東京オリンピックのエンブレムのデザイナー、佐野研二郎さんに対する批判が巻き起こり、炎上になっている。

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手始めは、くだんのエンブレムのデザインがベルギーの劇場のマークに似ているという騒動が起きた。
ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビさんは当初静観していたが、劇場の意向を受けてか、使用停止を求める提訴を起こした。
日本のオリンピック委員会は、提訴に対する非難声明を出し、佐野さん側もエンブレムはオリジナルのデザインであると言明した。
SNSではデザイナーさんが「このデザインが似ていると思うのは、オカンがアニメキャラクターの顔の見分けが付かないのと一緒」と擁護する発言もあった。

ぼくはデザインに関しては門外漢である。
この2つのデザインは、似ているとは思うけど、同じとは思わない。
同じTという字をデザイン化したもので、シンプルなものだから似てしまうのもむべなるかなと思う。

創作物は、もし同じものが2つあると、先行者が著作権を持っているので、後の方が使えなくなるか、対価を払うことになる。
しかし、この2つのデザインが、先行者の著作権を侵害するほど同一なものなのか、ぼくにはしょうじき良く分からない。
専門家の見解を待つ必要があるだろう。

そのうち、佐野さんがサントリーのノベルティのトート・バッグで、素人のブログ写真のフランスパンや、アメリカのデザイナーの意匠をトレースしたのではないか、という疑惑が生じた。
佐野さん側が、この作品は自分は実作業を行うデザイナーではなく、デザイナーのチームを統括するディレクターとして関わったもので、作業者の中に既存のデザインをトレースしたものがあったとして、一部の作品を取り下げた。
これはSTAP細胞の小保方さんの論文におけるコピペ騒動と一緒で、多くのネット民が、佐野さんの過去作品を世界中のデザイナー作品と突き合わせて検証した結果露見したものであろう。
NHKニュースに「まとめサイト」の画像が引用されていたのはたまげた。
ネット時代すげえな、と思う。

この問題で佐野さんが主張しているのは、東京オリンピックのエンブレムの問題と、サントリーのトートバッグの問題は、まったく別の問題だということだ。
前者は佐野さんが一人でやったもので、独自性に自信を持っている。
後者は複数の人間が関わったもので、佐野さんは非を認めている。

それにしても、大騒動である。
なぜ、このような異常な炎上になっているのだろうか。

まず、市民の間に「東京オリンピック」自体、そしてそれを推し進める自民党政権に対する不平不満の声が沸き起こっていたことがある。
それで巨大な新国立競技場や、見るからにダサい感じのおもてなし部隊のユニフォームなどが批判されていた。
そこに来てエンブレムの問題が起こった。
だから、エンブレムへの批判とオリンピックへの批判、政権与党に対する批判が合わさってパワーアップしている。

次に、デザイナーの人たちが、「市井の人は良くわからないかもしれないが、そもそもデザインというものは…」というスタンスの、「上から目線」の反論をしたことが、かえって火に油を注いでしまった面もあったと思う。
デザインの価値は、分かる人には分かるが、わからない人にはわからない。
そこに「デザインとはもともとこういうものだ」と言われたから、世間の反感を買ってしまった。
そして、ぼくのような、門外漢には、デザイナーの仕事の価値、その対価というものに対して、認識の低さがある。



ぼくが中学の頃、小遣いでカッコイイTシャツを買おうとしたら、当時のお金で5000円もしたのにびっくりした。
で、「下着のTシャツと同じものなのに、字がプリントしてあるだけで急に値段が上がるのはおかしいね」と食卓でポロッと言ってしまった。
父は悲しそうな顔で「デザインの価値っていうものが、認められてもいいと思うけどね」と言った。
ぼくはドキリとして、自分の失言を恥じた。

父は、前にも書いたけど、パチンコ屋などのエクステリアの仕事をしていて、季節ごとにデザインを考えて装飾を施していた。
職人として高いお金を取っていたが、お客さんの中には「なぜセロハンを貼るだけでそんなお金を取るんだ」と、支払いを渋る人もずいぶんいたらしい。
母が電話でハードな交渉をしていたのを、ぼくも聞いていたから、そういう事情は分かっていた。
そういう家の食卓で、その価値を否定するような発言をしてしまって、本当に失言だったと思う。

デザインというのは、純粋に脳から出てくるもので、その値打ちが伝わりにくい。
ツイッターを見ていると、Webのデザインに関して、クライアントがずいぶんひどいことを言っているという悲しみをデザイナーが伝えている。

「フォントにお金が掛かる」というと「フォントって字でしょ。そんなの普通のでいいですよ。携帯のメールの、ゴシックとかポップ体とかそういうのでいいですよ。字にお金が掛かるっておかしいでしょ」と言ったサラリーマンがいたそうだ。
さすがにそのサラリーマンは正気の沙汰とは思えないが、テレビ朝日とイマジカがテロップのフォントを不法に使ったというニュースもあるから、フォント(とその選択)にお金が掛かる、ということを、理解できない人も多くいるということだろう。

「Appleとか無印良品とか、ああいうシンプルなサイトにしてくれたら、デザイン料を安くできませんか」と言ったクライアントもいたそうだ。
これも狂気の沙汰である。
Appleや無印良品が「シンプルなサイト」を作るために莫大な時間とお金を掛けているかは想像に難くない。
1ミリ動かしても、美しいデザインは崩壊する。
ゴテゴテしているからお金が掛かる、シンプルだったら安くできるはず、そんな意識の人が、発注者側にいるとすれば、デザイナーは暗澹たる気分にもなるだろう。

ぼくはアートのTシャツが好きだ。
さまざまなアーティストの芸術作品が胸にプリントされている。
あのTシャツを美しくしているのは、アートだけでなく、その作品をどの大きさで、どの色の布地に、どの位置にプリントするか、というデザイナーの手腕が大きい。
ほんのちょっとでもサイズが変わったり、位置がズレたりしただけで、印象は大きく変わってしまう。
手練の技と、この世を美しくしようという気概で、毎日仕事しているデザイナーさんを、ぼくは尊敬する。



むろん盗用は許されないものであり、問題の事件は当事者が誠実に向き合って話し合うべきであろう。
ただ、デザインそのもの、デザイナーさんそのものを軽視するようなことがあってはならない。
ぼくのような門外漢はついついその仕事のすばらしさを忘れてしまうけれども、それが報われなければ、この世はものすごくみにくい場所になるだろう。