数年前、ビジネス街で道に迷った。
通りがかったスーツを着た人に「xxビルってご存じですか」と聞くと、彼は「ああ、たまたまそこに行くところだったんですよ、ご一緒しましょう」と言って、男二人連れ立って歩き出した。
通りがかったスーツを着た人に「xxビルってご存じですか」と聞くと、彼は「ああ、たまたまそこに行くところだったんですよ、ご一緒しましょう」と言って、男二人連れ立って歩き出した。

ほどなく、1車線の幅の横断歩道で、赤信号に引っ掛かった。
男二人で信号が変わるのを待っていたが、なかなか変わらない。
ぼくはしびれを切らして「あのう、これぐらいの信号だとぼくは渡っちゃう方なんですけど」と言った。
スーツを着た人は「いやあ、実は私もそうなんです」と笑って、信号を無視して渡った。
そういえばサッカーで日本代表監督を務めたトルシエさんが「日本人は車が来ない赤信号でもぼうっと待っている。そんなだからサッカーで勝てない」と言っていた。
それが本当かどうかは良く分からない。
でも、赤信号は待ったほうがいい。
上のビジネス街での出来事があってから数カ月後、ちょっとあぶない感じの信号で、ぼうっと渡りかけた。
すると、母子連れの小2ぐらいの男の子が、ぼくの真似をして渡ろうとした。
そして同じ瞬間に、死角になっている角からタクシーが回りこんできたのだ。
激しい急ブレーキとクラクションの音がして、ぼくと男の子はすんでのところで轢かれずに済んだ。
母親が子供に向かって、「xx、だめでしょう! 赤信号は待たないと!」と叫んだ。
ぼくは母親に「スミマセン」と詫びたが、固い表情で「イイエ」と言っただけだった。
ぼくなんかが車に轢かれるのは自業自得だが、子供がぼくを見て渡ってしまうことまで考えるべきだった。
ぼうっと他のことを考えていて、そのまま信号無視しようとしていたのだが、本当に悪かった。
今は深く反省して、ちょっとした信号でも待つようにしている。
そうそう急ぎの用があるわけじゃないのだ。
法律は何のためにあるか。
それは、めいめい勝手なことをやっていると、利害が衝突するからだ。
街に信号機がなかったら怖くてしょうがない。
最も頑丈な自動車が幅を利かせる世の中になるだろう。
先日、国会議員が、政府が取り入れを検討しているホワイトカラー・エグゼンプションについて質問した。
ホワイトカラー・エグゼンプションとは、高度なプロフェッショナルは裁量労働制になり、好きな時間働けばいい代わりに残業代もなくそうというものだが、一般にはブラック企業を後押しして平社員から搾取しようとする「残業ゼロ法案」として受け取られている。
今もファストフードのような業界では、「名ばかり店長」のような制度が横行していて、残業代をカットするのが問題になっている。
ところが、この国会議員はもっとこういう制度の適用を緩くして、残業代を払わなくてもいい局面を増やすべきだと考えているようだ。
労働基準法は、真面目にやっている人が守れるような制度になっているのか ~維新の会・足立康史議員・質疑書き起こし~
考え方は人それぞれだが(ぼくは残業代は厳格に払ったほうがいいと思う)、問題はこの議員が私設秘書には残業代を払っていない、それで700万円支払えと訴えを起こされているが、断じて払わないと述べたことである。
彼は質問の中で、労働基準法はおかしい、実情にあっていない、自分は労働基準法を変えるために国会議員になった、そしてそのおかしい労働基準法に従う気はない、従って残業代は訴えられても払わないなどと述べている。
これは大変な問題発言であって、国会議員が自ら「自分は法律を守っていない。法律がおかしいから」と言っていることになる。
犯罪の自白だ。
当然大問題になり、炎上した。
今は下のように弁解しているようだ。
「秘書残業代不払い宣言」等との報道に係る補足とお詫び
要は、問題の秘書は機密を扱うもので、そもそもファストフード店の店長同様に残業代を払わなくてもいいと法律で規定されているものであった。
だから残業代を払わなくていいと自分は認識してい、それが裁判の争点になっている、と言いたいようだ。
おかしい。
それならば現状の労働基準法でも残業代は払わなくていいケースであって、「今の法律はおかしい」「それを変えるために政治家になった」と言うことの論拠にあげるべきではないのである。
まとめると、この議員さんは
(1)今の法律はおかしい
(2)だから守っていない
(3)法律を変えるために政治家になった
(4)(おかしいと指摘されて、あわてて)いや、自分のケースはそもそも法律を守っていないわけじゃなかった
と言っていることになる。
ところが、発言の書き起こしを読むと「阪神高速はみんな速度制限を破ってビュンビュン走っている。一人だけ速度を順守すると事故が起きる」などと書いている。
どう考えても「法律は全部守れない。守れない法律がいっぱいある。これはおかしいから変えるべきだ」という文脈で、労働基準法を破って700万円の裁判を起こされていることを「武勇伝」として語っていると思われる。
おかしい法律は破ってもいいか。
ソクラテスは「悪法もまた法なり」と言って、無実の罪を着たまま毒杯を仰いで死んだ。
ところがいまの日本では国会議員が、「いまの法律はおかしい、だから守っていない」と堂々と宣言している。
でも国会議員は法律を作るのが役目なんだから、まず法律を変えてからそれに従うべきではないか。
法律が、守っても守らなくてもいいものであるというものであれは、社会はアノミー状態になり、力が支配する修羅の国になる。
交通信号のない街角のようになってしまうのである。
法律は有名無実になり、国会議員もいらなくなる。
それでは国会議員もおまんまの食い上げではないだろうか。
選良というぐらいだから、法律だけは守った方がいい。
少なくとも、守っていずに訴えられているなどということを誇らしげに語ることはなかろう。
ぼくも守りたくない法律ぐらいいくらでもあるが、せいぜい守るようにしている。
男二人で信号が変わるのを待っていたが、なかなか変わらない。
ぼくはしびれを切らして「あのう、これぐらいの信号だとぼくは渡っちゃう方なんですけど」と言った。
スーツを着た人は「いやあ、実は私もそうなんです」と笑って、信号を無視して渡った。
そういえばサッカーで日本代表監督を務めたトルシエさんが「日本人は車が来ない赤信号でもぼうっと待っている。そんなだからサッカーで勝てない」と言っていた。
それが本当かどうかは良く分からない。
でも、赤信号は待ったほうがいい。
上のビジネス街での出来事があってから数カ月後、ちょっとあぶない感じの信号で、ぼうっと渡りかけた。
すると、母子連れの小2ぐらいの男の子が、ぼくの真似をして渡ろうとした。
そして同じ瞬間に、死角になっている角からタクシーが回りこんできたのだ。
激しい急ブレーキとクラクションの音がして、ぼくと男の子はすんでのところで轢かれずに済んだ。
母親が子供に向かって、「xx、だめでしょう! 赤信号は待たないと!」と叫んだ。
ぼくは母親に「スミマセン」と詫びたが、固い表情で「イイエ」と言っただけだった。
ぼくなんかが車に轢かれるのは自業自得だが、子供がぼくを見て渡ってしまうことまで考えるべきだった。
ぼうっと他のことを考えていて、そのまま信号無視しようとしていたのだが、本当に悪かった。
今は深く反省して、ちょっとした信号でも待つようにしている。
そうそう急ぎの用があるわけじゃないのだ。
法律は何のためにあるか。
それは、めいめい勝手なことをやっていると、利害が衝突するからだ。
街に信号機がなかったら怖くてしょうがない。
最も頑丈な自動車が幅を利かせる世の中になるだろう。
先日、国会議員が、政府が取り入れを検討しているホワイトカラー・エグゼンプションについて質問した。
ホワイトカラー・エグゼンプションとは、高度なプロフェッショナルは裁量労働制になり、好きな時間働けばいい代わりに残業代もなくそうというものだが、一般にはブラック企業を後押しして平社員から搾取しようとする「残業ゼロ法案」として受け取られている。
今もファストフードのような業界では、「名ばかり店長」のような制度が横行していて、残業代をカットするのが問題になっている。
ところが、この国会議員はもっとこういう制度の適用を緩くして、残業代を払わなくてもいい局面を増やすべきだと考えているようだ。
労働基準法は、真面目にやっている人が守れるような制度になっているのか ~維新の会・足立康史議員・質疑書き起こし~
考え方は人それぞれだが(ぼくは残業代は厳格に払ったほうがいいと思う)、問題はこの議員が私設秘書には残業代を払っていない、それで700万円支払えと訴えを起こされているが、断じて払わないと述べたことである。
彼は質問の中で、労働基準法はおかしい、実情にあっていない、自分は労働基準法を変えるために国会議員になった、そしてそのおかしい労働基準法に従う気はない、従って残業代は訴えられても払わないなどと述べている。
これは大変な問題発言であって、国会議員が自ら「自分は法律を守っていない。法律がおかしいから」と言っていることになる。
犯罪の自白だ。
当然大問題になり、炎上した。
今は下のように弁解しているようだ。
「秘書残業代不払い宣言」等との報道に係る補足とお詫び
要は、問題の秘書は機密を扱うもので、そもそもファストフード店の店長同様に残業代を払わなくてもいいと法律で規定されているものであった。
だから残業代を払わなくていいと自分は認識してい、それが裁判の争点になっている、と言いたいようだ。
おかしい。
それならば現状の労働基準法でも残業代は払わなくていいケースであって、「今の法律はおかしい」「それを変えるために政治家になった」と言うことの論拠にあげるべきではないのである。
まとめると、この議員さんは
(1)今の法律はおかしい
(2)だから守っていない
(3)法律を変えるために政治家になった
(4)(おかしいと指摘されて、あわてて)いや、自分のケースはそもそも法律を守っていないわけじゃなかった
と言っていることになる。
ところが、発言の書き起こしを読むと「阪神高速はみんな速度制限を破ってビュンビュン走っている。一人だけ速度を順守すると事故が起きる」などと書いている。
どう考えても「法律は全部守れない。守れない法律がいっぱいある。これはおかしいから変えるべきだ」という文脈で、労働基準法を破って700万円の裁判を起こされていることを「武勇伝」として語っていると思われる。
おかしい法律は破ってもいいか。
ソクラテスは「悪法もまた法なり」と言って、無実の罪を着たまま毒杯を仰いで死んだ。
ところがいまの日本では国会議員が、「いまの法律はおかしい、だから守っていない」と堂々と宣言している。
でも国会議員は法律を作るのが役目なんだから、まず法律を変えてからそれに従うべきではないか。
法律が、守っても守らなくてもいいものであるというものであれは、社会はアノミー状態になり、力が支配する修羅の国になる。
交通信号のない街角のようになってしまうのである。
法律は有名無実になり、国会議員もいらなくなる。
それでは国会議員もおまんまの食い上げではないだろうか。
選良というぐらいだから、法律だけは守った方がいい。
少なくとも、守っていずに訴えられているなどということを誇らしげに語ることはなかろう。
ぼくも守りたくない法律ぐらいいくらでもあるが、せいぜい守るようにしている。