観劇記が2回はさまってしまったが、前回の続き。
三国志を読んでテンションがあがったので、他にもこんな機会でもないと読了できない長い本を読もうと思った。
ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を選んだ。
『カラマーゾフの兄弟』という表記でも知られる、全文学作品を代表する小説の一つである。
ぼくはドストの作品は『罪と罰』、『悪霊』は読んでいるが『カラマゾフ』は読んでいなかった。
まずバージョン選びである。
亀山郁夫氏の新訳が近年話題である。
グッと分かりやすいという評判で、訳者自身による解題もついている。
だが、旧来のファンや研究者からは悪評も多い。
そもそもロシア語が読めないから翻訳を読むわけだし、複数の翻訳を比較するほどのヒマもないので、どれを読んでもいいようなものだが、あまりにも評価が分かれているので、二の足を踏んだ。
他に評判がいいのは新潮文庫の原卓也氏の訳だが、電子書籍化されていない。
青空文庫に入っているのは中山省三郎氏の訳だが、これが上中下の上しか公開されていない。
2011年から作業が止まっているのである。
青空文庫内での論争に関係があるということだが、頑張って欲しい。
同じ中山省三郎氏の訳(元は角川文庫版)が、ゴマブックスからKindle版が出ている。
200円だ。
これも「誤植が多い」などの悪いレビューが沢山ついているが、それもまた一興と思ってダウンロードして読み始めた。
夕方に読み始めて、3時間ぐらい掛かって10%読んだところで挫折した。
あまりにも読みづらく、なんとなく飛ばし飛ばし読んでいる自分に気づいたのだ。
登場人物が多いのである。
しかも、当たり前ながらロシア語の長い名前で、場面によっては愛称(幼名)やミドルネームで呼ばれることもある。
ロシア人の名前は父の名前を変形した名前がミドルネームについている。
イワンという人を父に持つ男子は○○・イワノビッチ・○○に、女子は○○・イワノブナ・○○になる。
慣れればどうということはないし、かえって誰の子か分かるので読みやすいが、最初は面食らう。
愛称は、ドミトリイがミーチャなどというかなり独特なもので、これも慣れないうちは分からない。
登場人物が多いといえば「三国志」の方が凄まじいが、カラマゾフの場合人間関係が複雑かつ濃密で、絶対に関係をしっかり把握しないと読み進められない。
この本は、しかし、面白い。
絶対に面白いという確信を持って読了するのをおすすめする。
まず登場人物の名前と相関関係を頭に叩き込むために、紙に登場人物を書き写しながら読み進める。
最初は病院からもらったペーパーのウラに書いていたのだが、すぐにグチャグチャになって訳が分からなくなった。
おりしも点滴が外れた時だったので、コンビニにノートを買いに行くことにした。
便利屋さんに持ってきてもらったダウンジャケットを羽織って、ふらふらと廊下にまろびでたら、ナースが目ざとく発見して「深澤さんどこに行くの」と言う。
「コンビニに行きます」
「何を買うの」
「ノートを・・・チラシのウラにメモを書いていたらぐちゃぐちゃになったので」
「そう。気をつけてね」
「ハーイ」
エレベーターに乗る。
症状はすっかり収まっているし、体力も戻っているのだが、やはりふらふらする。
途中の階で女子高校生が15人ほども乗ってきてビビった。
みな色の違うナース服を着ていて、マスクをしている。
いっしゅん幻想かと思ったが、そうではなくて、一緒に乗ってきたナースが他のナースに説明していたところでは、地元の女子高生が体験実習というか見学に来ていたようだ。
背の高い子も低い子もいたが、みんな緊張の面持ちで押し黙っている。
ぼくも入院患者に対する印象を悪くしちゃいけないと思ってせいぜいシャンとしていた。
コンビニは1階にある。
コンビニの前でドクターとすれ違った。
「深澤さん何を買うの」
「ノートを・・・」
「そうですか。気をつけて」
それでノートを買った。
病室に戻ると、また別のナースがやってきて「深澤さん何を買ったの」という。
「ケーキとか・・・サンドイッチとかたくさんあって」
「ダメよ、そんなの買っちゃ!」
「うん、ぼくはノートを買いました」
それで病室に帰って、登場人物表を整理しながら読み始めた。
「カラマゾフ」は文学の名作であるが、いわゆるお上品で高尚な本ではなく、登場人物はどちらかというとゲスい俗物が多く、欲と見栄でぶつかり合っている。
セリフが長い。
一人の人間が何十ページも話し続ける。
これは小説の技法が確立していなかったからしょうがないところではある。
(これ以前の小説は書簡体もあった。小説が誰かから誰かに当てた手紙という形式になっているものだが、その辺の人がそんな長い正確な手紙を書けるはずもない)
どこまでこの長ゼリフを真剣に読み込むべきかの見極めが重要である。
しょっぱなから父フョードルのどこまでもゲスい、不敬的なしゃべりが面食らうが、よくよく考えると意外とイイことを言っているので油断できない。
教会が裁判所を兼ねるべきか(宗教が法律を兼ねるべきか)という問題があって、それに対する現代人の反感という線で考えると分かりやすい。
もう一つ、ロシアという国は社会主義革命がじきに起きようかという時代背景がある。
次に話が長いのが長男ドミトリイであって、よく分からない詩や冗談口が大量に出てくる。
この人の話のくだらなさが最初のヤマであって、ここでぼくは何回も挫折しそうになった。
次男のイワンも話が長い。
この人は「大審問官」という、キリストの復活がもしも本当にあったら後世の宗教家は彼をどう遇するかという自分で考えた劇の内容を延々と口演する。
これを読むのがなかなかハードである。
夢野久作「ドグラ・マグラ」の、途中に延々と出てくる阿呆陀羅経のようなものだ。
でも、ここをちゃんと読んで理解しないとこの本を読んだことにならないと思って、1ページ1ページ行きつ戻りつ、噛みしめるように読んだ。
ドミトリイの話も、イワンの話も、両方聞かされるのは物静かな三男アリョーシャであって、どんだけ我慢強いんだよと思う。
ひどいのが近所のおばさんホフラコワ夫人であって、この人も話が長い上に、内容がない。
これは「こんな人現代日本にもいるなあ」と思って読んで面白がることにした。
そんなこんなで30%も読んでいると、一気に小説の世界に引きずり込まれて、巻を措く能わざる面白さになる。
一人ひとりのキャラクターが濃い。
一番純真な三男アリョーシャが主人公の役を負っているのが、「三国志」の劉備と重なって面白かった。
結局3日ほどで読んでしまった。
Kindleの中山省三郎版は確かに誤植が多く、なんでこんな誤植がありうるのというレベルである。
「滑稽」の稽がお豆腐に化けていたりする。
これは角川文庫をスキャンしたデータをあまり良く校正せずに出版したのだろう。
ではあるが、読むに耐えないというほどではない。
翻訳も古いが、格調高い日本語であり、リズムがあってむしろ読みやすい。
200円だし、全一巻なのでおすすめだ。
だが「三国志」といい「カラマゾフ」といい、紙の書籍であればナースに「深澤さん分厚い本をいっぱい読んでいて偉いわねえ」とか「その本私も読んだわー」ということにもなるだろうが、iPhoneでKindle本を読んでいると「あの人ずーっと携帯見てるのねえ」ということになるらしく、ついにその件では話しかけられなかった。
それがちょっと残念だ。
ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を選んだ。
『カラマーゾフの兄弟』という表記でも知られる、全文学作品を代表する小説の一つである。
ぼくはドストの作品は『罪と罰』、『悪霊』は読んでいるが『カラマゾフ』は読んでいなかった。
まずバージョン選びである。
亀山郁夫氏の新訳が近年話題である。
グッと分かりやすいという評判で、訳者自身による解題もついている。
だが、旧来のファンや研究者からは悪評も多い。
そもそもロシア語が読めないから翻訳を読むわけだし、複数の翻訳を比較するほどのヒマもないので、どれを読んでもいいようなものだが、あまりにも評価が分かれているので、二の足を踏んだ。
他に評判がいいのは新潮文庫の原卓也氏の訳だが、電子書籍化されていない。
青空文庫に入っているのは中山省三郎氏の訳だが、これが上中下の上しか公開されていない。
2011年から作業が止まっているのである。
青空文庫内での論争に関係があるということだが、頑張って欲しい。
同じ中山省三郎氏の訳(元は角川文庫版)が、ゴマブックスからKindle版が出ている。
200円だ。
これも「誤植が多い」などの悪いレビューが沢山ついているが、それもまた一興と思ってダウンロードして読み始めた。
夕方に読み始めて、3時間ぐらい掛かって10%読んだところで挫折した。
あまりにも読みづらく、なんとなく飛ばし飛ばし読んでいる自分に気づいたのだ。
登場人物が多いのである。
しかも、当たり前ながらロシア語の長い名前で、場面によっては愛称(幼名)やミドルネームで呼ばれることもある。
ロシア人の名前は父の名前を変形した名前がミドルネームについている。
イワンという人を父に持つ男子は○○・イワノビッチ・○○に、女子は○○・イワノブナ・○○になる。
慣れればどうということはないし、かえって誰の子か分かるので読みやすいが、最初は面食らう。
愛称は、ドミトリイがミーチャなどというかなり独特なもので、これも慣れないうちは分からない。
登場人物が多いといえば「三国志」の方が凄まじいが、カラマゾフの場合人間関係が複雑かつ濃密で、絶対に関係をしっかり把握しないと読み進められない。
この本は、しかし、面白い。
絶対に面白いという確信を持って読了するのをおすすめする。
まず登場人物の名前と相関関係を頭に叩き込むために、紙に登場人物を書き写しながら読み進める。
最初は病院からもらったペーパーのウラに書いていたのだが、すぐにグチャグチャになって訳が分からなくなった。
おりしも点滴が外れた時だったので、コンビニにノートを買いに行くことにした。
便利屋さんに持ってきてもらったダウンジャケットを羽織って、ふらふらと廊下にまろびでたら、ナースが目ざとく発見して「深澤さんどこに行くの」と言う。
「コンビニに行きます」
「何を買うの」
「ノートを・・・チラシのウラにメモを書いていたらぐちゃぐちゃになったので」
「そう。気をつけてね」
「ハーイ」
エレベーターに乗る。
症状はすっかり収まっているし、体力も戻っているのだが、やはりふらふらする。
途中の階で女子高校生が15人ほども乗ってきてビビった。
みな色の違うナース服を着ていて、マスクをしている。
いっしゅん幻想かと思ったが、そうではなくて、一緒に乗ってきたナースが他のナースに説明していたところでは、地元の女子高生が体験実習というか見学に来ていたようだ。
背の高い子も低い子もいたが、みんな緊張の面持ちで押し黙っている。
ぼくも入院患者に対する印象を悪くしちゃいけないと思ってせいぜいシャンとしていた。
コンビニは1階にある。
コンビニの前でドクターとすれ違った。
「深澤さん何を買うの」
「ノートを・・・」
「そうですか。気をつけて」
それでノートを買った。
病室に戻ると、また別のナースがやってきて「深澤さん何を買ったの」という。
「ケーキとか・・・サンドイッチとかたくさんあって」
「ダメよ、そんなの買っちゃ!」
「うん、ぼくはノートを買いました」
それで病室に帰って、登場人物表を整理しながら読み始めた。
「カラマゾフ」は文学の名作であるが、いわゆるお上品で高尚な本ではなく、登場人物はどちらかというとゲスい俗物が多く、欲と見栄でぶつかり合っている。
セリフが長い。
一人の人間が何十ページも話し続ける。
これは小説の技法が確立していなかったからしょうがないところではある。
(これ以前の小説は書簡体もあった。小説が誰かから誰かに当てた手紙という形式になっているものだが、その辺の人がそんな長い正確な手紙を書けるはずもない)
どこまでこの長ゼリフを真剣に読み込むべきかの見極めが重要である。
しょっぱなから父フョードルのどこまでもゲスい、不敬的なしゃべりが面食らうが、よくよく考えると意外とイイことを言っているので油断できない。
教会が裁判所を兼ねるべきか(宗教が法律を兼ねるべきか)という問題があって、それに対する現代人の反感という線で考えると分かりやすい。
もう一つ、ロシアという国は社会主義革命がじきに起きようかという時代背景がある。
次に話が長いのが長男ドミトリイであって、よく分からない詩や冗談口が大量に出てくる。
この人の話のくだらなさが最初のヤマであって、ここでぼくは何回も挫折しそうになった。
次男のイワンも話が長い。
この人は「大審問官」という、キリストの復活がもしも本当にあったら後世の宗教家は彼をどう遇するかという自分で考えた劇の内容を延々と口演する。
これを読むのがなかなかハードである。
夢野久作「ドグラ・マグラ」の、途中に延々と出てくる阿呆陀羅経のようなものだ。
でも、ここをちゃんと読んで理解しないとこの本を読んだことにならないと思って、1ページ1ページ行きつ戻りつ、噛みしめるように読んだ。
ドミトリイの話も、イワンの話も、両方聞かされるのは物静かな三男アリョーシャであって、どんだけ我慢強いんだよと思う。
ひどいのが近所のおばさんホフラコワ夫人であって、この人も話が長い上に、内容がない。
これは「こんな人現代日本にもいるなあ」と思って読んで面白がることにした。
そんなこんなで30%も読んでいると、一気に小説の世界に引きずり込まれて、巻を措く能わざる面白さになる。
一人ひとりのキャラクターが濃い。
一番純真な三男アリョーシャが主人公の役を負っているのが、「三国志」の劉備と重なって面白かった。
結局3日ほどで読んでしまった。
Kindleの中山省三郎版は確かに誤植が多く、なんでこんな誤植がありうるのというレベルである。
「滑稽」の稽がお豆腐に化けていたりする。
これは角川文庫をスキャンしたデータをあまり良く校正せずに出版したのだろう。
ではあるが、読むに耐えないというほどではない。
翻訳も古いが、格調高い日本語であり、リズムがあってむしろ読みやすい。
200円だし、全一巻なのでおすすめだ。
だが「三国志」といい「カラマゾフ」といい、紙の書籍であればナースに「深澤さん分厚い本をいっぱい読んでいて偉いわねえ」とか「その本私も読んだわー」ということにもなるだろうが、iPhoneでKindle本を読んでいると「あの人ずーっと携帯見てるのねえ」ということになるらしく、ついにその件では話しかけられなかった。
それがちょっと残念だ。