さいきん本屋の店先で、古い映画の廉価版DVDを売っている。

Fritz Lang (1969)
特に大量にあるのが神保町の書泉グランデ店頭だが、そこまで行かなくても近所の書店にある場合がある。
ぼくの近所では武蔵小杉の法政通りの中原ブックランドにある。
法政通りの中原ブックランドは昔の本のデッドストックがいっぱいある新刊書店なので、近くの人は探索してみるのをおすすめする。

古い映画の廉価版DVDとは、著作権が切れた作品を知らない会社が激安で売っているものだ。
小林信彦氏は画質が悪いから手を出すなと書いていたが、たまにどんなものかと思って購入してしまう。
今回はフリッツ・ラング監督の『M』を見てみた。
1枚500円だ。
『M』の正式版は中古しかなく、高値がついているし、レンタルもないので、廉価版を利用するのもまあ仕方がない。

フリッツ・ラング監督は映画史上に燦然と輝く巨匠で、ドイツ時代は『メトロポリス』や、『カリガリ博士』(脚本のみ)などの奇怪な映画で知られる。
のちにハリウッドに移ってからも長く活躍した。
ぼくは『メトロポリス』と『カリガリ博士』が月蝕歌劇団の高取氏作品のネタ元になっていたので、ラングの映画を以前から見たかった。
『M』はドイツ時代に撮られた、ラング初のトーキー(音声付き)作品で、そうとう古いが、息もつかせぬ犯罪サスペンス作品である。

さて、ここでいつもの悩みであるが、この作品は傑作であって、縁があってこのブログを読んでくださっている方には是非見て欲しい。
でも、この作品は予備知識ゼロ%で見たほうがいいと思う。
オープニングからラストまでまったくネタバレしないで見た方がいいと思うのだ。
そういう意味では、DVDのジャケット写真すらすでにネタバレであって、せっかく『M』という謎めいたタイトル(このタイトルの意味が中盤に突如として分かる場面が素晴らしい!)を付けているのに、それがネタバレしているのが残念だ。

これは古典の作品に共通する問題点である。
夏目漱石の小説など、探偵小説趣味が入っていて、意外な展開、意外な結末が感動を産むが、文庫本のブックカバーには稚拙なあらすじがついていて、物語の結末が分かるようになっている。
ぼくは何回も痛い目を見ているので、そういう字を一切見ないようにしているが、なんでわざわざ書いているかが不思議である。

もちろんある程度ネタバレがあっても楽しめる作品もあるし、長大で退屈なためにちょっとぐらいネタバレを読んでパワーを付けた方がいい作品さえあるが、『M』は最初から最後まで意外な面白さが詰まっていて、1シーンもネタバレしないで楽しんだ方がいいと思う。

以下はそれでもちょっとネタバレしてしまう批評であるので、見る予定のある人は読まないで下さい。









警告したからな!

まず、古い作品の廉価版DVDについて。
これは、見る方にしてみれば圧倒的にありがたい。
『M』のDVDは特に問題なく試聴できたし、字幕も良く分かった。
(元がドイツ語なので正確さは分からない)

ただ、制作側は大変な時代になったなーと思った。
新しい映画は同じ時代のライバルだけでなく、圧倒的に作品点数が多い古い作品とも闘わなければならなくなったのだ。
どういうわけか昔の映画の方が単純に面白い。
今の映画、特に日本映画はお涙頂戴まみれ、安いCGまみれで、なかなか感動出来ない。
だったら長い時代を生き抜いた古典の方が感動が約束されているのである。
古典を安く鑑賞でき、感動が約束しているから、新作に手が出ない。
これは文学、小説の世界では昔からあった現象だが、映画もDVDの時代になって同じ現象が起きている。

さて、『M』は前から見たかった映画で、自分の中で期待が高まりすぎていたのだろうが、いくつか現代の目で見ると気になる点もあった。
まず、野外のセット部分が、舞台をそのまま撮影したという違和感がどうしても否めない。
黒澤明『天国と地獄』の終盤の桜木町の場面など、オールセットだろうがものすごいリアリティである。
また、脚本や演技、しゃべっている人を撮るカメラワークなど、どうしようもなく稚拙さを感じる。
これは入院中に『カラマーゾフの兄弟』を読んでいた時にも感じたが、まだ表現の技術、文法が黎明期で開発中であったために、しょうがない部分である。
それでも『M』も『カラマーゾフの兄弟』も、現代鑑賞しても引きずり込まれてしまう異様な迫力がある。
逆に古典の作品の技術的稚拙さを割り引いて楽しめる鑑賞眼をぼくが身につけるべきだろう。

もう一つ、登場人物が集団でおびただしい煙草を吸っている。
会議室でも、家庭でも、路上でも、煙草、タバコである。
これは「当時みんな煙草を吸っていたから」では説明できない量であり、おそらく光と影の芸術であるモノクロ映画で、人間がしきりにしゃべっている画面に変化を付けるために導入されたものであろう。
この吸いっぷりも今では考えられない。
古い作品は現代の目で見ると人権的にもどうかと思われる作品が頻出するが、これも割り引いて楽しめる鑑賞眼を身につけるべきだ。

感心したのは作品の社会性が感動を高めていることである。
どの場面も当時の時代、風俗をリアルに活写していて、犯罪と社会が相互に影響していることをはっきりと示している。
『M』はおすすめだ。