昭和の御代に、最初につとめた会社にいじわるな上司がいた。
夕方の4時ぐらいに、ちょうど1時間では終わらないぐらいの用事を威圧的に頼んでくる。
今でいうブラック上司だが、当時はむしろ多数派だった。
いまは労働者の人権がうるさく言われているし、平社員もずうずうしくなっているから、バッサリ断れるだろうが、当時はそうではなかった。

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それで、ある日も4時ぐらいに、ちょうどイヤな感じに難しい問題の解決を頼まれた。
でもその日はどうしても定時退社したかった。
昼過ぎに、いわゆるおデート的なものの約束を電話で取り付けていたのである。
なぜこの話を覚えているかというと、この電話の会話を、くだんの上司に聞かれてたような気がするのである。
聞いていながら、わざわざ邪魔するために用事を頼んでくるのである。
人前で、大声で「君ならチャチャッと出来るだろう〜」みたいな口調で用事を頼んで来る。

ぼくは咄嗟に、こちらも他の人に聞こえる声で「今日は残業できないんです・・・病院に検査に行かないといけないから」と言った。
上司は「あっそう・・・本当なの、それは気をつけてね」と言った。
病院の検査であれば認めざるを得ないだろう。
その用事が緊急でないこともぼくは分かっていたので、なんとなく体調わるい感じのポーズを取りながら会社を後にした。

でもそのとき自分で気づいたのだが、少しも楽しくないのである。
お相手の方も近くの会社に勤めていて、その近所においしい店が出来たので、約束した時点ではそこに行けばちょうどいいやと思っていたのだが、この状況では会社の近くは避けたい。
くだんの上司に会いたくないのももちろんだが、上記のやりとりを聞いていたオフィスの人にも会いたくないのである。
結局盛り場まで移動して、定番的な店に行った。
人が多くて、あまり話は盛り上がらず、その日は早々に別れて帰ったのである。

それだけで話は終わらなくて、次の日、くだんの上司と、何人かと一緒に客先に行く用事があった。
行く最中に、上司の人が「昨日は検査の結果どうだったの」、「どこのなに病院」、「気をつけなきゃだめだよ」と殊更に聞いてくるのである。
いやだね、昭和の上司!
ぼくも適当に答えていたが、しばらくいやな思いをした。
こんなことなら残業をしておいた方が、まだ良かった。

でもこの話、誰が悪いかというと、悪いのはぼくである。
堂々と「今日はおデートですから帰ります。スミマセン!」と言えば良かったのである。
今ならそうする。
わざわざ夕方に用事を頼んでくる、イヤな上司なんかに好かれてもしょうがないのである。
そんな依頼を断るために、人前で、ありもしない病院の検査なんかをでっち上げても、後で苦しむだけだ。
上の例は極端だが、一度ウソをつくと、たいていウソをウソで重ねることになる。

こういう、小人が咄嗟につくウソ以外に、もともとウソ前提で成り立っている商売というのも多い。

最初、初任給が15万とかだったときに、不動産屋にアパートを探しに行った。
気に入った物件があったが、家賃が6万円とかだったので、予算オーバーだと思って断った。
「えっ、6万高くないじゃん」と不動産屋のお姉さんが言う。
「ぼく給料15万とかなので・・・給料の3分の1までって言うじゃないですか」と言うと、「そんなのウソウソ! もっと払ってる人いっぱいいるって! みんなやっていけてるって!」と強弁する。
そのやりとりを聞いてお姉さんの上司と思しき人も「そうだよそうだよ!頑張れるって!」と加勢しに来るのである。
15万の給料で6万円のアパートが安いか、高いか、ぼくはよく分からないが、とりあえずこの店にだけはアパートを斡旋してもらうまいと思って、早々にその場を後にした。
正直、「東京は恐ろしいところだな〜」と思った。
何十年も経っているが、そのお姉さんの顔を覚えている。

不動産屋で、ある物件を見て、悩んでいると、不動産屋に電話が掛かってきて「アーその物件、いま悩んでいるお客さんがいるんですけど。ええ。決まらなかったらまたご連絡するので」とかいう会話がタイミング良く始まって、なぜか検討中の物件が大人気になることがある。
ぼくは不動産屋なんかあんまり行かないが、その数少ない経験の中で2回こういうことがあった。
あの電話が演技だそうだ。
カラ電というらしい。
カラ電 営業のテクニックに騙される|賃貸・お部屋探しの裏情報

いや、ぼくが遭遇したのがカラ電だったか確かなことは知らないけど、もし本当にそうなら、相当疲れる商売だと思うのである。
客をハメるために、ありもしない電話に出たふりをして、ああでもない、こうでもないと、いい大人が演技する。
家に帰って、子供に、お父ちゃんこういう商売してるんだよと、あまり胸張って言えない気がするのである。
不動産屋さんという商売がいないと世の中こまると思ってはいるが、こういう経験があると、あまり好感が持てない。
それは不動産業界にとっても不幸なことではないか。

20年前にある小劇場の演劇を見に行くと、場内整理の人が、「今回のお芝居は奥の席が見やすくなっております!」としきりに言っていることがあった。
へえーそんなもんかと思って素直に奥の席に座ったのだが、実はその舞台は、芝居が始まって分かったのだが、奥の方が斜めから見ることになって明らかに見づらい。
知っている人は分かっていて手前に席を取る。
みんながそうすると席が偏るので劇場側は困るし、手前を通って奥に客が流れる構造になっているので、客が滞留してしまう。
それで、係の人が、わざわざ「奥の席が見やすくなっております!」とウソを言うのである。

その日は一番奥で見て、話の内容がよくわからなかったので、結局もう1回見に行ったが、相変わらず同じ人が「奥の席が見やすくなっております!」と言っている。
ぼくは、いやみったらしくその人の真ん前の、一番手前の席にどすんと座ったが、頭の上で「奥の席が見やすくなっております!」と言う声がわんわん響いている。
その日になると事情を知っている人が多くなって、どんどん手前から客が埋まっていくのだが、「奥の席が見やすくなっております!」と言う人は諦めない。
奥の方はあからさまに空いていて、クスクス笑っている客もいる。
楽しくてしかるべき観劇前に、なんともイヤな気持ちになった。

小劇場の仕事なんて、芸術が好きで、お客さんに楽しんでもらおうと思って、お金は儲からないけど、そんなの度外視して、青春を打ち込んでいる人が多いんだと思う。
そういう人が、なぜあえて目先の利害のために、大声でウソをつかないといけないのだろうか。

人生の勝者とはどんな人のことか。
金銭的な成功、名声、健康で長生きすることなど、いろいろな尺度で考えられるが、ぼくは
「ウソをつかないこと」
「ウソをつかなくても許されること」
というのも大きな尺度だと思う。
ウソをついていると、そのウソと矛盾のないウソを同じ人に言わないといけないから、余計なことをどんどん覚えていかないといけなくなる。
ウソがバレるか、どうでも良くなるまで、ずっとウソをついているという、まったく、何の役にも立たない知識を脳に蓄積しないといけないのである。
で、明らかにカルマが貯まって、人間性が落ちる。
人生が楽しくなくなるのである。
であれば、その場では嫌われたり、空気が悪くなったりするかもしれないが、正直にズバっと言った方がいい。
あまりにもバカ正直に傾くのは良くないが、基本正直ベースが正しい。

それはそうなんだが、なかなか難しい。
待ち合わせに遅れると「スミマセン、電車が遅れちゃって」とか咄嗟に言ってしまう。
そんなの調べれば分かるし、濡れ衣を着せられる電鉄会社にも失礼な話である。
いけないと知ってはいるが、ウソをついてしまい、その後で「俺も小人だな。こんなことではダメだな」と思うのである。