このブログ今日で700回である。
わーいななひゃっかーい。
700回目がこんな誰も読んでない回でいいのだろうか。
今後もよろしくお願いします。
わーいななひゃっかーい。
700回目がこんな誰も読んでない回でいいのだろうか。
今後もよろしくお願いします。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回は「湯」を分析した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
「毛」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
「差」(さ)
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさそのものを差す<=これが「間」との違い
第10回は、「死」(し)には以下のような特徴があると分かった。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
第11回は、「酢」(す)には以下のような特徴があると分かった。
「酢」(す)
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・液体である
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
「背」(せ)
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第13回は、「田」(た)には以下のような特徴があると分かった。
「田」(た)
・地面の一区画である<=新しく導入した
・加工されている<=新しく導入した
・人工のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第14回は、「血」(ち)には以下のような特徴があると分かった。
(毛、酢との比較で考えた)
「血」(ち)
・物体である
・自然に存在する(※ここが酢と違う)
・目に見える
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物の一部として内蔵されており、生きている(※ここが毛と違う)
・人間にも動物にもある
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある※訂正!
第15回は、「津」(つ)には以下のような特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
・三重県にある<=「阿」との区別のために必要
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第17回は、「戸」(と)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(家や乗り物など)を区切るために供する<=「帆」との違い
第18回は、「名」(な)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自体独立して存在する(区、差とここが違う)
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
第19回は、「荷」(に)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然にも存在するし、人工でもある(※ここが新しい)
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持つこともあれば、持たないこともある(※ここが新しい)
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
・質量がある(※ここが新しい)
・形は不定である(※ここが新しい)
「ぬ」は飛ばした。
第20回では、「値」(ね)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・ある決まりに従って決められたそのものを指す
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、ある人の勝手で決まる
・数値で決まる(※ここが「区」と違う)
・大きさ、度合いを問題にする(※「実」との違いとして導入)
第21回では、「野」(の)には以下の特徴があるとした。
「野」(の)
・地面の一区画である
・加工されていない<=田との違い
・自然のものである<=田との違い
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
「歯」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
第23回では、「火」(ひ)には以下の特徴があるとした。
「火」(ひ)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある物質に起きる現象を指す
・特に生物に限らず起きる
第24回では、「麩」(ふ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・固体である<=酢との違い
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・ある程度大きさが決まっている<=酢との違い
第25回では、「屁」(へ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に生成される
・目に見えない(※ここが毛、血と違う)
・気体である(※ここが毛、血と違う)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物から生成されるが、すぐに拡散されて無視される(※ここが血、毛と違う)
・人間からも動物からも出る
・厳密には決まっていないが、大体の量が決まっている
・人間に嫌われている(※New!)
第26回では、「帆」(ほ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(船)を動かすために供する<=「戸」との違い
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
第28回では、「実」(み)の意味を定義しそこねたが、以下のような感じであろう。
・物質である
・天然のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある大きなものの一部である
・表面から見て分からないあるものの属性である
・あるかないかを問題にする
第29回では、「無」(む)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在する(※ここが「間」と違う)
・生命を持っていない
・大きさがないか、無限に大きい
第30回では、「目」(め)には以下の特徴があるとした。の特徴をこう考える。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・独立した物体であるが、より大きな別のものに従属している
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と違う)
・動物の種類によって個数が違う(※他のものと違う)
第31回では、「阿」(あ)には以下の様な特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
・熊本県にある<=「津」との区別に必要
第32回では、「矢」(や)には以下の様な特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・独立して動く<=「帆」との違い
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(弓)によって動かされて機能する<=「帆」との違い
第33回では、「湯」(ゆ)には以下の様な特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある
・少量の不純物を除き、一種類の物質でできている(※ここが酢、血と違う)
・ある一定の範囲の温度にある(※ここが酢、血と違う)
★
第34回目の今回は「世」(よ)について研究する。
「夜」とどっちにしようか迷った。
どちらも生硬な言葉であり、あまり単独では使わない。
「夜」は同じ漢字で「よる」という読み方があり、そちらの方がより一般的であるから、「世」を取った。
「世」で思い出すのは、「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という藤原道長の歌である。
三女の威子が皇后になり、三代連続で皇后を藤原氏から出した道長が「この世界は自分のものではないか、満月が真ん丸なように完璧だ」と詠んだ。
そういう解釈で覚えていたのだが、小学6年のとき、教師が「この世界は自分のものだ、自分にできないことは満月を自分の力で欠けさせるぐらいだ」と解釈したので、アレ、と思った。
何十年も経つが、今でもこの授業のことを思い出す。
「世」という言葉を単独ではあまり聞かない。
「世の中」、「世間」とは言う。
どちらも「人間同志がしのぎを削っている、ストレスフルな世界。娑婆(世間っていうのは甘くないんだよ)」とか、「人間たちが集まって自分(お前)をどう評価しているか(世間様に顔向け出来ないようなことはするんじゃないよ)」という意味で使う。
自分以外の他人全員が、総意として自分(お前)の行動を評価し、意にかなえばお小遣いをくれ、かなわなければ冷たくしてくる。
だから自分(お前)は、世間がお前に要求するような身なり、立ち居振る舞いをし、頭をペコペコ下げ、わずかなお小遣いをもらって喜んで生きていくしかないんだよ、という考え方である。
親が子供に、教師が生徒に、先輩が後輩に言う言葉である。
いやな言葉である。
「世間っていうのは(社会っていうのは)甘くないんだよ」という言葉を聞いて思い出すのは、NHKスペシャルとか、クローズアップ現代とか、ああいう社会の問題を深刻ぶって斬ってみせる番組で、バブル入社の先輩が、就職氷河期の大学生に向かって、かりそめの優位を傘に着て、「お前のような考え方は世間では通用しないんだよ」みたいに言う場面である。
つまり、年少者や立場的に弱い人を一方的に断罪するときに、自分の意見として言うのではなく、お前のような人を社会はきっと許さないよ(俺は優しいから許すかもしれないけどね)というふうに、世間なるものに仮託するのである。
そういう「世間」があるのかどうか分からない。
勝手に言う人のフィクションとして存在するのかもしれない。
大体、世間の人が総意として何らかのことを思う時代ってあるのだろうか。
マスコミやデマが世論を喚起することはあるだろう。
戦前の日本は、世間が一丸となって「鬼畜米英」という総意を形成していたと言う。
それが必ずしも良くなかったことは、歴史上はっきりしている。
(「いや、意外に悪くなかったんじゃないか」という考えもあって、そう思っている権力者が今は盛り返しているようだ)
そもそも、学級会でもなく、議長が「では多数決を取ります」と言わないのに、わざわざいい加減な総意を当てにする必要はない。
物理学者ファインマンの自伝「ご冗談でしょうファインマンさん」の中に、婚約者が病気になって治りそうもないとき、最後の日々を彼女とどう過ごすか、という話がある。
その中で「人がどう思おうがどうだっていいじゃないの」という言葉が出てくる。
自分と、いま向き合っている人、好きな人同志で合意が形成していれば、通りすがりの他人が何を言おうがどうだっていいのである。
これは、ビジネスでも就職でもなんでも同じだと思う。
ありもしない「世間」の目を気にして生きてもしょうがない。
自分の価値を見出してくれるお客さんに出会えれば、その人を満足させれば、それでいいような気がする。
と、ここまで書いて思い出したが、「店よし、客良し、世間よし」という近江商人の言葉がある。
これは、お店が繁盛して、顧客が満足するだけではダメで、社会に貢献しなければならない(関係ない人を泣かせたり、環境を汚染したりしてはいけない)という意味だろう。
これもなるほどと思う。
この文章の前半を全否定するようだが、当事者だけが満足していてはダメで、まったく関係ない世界中の第三者の利益も考えなければならないということだろう。
ビジネス書に良く、Win-Win(自分も他人も良くなる)ということが書いているが、それでは足りなくて、Win-Win-Winの関係を築かなければならない、ということか。
1つの文章にまったく矛盾する2つのことを書いてしまったが、世間の動向を気にする、時流に乗る、同調圧力に屈するという意味で世間の目を気にしたり、自分の意見を「他の人はみんなそう思っているよ」というふうに勝手に仮託するのはダメだが、一方で常にエゴイズムに陥らず、世間全体の利益というものも考えなければならない、ということだろう。
でも、どんな独裁政治家も、新興宗教の教祖も、たいていは世間全体の利益というものを、少なくとも原理的には考えて行動するものだと思うので、「自分はいま世間のためを思っているんだ」と思っても、ひとりよがりに陥らないことは、なかなか難しいことではないか。
★
「世」という言葉は、これまで分析してきたどれとも似ていない。
阿とも、胃とも、鵜とも、絵とも、尾とも、蚊とも、木とも、区とも、毛とも、差とも、死とも、酢とも、背とも、田とも、血とも、津とも、手とも、戸とも、名とも、荷とも、値とも、野とも、歯とも、火とも、麩とも、屁とも、帆とも、間とも、実とも、無とも、目とも、藻とも、矢とも、湯とも似てないのである。
まず物質、物体ではない。
この時点で胃、鵜、尾、蚊、木、毛、酢、血、手、戸、歯、麩、帆、目、藻、矢、湯とは似ていない。
次に現象ではない。
この時点で死、火、屁とは似ていない。
次に地域や区域、土地ではない。
この時点で阿、田、津、野、とは似ていない。
これまで分類できなかったものは絵、区、差、背、名、荷、値、間、実、無である。
どれもお互いに似ていない。
何かに似ているもの、何かから類推して考えられるものとは簡単なものだが、そうでないということは難しい言葉であるということだろう。
強いて言えば「間」が似ているか・・・。
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
ということで、「世」は
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・大量の人間が集まって形成していると言われる<=他のものにない特徴
・大きさは不定だが、あまり小さいとは思われない
強いて言えば「自分以外の全部の人のなんとなくの総意」ということだろう。
こんなものは考えるだけ時間の無駄で「そんなものはない」と言ってしまっていいかもしれない。
まあ「こんなものは考えるだけ時間の無駄である」という知見が得られただけでも、考える価値はあった。
あとここで強烈にわかることは、ぼくは世間なるものが、ものすごく、自分でもどうかと思うぐらいフォビア的に嫌いということだw
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
「毛」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
「差」(さ)
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさそのものを差す<=これが「間」との違い
第10回は、「死」(し)には以下のような特徴があると分かった。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
第11回は、「酢」(す)には以下のような特徴があると分かった。
「酢」(す)
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・液体である
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
「背」(せ)
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第13回は、「田」(た)には以下のような特徴があると分かった。
「田」(た)
・地面の一区画である<=新しく導入した
・加工されている<=新しく導入した
・人工のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第14回は、「血」(ち)には以下のような特徴があると分かった。
(毛、酢との比較で考えた)
「血」(ち)
・物体である
・自然に存在する(※ここが酢と違う)
・目に見える
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物の一部として内蔵されており、生きている(※ここが毛と違う)
・人間にも動物にもある
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある※訂正!
第15回は、「津」(つ)には以下のような特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
・三重県にある<=「阿」との区別のために必要
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第17回は、「戸」(と)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(家や乗り物など)を区切るために供する<=「帆」との違い
第18回は、「名」(な)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自体独立して存在する(区、差とここが違う)
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
第19回は、「荷」(に)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然にも存在するし、人工でもある(※ここが新しい)
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持つこともあれば、持たないこともある(※ここが新しい)
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
・質量がある(※ここが新しい)
・形は不定である(※ここが新しい)
「ぬ」は飛ばした。
第20回では、「値」(ね)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・ある決まりに従って決められたそのものを指す
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、ある人の勝手で決まる
・数値で決まる(※ここが「区」と違う)
・大きさ、度合いを問題にする(※「実」との違いとして導入)
第21回では、「野」(の)には以下の特徴があるとした。
「野」(の)
・地面の一区画である
・加工されていない<=田との違い
・自然のものである<=田との違い
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
「歯」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
第23回では、「火」(ひ)には以下の特徴があるとした。
「火」(ひ)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある物質に起きる現象を指す
・特に生物に限らず起きる
第24回では、「麩」(ふ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・固体である<=酢との違い
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・ある程度大きさが決まっている<=酢との違い
第25回では、「屁」(へ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に生成される
・目に見えない(※ここが毛、血と違う)
・気体である(※ここが毛、血と違う)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物から生成されるが、すぐに拡散されて無視される(※ここが血、毛と違う)
・人間からも動物からも出る
・厳密には決まっていないが、大体の量が決まっている
・人間に嫌われている(※New!)
第26回では、「帆」(ほ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(船)を動かすために供する<=「戸」との違い
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
第28回では、「実」(み)の意味を定義しそこねたが、以下のような感じであろう。
・物質である
・天然のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある大きなものの一部である
・表面から見て分からないあるものの属性である
・あるかないかを問題にする
第29回では、「無」(む)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在する(※ここが「間」と違う)
・生命を持っていない
・大きさがないか、無限に大きい
第30回では、「目」(め)には以下の特徴があるとした。の特徴をこう考える。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・独立した物体であるが、より大きな別のものに従属している
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と違う)
・動物の種類によって個数が違う(※他のものと違う)
第31回では、「阿」(あ)には以下の様な特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
・熊本県にある<=「津」との区別に必要
第32回では、「矢」(や)には以下の様な特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・独立して動く<=「帆」との違い
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(弓)によって動かされて機能する<=「帆」との違い
第33回では、「湯」(ゆ)には以下の様な特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある
・少量の不純物を除き、一種類の物質でできている(※ここが酢、血と違う)
・ある一定の範囲の温度にある(※ここが酢、血と違う)
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第34回目の今回は「世」(よ)について研究する。
「夜」とどっちにしようか迷った。
どちらも生硬な言葉であり、あまり単独では使わない。
「夜」は同じ漢字で「よる」という読み方があり、そちらの方がより一般的であるから、「世」を取った。
「世」で思い出すのは、「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という藤原道長の歌である。
三女の威子が皇后になり、三代連続で皇后を藤原氏から出した道長が「この世界は自分のものではないか、満月が真ん丸なように完璧だ」と詠んだ。
そういう解釈で覚えていたのだが、小学6年のとき、教師が「この世界は自分のものだ、自分にできないことは満月を自分の力で欠けさせるぐらいだ」と解釈したので、アレ、と思った。
何十年も経つが、今でもこの授業のことを思い出す。
「世」という言葉を単独ではあまり聞かない。
「世の中」、「世間」とは言う。
どちらも「人間同志がしのぎを削っている、ストレスフルな世界。娑婆(世間っていうのは甘くないんだよ)」とか、「人間たちが集まって自分(お前)をどう評価しているか(世間様に顔向け出来ないようなことはするんじゃないよ)」という意味で使う。
自分以外の他人全員が、総意として自分(お前)の行動を評価し、意にかなえばお小遣いをくれ、かなわなければ冷たくしてくる。
だから自分(お前)は、世間がお前に要求するような身なり、立ち居振る舞いをし、頭をペコペコ下げ、わずかなお小遣いをもらって喜んで生きていくしかないんだよ、という考え方である。
親が子供に、教師が生徒に、先輩が後輩に言う言葉である。
いやな言葉である。
「世間っていうのは(社会っていうのは)甘くないんだよ」という言葉を聞いて思い出すのは、NHKスペシャルとか、クローズアップ現代とか、ああいう社会の問題を深刻ぶって斬ってみせる番組で、バブル入社の先輩が、就職氷河期の大学生に向かって、かりそめの優位を傘に着て、「お前のような考え方は世間では通用しないんだよ」みたいに言う場面である。
つまり、年少者や立場的に弱い人を一方的に断罪するときに、自分の意見として言うのではなく、お前のような人を社会はきっと許さないよ(俺は優しいから許すかもしれないけどね)というふうに、世間なるものに仮託するのである。
そういう「世間」があるのかどうか分からない。
勝手に言う人のフィクションとして存在するのかもしれない。
大体、世間の人が総意として何らかのことを思う時代ってあるのだろうか。
マスコミやデマが世論を喚起することはあるだろう。
戦前の日本は、世間が一丸となって「鬼畜米英」という総意を形成していたと言う。
それが必ずしも良くなかったことは、歴史上はっきりしている。
(「いや、意外に悪くなかったんじゃないか」という考えもあって、そう思っている権力者が今は盛り返しているようだ)
そもそも、学級会でもなく、議長が「では多数決を取ります」と言わないのに、わざわざいい加減な総意を当てにする必要はない。
物理学者ファインマンの自伝「ご冗談でしょうファインマンさん」の中に、婚約者が病気になって治りそうもないとき、最後の日々を彼女とどう過ごすか、という話がある。
その中で「人がどう思おうがどうだっていいじゃないの」という言葉が出てくる。
自分と、いま向き合っている人、好きな人同志で合意が形成していれば、通りすがりの他人が何を言おうがどうだっていいのである。
これは、ビジネスでも就職でもなんでも同じだと思う。
ありもしない「世間」の目を気にして生きてもしょうがない。
自分の価値を見出してくれるお客さんに出会えれば、その人を満足させれば、それでいいような気がする。
と、ここまで書いて思い出したが、「店よし、客良し、世間よし」という近江商人の言葉がある。
これは、お店が繁盛して、顧客が満足するだけではダメで、社会に貢献しなければならない(関係ない人を泣かせたり、環境を汚染したりしてはいけない)という意味だろう。
これもなるほどと思う。
この文章の前半を全否定するようだが、当事者だけが満足していてはダメで、まったく関係ない世界中の第三者の利益も考えなければならないということだろう。
ビジネス書に良く、Win-Win(自分も他人も良くなる)ということが書いているが、それでは足りなくて、Win-Win-Winの関係を築かなければならない、ということか。
1つの文章にまったく矛盾する2つのことを書いてしまったが、世間の動向を気にする、時流に乗る、同調圧力に屈するという意味で世間の目を気にしたり、自分の意見を「他の人はみんなそう思っているよ」というふうに勝手に仮託するのはダメだが、一方で常にエゴイズムに陥らず、世間全体の利益というものも考えなければならない、ということだろう。
でも、どんな独裁政治家も、新興宗教の教祖も、たいていは世間全体の利益というものを、少なくとも原理的には考えて行動するものだと思うので、「自分はいま世間のためを思っているんだ」と思っても、ひとりよがりに陥らないことは、なかなか難しいことではないか。
★
「世」という言葉は、これまで分析してきたどれとも似ていない。
阿とも、胃とも、鵜とも、絵とも、尾とも、蚊とも、木とも、区とも、毛とも、差とも、死とも、酢とも、背とも、田とも、血とも、津とも、手とも、戸とも、名とも、荷とも、値とも、野とも、歯とも、火とも、麩とも、屁とも、帆とも、間とも、実とも、無とも、目とも、藻とも、矢とも、湯とも似てないのである。
まず物質、物体ではない。
この時点で胃、鵜、尾、蚊、木、毛、酢、血、手、戸、歯、麩、帆、目、藻、矢、湯とは似ていない。
次に現象ではない。
この時点で死、火、屁とは似ていない。
次に地域や区域、土地ではない。
この時点で阿、田、津、野、とは似ていない。
これまで分類できなかったものは絵、区、差、背、名、荷、値、間、実、無である。
どれもお互いに似ていない。
何かに似ているもの、何かから類推して考えられるものとは簡単なものだが、そうでないということは難しい言葉であるということだろう。
強いて言えば「間」が似ているか・・・。
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
ということで、「世」は
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・大量の人間が集まって形成していると言われる<=他のものにない特徴
・大きさは不定だが、あまり小さいとは思われない
強いて言えば「自分以外の全部の人のなんとなくの総意」ということだろう。
こんなものは考えるだけ時間の無駄で「そんなものはない」と言ってしまっていいかもしれない。
まあ「こんなものは考えるだけ時間の無駄である」という知見が得られただけでも、考える価値はあった。
あとここで強烈にわかることは、ぼくは世間なるものが、ものすごく、自分でもどうかと思うぐらいフォビア的に嫌いということだw