ある日、外出しようとすると、廊下を掃除してくださっていた大家さんから声を掛けられた。
川崎市の商品券があるんだけど、1冊要りませんか、というのだ。

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これは、正式には川崎プレミアム商品券といい、1冊1万円で千円券が12枚入っている。
1万円出して買うと1万2千円の買い物が出来るというわけで、大人気で、一人5冊までの購入制限つきで、さらに抽選だったそうだ。
大家さんはそれを応募したが、親子で10冊ぶんも当たってしまって、使い切れないから、要るなら1冊か2冊譲りますよ、ということだった。
面白いので、1万円払って、1冊もらった。

1枚千円の商品券で、9月から12月までの3ヶ月の間に使いきらなければならない。
あと、お釣りが出ない。
あと、扱っている店と扱っていない店がある。
使い道を考える。

ぼくは本やCDやパソコンの部品はもっぱらネット通販である。
これが欲しい、と思うのがたいてい夜中なので、そのときポチ、とボタンを押してしまう。

けっきょくスーパーに食料品を買い物に行く時に使うことにした。

それにしても、そんなに使わない。
ぼくは食料品の買い置きということができないのだ。
冷蔵庫も小さいし、たいした自炊もしない。
あと、プチ摂食障害であって、食べ物が余っていると、夜中に起きだして無意識にぜんぶ食べてしまう。
ということで、毎日東急ストアにその日食べる分の野菜と肉を買いに行く。
日に千円行くか、いかないかぐらいである。

これに商品券を使ってみる。
千円を越えたら小銭を足して買う。
越えない時は洗剤やトイレットペーパー、ゴミ袋などの絶対に使う生活必需品をちょっと買う。
これでなんとか減らしていって、使ってしまった。
2千円ぶんも得をしたので、大変助かった。

ところが、ぼくのような、こういう使い方は、商品券を発行した側からすると不本意であると言う。
本来この商品券は、地元の、古い、小さなお店を「活性化」させるためのものであって、外部資本の大型店で使って欲しくないそうだ。

よく考えたら買い物1万円につき2千円というのは大変大きなお金である。
この巨額なお金は、国から、つまり日本国の国庫から補助金として出ているそうだ。
ぼくはこういうの疎くて、まったく知らなかった。
各地で不景気や消費の伸び悩みがあって、「呼び水」として発行されたものだという。
ニュースを検索すると「大規模店舗で使う人がいる!」、「地元の店舗で使わない人がいる!」と書かれている。
ぼくのことだ!
どうもスミマセン。

使う側で言い訳させてもらうと、地元の古い小さな店では、なかなかこの券は使わないと思った。

まず、どの店で使えてどの店で使えないのか不明である。
上のニュースを見てから興味を持って、しげしげと店舗の表口を見てみるのだが、確かに使える店であっても、「この店でプレミアム商品券使えます!」とデカデカと書いていることが少ない。
これはまったくの偏見だろうが、小さな店では怖いおじさんやおばさんが店番をしていて、変な商品券などを出すと「なにそれ?」と聞かれたりされそうな気がする。


以前から地元の文房具屋や書店で、凝った注文をしたりカード払いにしようとしたり、レシートをもらおうとしたりすると、いちいち「なんだって?」と聞かれて、ストレスフルな思いをすることが多くなっているのだ。
いきおい、マニュアル化された対応の大型店か、小型店でもチェーン店、ビルの店、音楽がガーガー鳴っていて若い人が売り声を出しているような、敷居の低い店に
行ってしまう。
店の側の問題だけでなく、ぼくも、イマドキの言葉で言えばコミュ障だからいけないのだ。

いやいや、書いてみてまったく自分の偏見だとも思う。
でも、経験則として、そうとばかりも言い切れないのである。

蕎麦屋に言って「天ざるに生卵をつけてください」とか、喫茶店に行って「アイスカフェオーレをガム抜きでください」とか、ちょっとした変わった注文をしたくなることがある。
でも、「湘南そば」や「タリーズコーヒー」であれば造作もなくできるこんな注文で、小さな店のおじさん、おばさんは大騒ぎする。
基本的に自分の店のしきたりを守る、様子の分かった客だけを相手にするという姿勢が感じられるので、敷居が高いのである。

よく考えたら、プレミアム商品券以前に、店とぼくの相性の問題だ。
逆に、商品券なんか出さなくっても、柔軟で気持ちがいい対応をしてくれれば、ふだんからもっと行っていたのである。

プレミアム商品券じたいは、あまり賢策という気はしない。
手数料が掛かるし、印刷代も掛かる。
それで「けっきょく儲かるのは大きな店だけだよ」というような話になる。
地元の商店街が流行らない現象があるとしたら、もっと他の原因があるのではないかと思い、あえて愚弁を弄した。