを指してそう言っていたのだ。
しかし堀江さんは選挙には負けた。
ぼくは彼が負けた一因は「老害」という言葉を多用したからだと思う。
それを聞いている人はみな「若者vs.老人」の対立軸で捉え、権力者でもなんでもない年配者が、批判票を投じたのではないか。
先日坂本龍一が復活YMOのライブで、「千のナイフ」という曲を弾きながら、「NO NUKE(反核)」、「NO WAR(反戦)」という旗を振り回すアジテーションをしたら、YouTubeのコメント欄に、反・反核、反・反戦の人が?「老害」と書いていてビックリした。
坂本龍一は「老害」であろうか。
仮に「反核」、「反戦」という旗を振ることが害悪であるとしても(ぼくはそうは思わないが)、彼がそう主張することは、歳を取って耄碌したからでもないし、彼がそのようなメッセージを発信することが、若い人のアイディアを阻害することにもならない。
アーティストはひとりひとり個人事業主であり、組織の長でも指導者でもない。
坂本龍一が居座ることで、中田ヤスタカさんのような若いミュージシャンの台頭が阻害されるということも別になさそうだ。
ふつうミュージシャンに老害はいないと思う。
要するに、最近の若い人の用語法では、「自分より歳を取っている人が、自分に気に食わない行動をしていたら、それは老害」となるのであろう。
でもそれって「老」を付ける必要あるか?
くだんのスーパーで怒鳴っていた人は、高齢者だからそうしたのであろうか。
年齢関係ないと思う。
スーパーの駐車場で、赤の他人に因縁をつけ、エレベーターの中まで追ってきて、結果的に警察の介入を招くような人は、明らかに変な人だ。
変な人は老人に多いのだろうか。
でもテレビでは、若者の異常犯罪がどうした、やっぱりアニメやゲームの影響かとか言っている。
どちらも言いがかりだと思う。
若い人でも、年取った人でも、変な人は一定の確率で存在する。
その、ごく一部の人の存在をもって、世代全体が「傾向的に」断罪される必要はない。
若い人でも老人でもいいやつはいるよ。
ぼくは先日地下鉄のエスカレーターで右側が空いているので立っていたら、後ろから駆け上がってきた新人サラリーマンと思しき20代の男性に「エスカレーターのマナーを守って下さい! 右側は歩いて下さい!」と怒鳴られた。
ぼくもむかし彼のように怒鳴っていたような気がする。
でも、そのマナーはもう古いのである。
今はエスカレーターは歩行禁止になっている。
ぼくはれっきとした中年男性であり、彼の方が若い。
たぶん彼は元気があり余っていて、黙って立っていればひとりでに上がっていくエスカレーターの遅さが我慢できずに走っていたのだろう。
また、若くて寝付きがいいからギリギリまで布団を出られず、しかも会社に行けば一番若造で、遅刻をしたらメチャクチャ怒られるから、一刻も早く上の階に付きたくてエスカレーターの右側を走っていたのかもしれない。
ぼくはといえば、エスカレーターを走る人が大嫌いだ。
カバンでどつかれたことがあるからである。
だからと言って左側で並ぶ気にもなれず(たいてい走りたい人は少数派で、左側はすごく並んでいる)、右側にしれっと立っていた。
ぼくは自分を叱りつけた若者に「最近はエスカレーターで歩いちゃいけないらしいですよ」と言ってみた。
すると彼は「だって・・・」と言ってぼくをにらみつけた。
そんなことを言っている間にエスカレーターは上に着いた。
待ってりゃそのうち着くんだよ。
彼はエスカレーターを降りて、ものすごい勢いで駅の中を駆けて行った。
会社に間に合えばいいね。
でも、駅の中を走るのもマナー違反だと思う。
この場合、駅の人が決めた新しいルールに従えば、彼は悪者である。
若さゆえの悪さであるから、「若害」か?
(読み方はジャクガイか、ニャクガイか)
でも、ぼくは「若害はルールを守らないから、社会の秩序を守るためになんとかしよう」などとは思わない。
彼のような若者ががんばってくれないと世の中は闇だと思うからである。
それに、つい最近までは、エスカレーターの右側空けの方が正しいルールだった。
つまり、もし以前のルールが適用されていたら、ぼくの方が「老害」だったわけだ。
そんなの紙一重である。
だいたい、人間をグループに分けて、このようなグループの人は○○しがちである、したがって迷惑だ(排除しないと困る)という論理は、差別である。
本当の問題は、くだんの投書を取り上げた新聞のように、世代間の対立を煽ろうとしている人がいることだ。
「老害」とか「若者の○○離れ」のように、ことさらに人間をグループに分け、対立させようとする。
ちょっと前までは片山さつきさんのような人が扇動した生活保護叩きというのがあった。
こうやって庶民同士を分断し、怒りの矛先を隣人に向けているのは、それこそ権力者の思う壺であろう。
駐車場の問題にせよ、エスカレーターの問題にせよ、システム上の問題だと思う。
バカでも分かりやすいようにきちんとルールが表示してあればいいのである。
弱者同士いがみあって、対立しているのは、不幸な関係である。