27日、鹿児島県知事伊藤祐一郎氏が県総合教育会議という席で、「女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」、「社会の事象とか、植物の花とか草の名前を教えた方がいい」などと放言した。

2061 - Milano, Castello sforzesco - Sarcofago tardoromano, cristiano - Foto Giovanni Dall'Orto, 14-Feb-2008
とんでもない発言で、いまどき男女で教育の内容を分けるなどということが許されることもなく、批判を受けて早々に撤回した。

じゃあ鹿児島県で男子に生まれると女子よりも高度な科学教育をビシビシ教え込まれるのだろうか。

鹿児島県立楠隼中学校・楠隼高等学校の創設について - 蟹索庵

上記のブログ記事によると、鹿児島県の県立全寮制男子中高一貫校である楠隼(なんしゅん)中学、高校では剣道、薬丸自顕流(古流剣術)、漢文素読(題材は「西郷南洲翁遺訓」、「日新公いろは歌」、論語・孟子)などを教えこまれるそうだ。

古武道を学んだり、西郷隆盛の遺訓を漢文で読むことは役に立ちますか。

立つと思う。
「俺、高校時代鹿児島で全寮制高校に通っててさー、剣術とかやってたんだよね」
「あははウケルー」
と言われるだろう。
青春時代にやったことは、どんなことでも、絶対に役に立つ。
だから中学や高校で多少カリキュラムに不満を持っている人も、くさらずに頑張って欲しい。
同時に、「なんでこんなことやらされるんだろう」と批判的に考えることは、精神の成長に役立つからやって欲しい。

それにしても、なぜこういう事例になると「サイン、コサイン、タンジェント」がやり玉に挙がるのだろう。
三角関数は、大学に出て物理を習えばむちゃくちゃ使う。
三角関数を知らなければCGアーティストにもなれない。
毎日PS4やNintendo 3DSでゲームをやっていると思うが、三角関数なしではまったく動かない。

伊藤知事は「女性に社会に出てサイン、コサイン、タンジェントを使いましたか、と聞くと、9割は使ったことないと答えます」とも発言しているが、そんな調査ほんとにしたんだろうか。
女性何人に聞いたのか。
逆に男性にも聞いたんだろうか。
そして伊藤知事自身は三角関数についてご存知なのだろうか。
知らないと思う。
多少でも知っていれば、上記のような発言には、ならない。
数学なんかいつから学び始めても役に立つものだから、これから勉強したらいいのではないか。
ちなみにこのNewtonのKindle本がセールで250円だそうだ。

さて、学問の話になると、すぐに、役に立つか立たないかという話になる。

最近では、文科省の有識者会議で経営コンサルタントの冨山さんという人が、「大学は一般的な教養を学ぶG系(グローバル系)大学と、実践的な技術を学ぶL系(ローカル系)大学に分ければ良い。L系人間は高尚な経済学など学ばず、『弥生会計』の使い方を覚えたほうがよっぽどためになる」という発言をして大いに物議をかもした。

また、文科省が方針として、文系学部の削減を打ち出して衝撃を生んでいる。

多くの人に取って、高尚な一般教養や、人文科学は無用なものだろうか。
ぼくなんか無学な人間なので、直接こう役に立つ、とは言えない。

ただ、学校の教育はなんだって直接役に立つものではないのではないか。
ぼくは古文の「係り結びの法則」も、世界史で「テニスコートの誓い」を習ったことも、あまり役に立っていない。
役に立たないことほど覚えている。
でも、覚えていて良かったと思う。
ローマの水道遺跡のように、水は流れていなくても、青春時代に築いた精神構造というものはあとあと役に立つ。

一般に、教養のある人は頭がよくなる蓋然性が高いとされているだろう。
歴史についてよく学んでいる人は、のちに会社の歴史を学ぶときもその知識が役に立つはずだ。
「うちの社長は信長的な人だなー。それに対して部長は秀吉的な企画を出しているからうまくいくんだな」などと思う。
それが実際にすごく役に立つ、というわけではなかろうが、考えるヒントになる。

体育もそうである。
100m何秒で走れるか。
それを目指して、体を鍛えて何になるだろうか。
社会人になってあんまり直線を走ることってないよ。
でも、努力とは何か、記録とは何か、達成することで自分がどう変わるか、敗北とは何かを学ぶことは、役に立つこと、間違いない。
むしろ一般教養の方がつぶしが利き、応用が効くと思うのである。
弥生会計なんか、いつ使えなくなるか分からない。

そもそも、役に立つことって、それほど大切なことか。

『フェルマーの最終定理』に、オイクレイデス(ユーグリッド)の逸話が出てくる。
彼が幾何学を教えていると、少年が手を上げて「でも、そんなこと学んでも、どういう役に立つんですか」と聞いた。
すると彼は従者に「あの少年に小銭を与えて放校にしなさい。彼は学問よりも実利に興味があるようだから」と言ったそうだ。

これはオイクレイデスが性格が悪いと思わないでもないが、学問はそれ自身に価値があり、役に立つかどうかは二の次だという考えは刺激的だ。

100m走者と一緒である。
スプリンターが一心不乱に走っているとき、この努力がのちのち何の役に立つかなんて、微塵も考えていないに違いない。
考えていたら勝負には負けるだろう。

だいたい「役に立つ」ってなんだろうか。
新しい数学の地平を開き、知性の限界を超えること、100m走の記録を打ち立てて、人体の限界を超えること自体が、「役(価値)」なのではないだろうか。
数学者や、スプリンターは、得意なことで限界を超えることそれ自身に価値を見出して生きているのである。

そういえば同じ『フェルマーの最終定理』(この本は今まで読んだ中で一番おもしろい本の1つで、強くお勧めする)の中で、女性の数学者の活躍が描かれている。
フェルマーの最終定理を部分的に証明したソフィ・ジェルマンである。
ジェルマンの頃、女性は大学に入ることを禁じられていたので、彼女は男性の名を語ってガウスと文通して数学を勉強した。

ここまで真剣に数学を勉強していた女性がいたんですよ、伊藤知事!

そしてナポレオンがドイツに侵攻したとき、ガウスの身を案じてジェルマンはフランス軍の将校に働きかけ、そのときに女性という正体をガウスに知られることとなる。
ジェルマンは晩年(55歳)、ガウスによってゲッティンゲン大学の名誉学位を得たがほどなく病没したようだ。
彼女の人生は例えようもなくドラマティックで、映画化した方がいいのではないだろうか。

『フェルマーの最終定理』と同じくサイモン・シンによる科学史『宇宙創生』にも女性科学者が活躍する。


それはアニー・ジャンプ・キャノンやヘンリエッタ・レービットのような女性たちである。
彼女たちは、電子計算機が生まれるはるか前に、computer(計算係)と呼ばれていた天文学者ピカリングの下働きで、毎日数千枚の天文写真を分類しているうちに、親分ピカリングよりも合理的な分類法を発見し、宇宙への知見を大幅に高めたのである。

これは、オイクレイデスやガウス、ソフィ・ジェルマンやピカリングのような天性の大学者だけでなく、その下働きで毎日黙々とルーチン・ワークを続けていた人たちが、ある日突然科学に長足の進歩を与えることもある、という例である。
どうせおいらはL型人間だから弥生会計でも使っていればいいのさとか、どうせあたしはサイン、コサイン、タンジェントなんか知らなくてもいいのよとか、やさぐれて生きていてはダメだ。
ある日、あなたに突然天啓が訪れて、人類の知見に大幅な進歩をもたらすかもしれないのだ。

役に立つといえば日本のノーベル賞物理学者小柴先生の話もある。
小柴氏はスーパー・カミオカンデという巨大な施設を岐阜県の神岡鉱山跡に埋め、宇宙から降り注ぐ素粒子ニュートリノの検出を行った。
このとき、空から(上から)降り注ぐニュートリノの数と、地面から(下から)、ブラジルから地球を突き破ってやってくるニュートリノの数を比べ、前者の方がはるかに多いので、ニュートリノは地球と相互作用する、だからニュートリノには質量がある、ということを突き止めて、ノーベル賞を受賞した。
もしニュートリノに質量があれば、宇宙全体の質量はだいたいニュートリノのもの、ということになるそうだ。
へぇー!

このノーベル賞のあとに、日本の新聞記者が「小柴先生、先生の発見は何の役に立つんですか」と聞いたそうだ。
この記者はオイクレイデスに放校されたギリシャの少年の末裔ではないだろうか。
小柴先生は「まったく、何の役にも立ちません」と答えたそうだ。
岐阜県の地下に巨大なプールを埋め、宇宙の質量のほとんどはニュートリノであると解き明かしたことは、実は、まったく、何の役にも立たないことであったのか!
でもそうかもしれない。
宇宙の大部分を占める物質の正体が分かったところで、特にぼくたちの日常には何の変化もないのである。

でも、だから、なんだろう?
会社の経理が分かって、節税の方法が理解出来たら、それは役に立つ知識だろうか。
花の名前を覚えたら役に立つか?
どちらもたしかに役に立つ。
でも、宇宙の組成も知りたいのである。
ぼくは、ニュートリノに質量があると分かったこと、その分かり方をテレビで見たとき、異常な興奮を覚えた。
ロサンゼルスオリンピックでカール・ルイスが100mを9秒99で走った時と同じくらい興奮したのである。
小柴先生も、カール・ルイスも、人類の到達点を進めるために生きていると思う。

だいたい人間はなんのために地球で生きているのだろうか。
人間は地球にとって、役に立っていると言えるか。
神の目で俯瞰すると、あまり役に立っていない。
基本的に、戦争をしたり公害を起こしたり、希少動物を絶滅に追いやったりしている。
有害だ。
「ターミネーター」のようなSF作品では、機械や宇宙人が、地球にとって有害な人類を駆除するというテーマがよく出てくる。
じゃあ、多用な生態系、持続可能な自然環境のために、あまり役に立たない人類は絶滅させたほうがいいだろうか。
ぼくはあまりそう思わない。

もし、人間がなぜ生まれたか、その理由が必要であるとするならば、ぼくは、小柴先生のように天地の真理を知るために宇宙から飛んでくる微粒子を測定したり、カール・ルイスやウサイン・ボルトのように100mを何秒走るか競うためだと思う。
むろん芸術や音楽で高みを目指す人もいるだろう。
理想の家庭を築くことも芸術だ。
鹿児島に生まれた九州男児が、先祖をしのんで西郷隆盛の遺訓を漢文で諳んじることにも意味があると思う。
好きなことなんでもすればいい。
好きなことをしている、その君の姿が美しい。
ぼくは民主党を支持しているが、蓮舫さんの「なぜ、コンピューターが世界一速くないといけないですか、二番でいいんじゃないですか」という発言も歴史に残る愚かな発言であった。
人間は、ちょうど湯加減がいい、快適な生活を求めて日々進歩しているわけではない。
ただ進歩しているのである。
進歩こそが目的なのだ。
何が役に立つのか、伊藤鹿児島県知事や、下村文科相や、蓮舫さんや、経営コンサルタントの冨山さんなんかに決めてもらう必要はない。
青春時代に興味があることを、なんでも打ち込んでやればいい。
もしサラリーマンになったり、家業をついだりしても、青春時代に打ち込んだことは、絶対役に立つ。
君自身にとっても、世界にとっても、である。