SONYから「高音質SDカード」というのが出ていて話題になっている。

SD Cards

SDカードとは何か

SDカードは、携帯電話やデジタル音楽プレイヤー(DAP)、パソコンに入れて使える半導体メモリーカードである。
むかしは64MB(約64,000,000バイト)とかでもデカイとか言ってたんだけど、最近はその約1,000倍(1,024倍)の64GB(約64,000,000,000バイト)でも普通である。
と、言われてもなかなか実感が湧かないだろう。
CDが700MBであるから、64GBだと90枚ぐらい入る。
DVDが片面一層で4.7GBであるから、64GBで13枚とかである。
DVDが13枚というのは思ったより小さい。
64GBというのは携帯端末のメモリー容量としては、「それだけ持っていれば安心」と言うには微妙なサイズである。

SDカードは半導体メモリー方式の記録メディアである。
昔の記憶媒体というのは、磁気式のフロッピーディスクやハードディスク、光式のCDやDVDなど、機械的に回転する必要があった。
だから筐体も大きいし、振動や落下に弱い。
しかし半導体メモリーは中を電気が流れているだけだから、強い。
半導体メモリーはUSBメモリーとSDメモリーが全体のほとんどを占める。

SDカードの種類

昔のSDカードは32mm×24mmと、結構な大きさだった。
そのうちMiniSDというのが出て、これが21.5mm×20mmである。
今はMicroSDという、11mm×15mmのが主流である。
これ、昨日のSIMカード、Micro SIMカード、nano SIMカードと同じ関係であり、アダプターを付けて小さいものを大きなスロットに入れることが出来る。
もうこれ以上は小さくならないだろう。

外形の他に、容量の規格がある。
最初のSDは最大2GBであった。
その後出てきたSDHCカードは、最大32GBである。
最新のSDXCカードは最大2TBになる。
2TBというと2000GBであり、2000000MBであるから、CDが31,250枚、DVDが425枚である。
SDには他に、SDHC、SDXCの各規格の中にスピードクラスという転送速度の規格がある。

SDと本体メモリー

SDを何に使うかというと、データの転送と本体容量の拡張である。
携帯電話やDAPは、本体メモリーが32GBとかで、別売のSDカードを挿入して64GB増やして96GBにするとか、そういうことが良くある。

iPhoneはSDカードスロットを搭載していない。
だから買った時の容量で、一生我慢する必要があるので、出来る限り大容量のものを買った方が問題がない。
(最近はクラウドと言ってネット上のサーバーを併用するが、常に回線が繋がっていないといけないのがネックである)
Appleは(故ジョブスの作風で)閉鎖的なメーカーである。
初期のMacは拡張バスもなかった。
iPhoneも拡張やハックがしにくい機種だが、一方そのぶん安心して使えるとも言える。

ぼくは何回かAndroid機を試したことがあるが、不安なのはSDカードのトラブルである。
読みに行くと一瞬動作が停止する(フリックという)ことや、データが読めなくなる、しょっちゅうスキャンしているなどという不安がある。
以前書いたが、東芝のブックリーダーBookPlaceもSDカードを入れると本体がサスペンドから復帰できないというトラブルがあった。
ジョブズはiPhoneの設計において、Flash同様、SDカードを入れるとトラブルが増大する、と分かっていたし、強気の価格設定でも行けると思って大容量メモリーを搭載し、SDスロットを廃したのだろう。

メディアを変えると音が良くなる?

さて、携帯電話やDAPに音楽を入れて聞くとき、本体メモリーだと「音がいい」、SDに入れると「悪くなる」という話があった。
にわかには信じがたい。
以前から、デジタルオーディオに関しては、CDだと音が悪い、HDDにリッピング(吸い出し)すると音が良くなる、マクセルのDAT(デジタルオーディオテープ)は音がどうだ、TDKだと音がこうだという説があった。
ぼくには全部信じられない。

デジタル(digital)はもともと桁の、という意味で、自然情報を有限桁の整数に変換して処理するということである。
(digit(桁)の語源はもともと人間の手指らしい)
ここでは音楽に話を絞るが、録音時には音を数字に書き換える。
で、数字を記憶装置に記録する。
で、再生するときは音を数字から復元する。

整数にする時点で自然の情報は失われる。
これが「コンピューターの世界はゼロとイチの無機質な世界」などと言われるゆえんである。
自然の世界は0と1の間に微妙な中間値があるが、それをデジタル機械は省く。
ただ、数字の量を増やすと、デジタル化する時点で省かれる情報の量が人間の知覚できないほどになる。
急に画像の話になるが、液晶画面の画素数を上げると◯のギザギザが見えなくなるみたいなものである。
高解像度(面積当たりのドットの数が多い)のディスプレイで見ると◯のギザギザが見えなくなるが、人間の目には見えないだけで、実際にはデジタルである以上、ギザギザは、ある。
高解像度のディスプレイであっても記録するときに画質を落としたり、画面を大きくしたり、拡大すると、アラが見えてくる。

音の場合は、1秒という時間を何万個の瞬間に分割して数値化するか(サンプリング周波数)と、分割した各々の瞬間を何桁で整数化するか(量子化ビット数)という2次元の量があるが、基本的にある音楽をどれぐらいの量の数字(信号)で記述するかと考えればいい。
同じプレイヤーでも、容量を小さくするために圧縮率を上げれば(解像度を下げれば)音は悪くなる。
圧縮しなければ、音は良くなる。
人間の耳には限界があるから、数字の量を増やしていけば、そのうち耳が感じられない誤差になるであろう。

この場合の「音がいい」というのは、原音(ミュージシャンが演奏した時の音)がそのまま再生されている(ハイファイである)という意味である。
他に「音がいい」というのは、「ソニー、ボーズは高音と低音が強調されていて迫力がある」とか、「ソニー、ボーズは高音と低音が強調されていて不自然である(ドンシャリである)」と言った、「音作り」の問題もあるが、ここでは触れない。

昔はレコードと言えばアナログ盤のことであった。
ビニールの板に溝が掘ってあって、その上を針を這わせて、溝の深さを音に変えていた。
これ、ぼくぐらいの年齢だとリアルに知っているのだが、今の若い人は急速に知らない人が増えていると思う。
そのうち映画や写真のフィルム、というのも通じなくなるであろう。
昔はレコードの溝が汚かったり、傷をつけたりすると、ジリパチ音というのが聞こえたし、針を変えると音が良くなったりした。

しかし、デジタル盤(CD)を汚しても、多少のことでは音は変わらない。
というのは、CDの表面には数字(0か1)がびっしり書かれており(アルミ箔に穴が空いている)、それを数字として解釈してから音に変えているからである。
よく聞く例えとしては、0がどれくらいなめらかな丸か、1がどれくらいまっすぐな棒かということは、デジタル信号の質とはまったく関係ないというものである。
あるCDに収録されている0は、CDの焼きが甘くて、0.0000001かもしれないし、-0.0000001かもしれない。
1も、1.0000001かもしれないし、0.99999かもしれない。
でも、デジタル読み取り機は、誤差を省いて(丸めて)どちらも0、1として読み取る。
信号としての閾値(しきいち)が大きいからである。
アナログは0と1の中間の状態のデータも使うから、原理的には信号の量を無限に増やせるが、その代わりノイズに弱い。
一長一短である。

だから、デジタルテープの場合、TDKとマクセルで音が違うとか言われても、にわかには信じられない。
アナログの音楽用カセットテープなら音の違いはあるだろう。
テープの材質や機械部分のでき、磁性体の素材や塗り具合によって、いかに音楽を豊かに記録するか、ノイズを弱めるかという違いがあっただろうからだ。
昔のカセットテープ全盛時代は、同じ60分のカセットでも300円ぐらいのから2000円ぐらいのまで売っていた。
(そういえばソニーから高級品がいっぱい出ていた)
同じ高級品でも「TDKはどうだ」とか、「マクセルはどうだ」とか言っていて、それなりに楽しかった。

でも、同じノリでTDKとマクセルとDATの音が違うとか言われてもにわかには信じがたい。
どんなに磁性体がなめらかに塗ってあっても、機械部ができが良くても、しょせん0と1が書いてあるだけである。
TDKとマクセルの違いは、0.0000001と0.0000002の違いとかであって、結局閾値以下に丸められてゼロになってしまうのではないか。

ところがこの、メーカーによってDATの音が違う伝説は、ミュージシャンの間で綿々と語り伝えられているのである。
ぼくはとある高名ミュージシャンの方とお話する縁があったが、絶対にこの手の話で相手を納得させることは出来ない。
この手の議論に知識や論理だけで勝つことは、出来ないのだ。

音のいいDVD-R?

というふうに、ぼくは考えていた。
ところが、様子が変わってきたことには、この手の議論にメーカーも乗ってくることもあるのである。
DVD-R(記録型DVD)で「音がいいDVD」というのがあった。
原理は、プラスチックが緑色に塗っていることで、信号を読み取るときのレーザー光線が乱反射したのを吸収することで、よりクリアーな音になるそうだ。
ということは、これを使っていない従来のCDは、レーザー光線が乱反射する対策をしていないので、ノイズ(本来のミュージシャンや録音技師が意図していない音)が再生時に入り込んでいるということだろう。
0が1に、1が0に書き換えられている。
それが、ディスクまるごと読み込めないとか、モザイクのようなブロックノイズがザーッと乗るとか、そういう暴力的な再生エラーではなく、「高級オーディオで聞くと差が出る」、「分かる人にはわかる」、「ううん、深みのあるクリアーないい音」という微妙なレベルで差が出てくるということであろう。
まあぼくも聴き比べているわけではないので、まあそうなのかもしれない。
音が良くなるUSB、音が良くなるLANケーブル、音が良くなるNAS(ネットワークサーバー)というのもある。
音が良くなるNASに関しては、管理画面の壁紙の色を変えると音が変わったそうだ。
ぼくは聴き比べても分かる自信がないが、とりあえず市場性はどうしようもなくあるだろう。

オーディオマニアの深い世界

オーディオマニアというのは、深い。
「タモリ倶楽部」で以前題材になっていたのは、「電源ケーブルを変えると音がこれだけ違う」「電源ケーブルを聴き比べてみよう!」という規格である。
司会のタモリもオーディオマニアであるから「へぇー」と言っているが、全体的に和やかな感じで進んでいた。
その番組で出ていた話としては、音に凝る人は家のそばに自分用の電柱を立ててもらうそうだ。
これをマイ電柱というらしい。
他所の家なんかと出力を奪いあうと、その家が掃除機とか使うとノイズが乗るんだろう。
やっぱり自分専用の電柱だと音がいい。
この手のマニア道はいろいろと深い。
ビデオテープにラベルを重ね貼りすると重くなるから画質が良くなる、という話も聞いた。
まあそんなこともあるかもしれない。
個人の勝手であるが、この議論は、個々人の「いい」/「悪い」しか価値基準がない。
審美的な、印象批評の域を出ないのである。
でもまあ印象批評は印象批評で大切である。

音のいいSDカード

ということで、今回ソニーから「音のいいSDカード」が出た。
これは、以前から「ウォークマンは、本体メモリーに音楽を入れると、いいんだけど、SDカードに出すといまいち」というユーザーの声を聞いて製造したものだそうだ。
なぜ、デジタルなのにそんな微細なことで音が変わるのか。
これも、理屈があって、読み出しをする時に電気的なノイズが発生して、オーディオ部(アナログ部)に悪影響を与える、それを極力抑えた」ということである。

だから、この話を確かめたければ、わざわざ1万5千円も出してこの機種を買わなくても、「携帯電話で音楽を再生する時に、本体メモリーとSDカードで音が違うか」を比べてみれば良い。
疑問なのは、SDカードは速度が遅く、音がいい悪い以前に途中で止まってしまうことがあるので、音楽であれば1曲ぶんぐらいはキャッシュして(本体メモリーに先読みコピーしておいて)から再生するのではないかということだ。

それでも、キャッシュしていない先の分にアクセスするときにノイズが発生するという。

でもそんなノイズが発生して、「音の違い」となって現れるぐらいであれば、携帯電話でアプリを使ったり、メールを受信したりするごとにノイズが発生するのではないか。
機種によっても違いがあり、その違いの方がSDカードの違いよりも大きいのではないか。
本体側のシールドを高めたほうが、効果が高く、安いSDカードも使えてユーザーフレンドリーなのではないだろうか。
などといろいろ疑問があるが、音がいい、と謳っている以上、音がいいのかもしれない。
ぼくは1万5千円もこのカードに使えないので、実際に聴き比べていないので、よく分からない。
スミマセン。

Webサイトのレビュー

今回特徴的なのは、アスキーやインプレスといった有名なWebメディアでライターさんが「確かに音が違う!」、「ぜんぜん違う! 聞けばすぐわかる」と書かれていることだ。

ソニー、音質にこだわったmicroSDXCカード。「ハイレゾウォークマンに最適」 - AV Watch

【藤本健のDigital Audio Laboratory】第626回:ソニー“高音質”microSDカード開発者に質問をぶつけた - AV Watch

SDカードで音質が変わる?誰もが効果を疑う ソニーの“高音質”SDXCカードの効果をガチで検証 - 週アスPLUS

2番目の記事がすごくて「オーディオ開発部とデジタル開発部が力を合わせて作った」、「塗っている色で音が変わる」という開発者の秘話が入っている。

また、「従来品と比較したグラフの正体」の話も興味をそそられる。
これは音の比較ではなく、生成している電磁波のデータであって、人間の可聴範囲を超えているそうだ。
じゃあどうやって品質を測定したのかという話になるが、「人間が聞くしかない」という話みたいだ。

テストが待たれる

3番目のアスキーの記事が今回の話の特徴を良く表している。

ウォークマンにSDカードA、B、Cの3つの機体を入れてテストしてみた。
すると、A(ソニー製品)は明らかに違うという。
でも、このテストの方法では正確なところはわからないという話もある。
というのは、テストしてみた人が、SDカードを入れる役も兼ねているので、自分はこれから聞くのはAであるか、Bであるかという予断を持って聞くことになる。

人間には誰しも予断があり、予断は判断に影響を及ぼす。
今日は10万円払ってクラシックのコンサートを聞きに行くんだと思っていれば、最初から10万円のチケットに見合う感動を得て帰らないと損だと思っている。
10万円も取るクラシックのコンサートの良さがわからない、芸術音痴の人間と思われるのも癪な話である。
だからいきおい、どんな音楽も良く聞こえる。
まあ、この場合は音楽が良く聞こえた方が主催者側も聴衆側もハッピーだからいいじゃないかという話もあるが、科学の場においてはこれは許されない。
「STAP細胞があったほうが夢があっていいじゃないか」というレベルで事を収めるわけにはいかないのである。

昔、生物学で、動物の情報はすべて精子側にある(卵子は材料と栄養を供給するだけ)という説があった。
この説を信奉していたオランダの生物学者ハルトゼーカーは、精子を顕微鏡で観察し、その中にうずくまった小さな人間の原型(ホムンクルス)があるのを「発見」し、論文で発表した。

前成説 - Wikipedia

偉い科学者であってもこれだけ予断に振り回される。

同様に、「これからソニーのSDを聞く」、「これからトランセンドの安いSDを聞く」ということが、事前にテスト者に分かっているかどうかは結果に影響をおよぼす。
これをプラセボ効果という。

プラセボとは薬の実験で使う意味のない錠剤(偽薬)のことである。
画期的な風邪薬が出来たとする。
患者のグループAには「画期的な風邪薬ですよ」と言って本当の薬を与え、患者グループBにはやはり「画期的な風邪薬ですよ」と言って砂糖の粒を与える。
これでグループAのある程度の人は風邪が治るが、グループBの人もやっぱりある程度風邪が治ってしまう。
本物の薬を使った人と、プラセボを使った人と、明らかに有意の差がでないと、風邪薬が風邪を治したとはいえない。
というのは、ほうっておいても風邪ぐらい直ってしまうものだし、「自分は画期的な風邪薬を飲んでいるんだ」という意識が体に作用して気合いで風邪が直ってしまうこともあるのだ。
このように、プラセボを使ってテストすることをブラインドテスト(単盲検法試験)と言う。
SDカードの例で言えば、本来このテストをやるのであれば、SDカードを取り替える人と、音楽を聴き比べる人を、別の人にするべきだった。
音楽を聴き比べる人にどのメーカーの音か、予断を与えるべきでなかった。
日本酒の利き酒や、テレビ番組の「芸能人の格付け」と同じ原理である。

しかし、単盲検法では不十分だという話もある。
風邪薬の例で言えば、医師はどうしても「風邪薬は効く」という、「STAP細胞はあります」的な実験結果がほしいので、患者の観察がAの場合は甘く、Bの場合は辛くなる。
で、どんなデータを観測しても、やっぱりAは効いてるわ! という結果に到達してしまう。
つまり、医師側にも予断はあるのである。
あるいは、医師がグループAに本物の風邪薬を渡す段階で、「これが本物ですよ…」という微妙な気合いのようなものを患者に伝えてしまう。
グループBに対しては「どうせ砂糖粒なんだけどね…」という微妙な投げやりさのようなものを患者に伝えてしまう。
だから結果にノイズが入る。
だから、本来は「これから渡すのが本物の風邪薬か砂糖粒か」ということを、渡す人間にもわからないようにしてテストするべきだ。
これをダブルブラインドテスト(二重盲検法試験)と言う。

今回の話題の場合どうするかというと、SDカードにビニールテープを貼って、メーカー名を隠し、ただの赤、青、黄色というだけのSDカードにしてしまう。
で、どのメーカーのSDカードをこれから挿入するのかをSDカードを入れ替える係の人にもわからない状態で入れ替えてもらう。
で、別の人がそれを聞く。
こうすればいい。
あっ、でも、これだとダメかもしれない。
SDカードは色によって音が変わるという話だからだ。