前にも書いたが、今回病室で携帯電話が使えて本当に良かった。
病院内は建前上一切の携帯電話が禁じられている。
飛行機と一緒で、計器を狂わすと言われているのだ。
病院内は建前上一切の携帯電話が禁じられている。
飛行機と一緒で、計器を狂わすと言われているのだ。
たまにクリニックの待合室でTwitterを見ていると、医療事務のおばはんから携帯はやめろときつく言われる。
しかし、現実には入院病棟でみんな携帯を使っている。
親父が入院しているときも、みんな使っていたし、親父も使っていた。
入院中は、どんなに快適でも、言ってしまえば監禁されているようなものだから、気がふさぐが、携帯があるとないとで大違いである。
最近はスマホがあるから、メールが見られるし、TwitterやFacebookができるし、YouTubeが見られる。
本を大量に持ち込んだり、カセットテープを使ったりするよりも、病院や他の患者さんへの迷惑も少ないのではないか。
親父にもUSBスティック型の携帯モデムを買い与えて使わせていたが、ノートパソコンを使っていて非常に楽しんでいたようだ。
大部屋のルールがどうか分からないが(時間もかまわず大声で通話する人がいれば、建前上全員禁止、ということもあるだろうが)、とりあえず幸運にも個室に泊まっていたぼくは、何も言わないでiPhoneを当たり前に使っていたし、それをナースやドクターに咎められることもなかった。
昔、藤子・F・不二雄先生が逝去されたとき、スネオ役の声優をやっていた肝付兼太さんが「どこでもドアはインターネットを先取りしていた」と言っていて、いくらなんでもそれはないやろう(どこでもドアの方が全然すごいだろう)と思っていたが、病床でいろいろコンテンツを検索していたら、それもあながち間違いではないな、と思った。
しかしながら、病院はそれほど電波が良くなかった。
LTEを掴まないで、3Gに落ちることもある。
ぼくはIIJmioの激安SIMを使っているが、パケットをガンガン消費するので少々心細かった。
それで、Kindleの本をダウンロードすることを思いついた。
どうせだから、普段読まない大長編を読もうと思ったのである。
無料のコンテンツとして、吉川英治版『三国志』をダウンロードしてみた。
厳密には無料版ではなく、合本版の200円のものである。
紙の本だと文庫で8巻、7千円になる。
iPhone 6 Plusで、字を少し大きめにして読んだ。
下端をタップすると「No. 11135/54598 29%」、「本を読み終わるまで14時間49分」、「章を読み終わるまで4分」という表示が切り替わって出てくる。
電子書籍は、どれぐらいの厚さの本をどれぐらいまで読み進んだかが分からないのが難点だが、一応上のような表示が出る。
字が大きいし、指でスワイプしてページを繰ることが出来るので、普通の文庫本よりかえって読みやすい。
内容は血湧き肉躍る面白さであって、あっという間に本の世界にのめり込んだ。
このおかげで、今回の入院の苦痛は、ものすごく軽減された。
吉川英治版三国志は、三国志演義と通俗三国志を底本にしたと言われている。
三国志演義は、劉備が偽善者過ぎるのと、孔明が化け物じみているのが欠点と言われる。
たしかにそう思うが、それがシチュエーション・コメディの要素を持っていて、かえって面白い。
劉備が敵軍から敗れて落ち延びると、逗留先の領主が「あなたのような名君にこの国を治めてもらいたい、そうすれば私も安心して死ねる」と泣いて頼む。
しかし劉備は「何をおっしゃいますか、あなたはまだ壮健、それにご立派なお子さんがいらっしゃるではありませんか」と固辞する。
後ろで張飛、関羽がじれていても、あくまで「私は仁義に生きる」などと言い張って頑なに固辞するのである。
この繰返しが、面白くて腹を抱えた。
固辞すれば固辞するほど、慕われて、結果的に大国の領主に最短コースで収まっていく。
まあ、夢のあるお話であるが、欲と策に溺れて覇道を突き進めば敵を作るのもまた真実であると思われる。
暴君は敗走中に農家を頼って「水を一杯持ってこい」などと言うが、農民は普段から暴君を憎んでいるので「お前にやる水はねえ。馬の小便でも飲むがいい」と言う。
しかし劉備は税金も多く取らず、普段から善政を敷いているので、行軍中に農村を通っただけで村を挙げての大宴会になる。
だから兵站にも苦労しない。
さすがにそんなことはねえよとも思うのであるが、「いい人は強い」というのは強力なメッセージである。
アベさんも読めばいいんじゃないの。
一方孔明の超能力については現実的な解釈をいちいち加えている。
それよりも孔明の戦略は味がない。
「xxはxx山で3時間待っていよ。敵が来るから3分の1ほど見逃したらある程度斬り殺せ。決して深追いしてはならぬ」
「それから雨が降って止む。xxはxx山で火を焚いて待て。そこをあえてやって来る敵軍を討て」
などと言う。
それって戦略か!? と思う。
こういう命令の仕方では部下は面白くないと思う。
事実、劉備が死んで孔明が実質的な指揮官になると蜀からは人材が輩出しなくなってくる。
最終的に過労で倒れた孔明に家臣が「家には奴がいて、子供がいて、奥さんがいて、主人がいて、それぞれの役目を果たして成り立つ。しかるにあなたは、すべての仕事を自分でしようとなさる」と進言する。
勉強になる。
こういう物語の形式から人生訓を読み取る方が、安いビジネス本などを読むよりもためになる。
いろいろな解釈が成り立つから勉強になるのである。
退院してからも、若いころを思い出して、せいぜい長い小説を読もう。
そう思った。
あと、吉川英治版は妙に和風、日本風であるのが特徴(欠点)であると言われる。
確かに言葉遣いが日本の戦国武将みたいである。
しかしそれが読みやすい。
講談調で、トントントーンと進むので、一気に読める。
昔「富士に立つ影」などを楽しく読んだのを思い出す。
文も短く、簡潔で、いろいろ見習うべきところがあった。
本書は1939年から1943年、まさに戦争の真っ盛りに新聞で連載されたものであるが、中国人、中国の歴史に対する尊敬の念であふれている。
当然ながら今から考えれば封建的、差別的な考えが随所に出てくるが、意外に合理主義的で民主主義的な考えも多い。
これはしょうしょう意外であった。
当時の日本人は、特に新聞に小説を連載するような人は国粋主義で扇動的でイカレている人か、それを政治的に演じている人ばっかりという偏見があったが、そうでもなかったんだなーと反省した。
最後には長々と筆者の解説がついていて「そもそも漢室の復興という大義が正しかったのかどうか」などというテーゼが出てきて仰天した。
漢籍がいっぱい出てくる。
ぼくはアレルギー的に反儒教的な人間であるが、毎日力いっぱい生きている登場人物の言葉として読むと、漢籍もいいものだなと思った。
逆に大きな原理、原則に基づいて人生を生きている、原理、原則を恥ずかしがらずに言ってそれに従って行動する人は、現代日本人に比べて偉いなとも思った。
読み終わるのに3日ほど掛かったが、誠に幸福な読書体験であった。
しかし、現実には入院病棟でみんな携帯を使っている。
親父が入院しているときも、みんな使っていたし、親父も使っていた。
入院中は、どんなに快適でも、言ってしまえば監禁されているようなものだから、気がふさぐが、携帯があるとないとで大違いである。
最近はスマホがあるから、メールが見られるし、TwitterやFacebookができるし、YouTubeが見られる。
本を大量に持ち込んだり、カセットテープを使ったりするよりも、病院や他の患者さんへの迷惑も少ないのではないか。
親父にもUSBスティック型の携帯モデムを買い与えて使わせていたが、ノートパソコンを使っていて非常に楽しんでいたようだ。
大部屋のルールがどうか分からないが(時間もかまわず大声で通話する人がいれば、建前上全員禁止、ということもあるだろうが)、とりあえず幸運にも個室に泊まっていたぼくは、何も言わないでiPhoneを当たり前に使っていたし、それをナースやドクターに咎められることもなかった。
昔、藤子・F・不二雄先生が逝去されたとき、スネオ役の声優をやっていた肝付兼太さんが「どこでもドアはインターネットを先取りしていた」と言っていて、いくらなんでもそれはないやろう(どこでもドアの方が全然すごいだろう)と思っていたが、病床でいろいろコンテンツを検索していたら、それもあながち間違いではないな、と思った。
しかしながら、病院はそれほど電波が良くなかった。
LTEを掴まないで、3Gに落ちることもある。
ぼくはIIJmioの激安SIMを使っているが、パケットをガンガン消費するので少々心細かった。
それで、Kindleの本をダウンロードすることを思いついた。
どうせだから、普段読まない大長編を読もうと思ったのである。
無料のコンテンツとして、吉川英治版『三国志』をダウンロードしてみた。
厳密には無料版ではなく、合本版の200円のものである。
紙の本だと文庫で8巻、7千円になる。
iPhone 6 Plusで、字を少し大きめにして読んだ。
下端をタップすると「No. 11135/54598 29%」、「本を読み終わるまで14時間49分」、「章を読み終わるまで4分」という表示が切り替わって出てくる。
電子書籍は、どれぐらいの厚さの本をどれぐらいまで読み進んだかが分からないのが難点だが、一応上のような表示が出る。
字が大きいし、指でスワイプしてページを繰ることが出来るので、普通の文庫本よりかえって読みやすい。
内容は血湧き肉躍る面白さであって、あっという間に本の世界にのめり込んだ。
このおかげで、今回の入院の苦痛は、ものすごく軽減された。
吉川英治版三国志は、三国志演義と通俗三国志を底本にしたと言われている。
三国志演義は、劉備が偽善者過ぎるのと、孔明が化け物じみているのが欠点と言われる。
たしかにそう思うが、それがシチュエーション・コメディの要素を持っていて、かえって面白い。
劉備が敵軍から敗れて落ち延びると、逗留先の領主が「あなたのような名君にこの国を治めてもらいたい、そうすれば私も安心して死ねる」と泣いて頼む。
しかし劉備は「何をおっしゃいますか、あなたはまだ壮健、それにご立派なお子さんがいらっしゃるではありませんか」と固辞する。
後ろで張飛、関羽がじれていても、あくまで「私は仁義に生きる」などと言い張って頑なに固辞するのである。
この繰返しが、面白くて腹を抱えた。
固辞すれば固辞するほど、慕われて、結果的に大国の領主に最短コースで収まっていく。
まあ、夢のあるお話であるが、欲と策に溺れて覇道を突き進めば敵を作るのもまた真実であると思われる。
暴君は敗走中に農家を頼って「水を一杯持ってこい」などと言うが、農民は普段から暴君を憎んでいるので「お前にやる水はねえ。馬の小便でも飲むがいい」と言う。
しかし劉備は税金も多く取らず、普段から善政を敷いているので、行軍中に農村を通っただけで村を挙げての大宴会になる。
だから兵站にも苦労しない。
さすがにそんなことはねえよとも思うのであるが、「いい人は強い」というのは強力なメッセージである。
アベさんも読めばいいんじゃないの。
一方孔明の超能力については現実的な解釈をいちいち加えている。
それよりも孔明の戦略は味がない。
「xxはxx山で3時間待っていよ。敵が来るから3分の1ほど見逃したらある程度斬り殺せ。決して深追いしてはならぬ」
「それから雨が降って止む。xxはxx山で火を焚いて待て。そこをあえてやって来る敵軍を討て」
などと言う。
それって戦略か!? と思う。
こういう命令の仕方では部下は面白くないと思う。
事実、劉備が死んで孔明が実質的な指揮官になると蜀からは人材が輩出しなくなってくる。
最終的に過労で倒れた孔明に家臣が「家には奴がいて、子供がいて、奥さんがいて、主人がいて、それぞれの役目を果たして成り立つ。しかるにあなたは、すべての仕事を自分でしようとなさる」と進言する。
勉強になる。
こういう物語の形式から人生訓を読み取る方が、安いビジネス本などを読むよりもためになる。
いろいろな解釈が成り立つから勉強になるのである。
退院してからも、若いころを思い出して、せいぜい長い小説を読もう。
そう思った。
あと、吉川英治版は妙に和風、日本風であるのが特徴(欠点)であると言われる。
確かに言葉遣いが日本の戦国武将みたいである。
しかしそれが読みやすい。
講談調で、トントントーンと進むので、一気に読める。
昔「富士に立つ影」などを楽しく読んだのを思い出す。
文も短く、簡潔で、いろいろ見習うべきところがあった。
本書は1939年から1943年、まさに戦争の真っ盛りに新聞で連載されたものであるが、中国人、中国の歴史に対する尊敬の念であふれている。
当然ながら今から考えれば封建的、差別的な考えが随所に出てくるが、意外に合理主義的で民主主義的な考えも多い。
これはしょうしょう意外であった。
当時の日本人は、特に新聞に小説を連載するような人は国粋主義で扇動的でイカレている人か、それを政治的に演じている人ばっかりという偏見があったが、そうでもなかったんだなーと反省した。
最後には長々と筆者の解説がついていて「そもそも漢室の復興という大義が正しかったのかどうか」などというテーゼが出てきて仰天した。
漢籍がいっぱい出てくる。
ぼくはアレルギー的に反儒教的な人間であるが、毎日力いっぱい生きている登場人物の言葉として読むと、漢籍もいいものだなと思った。
逆に大きな原理、原則に基づいて人生を生きている、原理、原則を恥ずかしがらずに言ってそれに従って行動する人は、現代日本人に比べて偉いなとも思った。
読み終わるのに3日ほど掛かったが、誠に幸福な読書体験であった。