7月4日金曜日、横浜駅東口のそごう美術館にて、四谷シモンさんの人形展「SIMONDOLL 四谷シモン」を見に行った。
四谷シモンさんの人形には、澁澤龍彦さんや中井英夫さんの本の装画で親しんでいたが、人形じたいに興味を持って見ることはなかった。
さいきん演劇に興味を持つようになって、かつて状況劇場の女形として出演してテレビドラマなどでも時々姿を見たシモンさんのことを思い出していたおりに、生誕70年を記念して開かれた展示会の案内を見て、行ってみることにした。
平日のお昼だったが、そこそこ人がいた。
ぼくはまったく美術にも不調法な人間であって、美術館など人生で数えるほどしか行かない。
演劇についても同じでだったが、年を取ってから初めて見に行くと、その作品がどうか、という感想より先に、演劇という形式そのものに対して感想を持つ。
たとえば演劇は本とは違って向こうの都合で鑑賞する場所と時間が決められる、映画とは違ってどこに注目して見るかは自分で決める、などである。
人形を見るにあたっても、「人形とは何か」、「人形を見るとはどういうことか」をまず考えた。
人形は、絵とは違って立体である。
光と影によって見え方が違う。
映画とは違って静止している。
彫刻とは違って彩色されていて、関節が動くものもある。
子供が持つ人形は、美術作品とは用途が違う。
それは手でもてあそんだり、服を脱ぎ着させたり、役割を演じさせたりして遊ぶものであり、部屋の好きな場所にポーズをつけて置いて楽しむものだ。
家具や器やオブジェとも違う。
人間の形をしていて、何より瞳があるので、視線と表情を感じる。
どうしようもなく見られているような気がするし、動き出したり喋り出したりするような気がする。
花の一つも飾ってやると喜んで微笑みそうな気がするし、乱暴に床に取り落としたり、埃まみれにしたりすると、恨まれるような気がする。
可愛いし、怖い。
この2つは相反する感情だが、同じ理由で生じるのだ。
他のジャンルの話ばかりで恐縮だが、大東文化大学にある日本唯一の書道学科は、芸術学部ではなく文学部にある。
書は絵のような芸術であるとともに、字であり、文であるので、内容と形式を同時に表現し、理解するということだそうだ。
人形も、布や木やガラスを使って作られた造形芸術であるとともに、人間の形をしているものなので、絵やオブジェを見るのとはどうしても違う。
まず人間の少女や少年として捉えて、顔が可愛い、肢体が美しい、どんな表情をしているということに目が行く。
しばらく見ていると、この人形は何を考えているんだろう、今日までどんな経験をしたのだろう、という感情や想像が芽生えてくる。
展示会に掲げられた解説を見ると、「人形とは何か」はシモンさんが終生追求しているテーマでもあるということだ。
シモンさんの人形は、ドイツのシュルレアリストであるハンス・ベルナールの影響を受けた球体関節人形と呼ばれるもので、独特な表情が特徴だ。
今回の展示会は46体の作品が6つのゾーンに分かれて置かれている。
テーマに沿って並べられた、一体一体の人形を比べて見ているうちに、人形とは何か、どんな面を持っているのか、どんな可能性を持っているのか、という人形の新たな面が、次々に扉を開くように姿を見せる。
まず少女と少年の人形が3体立っている。
どの人形もみな似ているが、改めて比べてみると、ほんの何分の1ミリという違いで驚くほど表情が違う。
ある人形は微笑んでいるようだし、ある人形は怒っているようだ。
少女の人形は金髪が多いが、まっすぐの髪の少女もいるし、巻き髪の少女もいる。
前髪を下ろした少女もいるし、おでこを出した少女もいる。
一つ一つかわいらしい服を着せられている。
革靴など本当にかわいい。
人間用の大きなイヤリングを付けた少女もいる。
固定されて立った人形もいる。
寝かされた人形もいる。
衝撃だったのが「解剖学の少年」という人形で、おなかにつけられたドアをぱちんと開けて、人体模型のような内臓を得意げに見せている。
等身大の大きな人形もいる。
ごく小さい人形もある。
犯された後とおぼしき、破れたストッキングを履いた傷だらけの少女もいる。
「未来と過去のイヴ」と名付けられた人形が5体いる。
これは状況劇場の女形だったころのシモンさんの姿だそうだ。
目録を見ると日本中のいろいろな人に所蔵された同じ人形が、この展示会のために集められていると分かる。
ゼンマイ仕掛けの人形もいる。
(ハンドルを動かしてゼンマイを巻けば動き出したのだろうが、それは出来なかった。)
作りかけの、中身のメカニズムを晒した人形もいる。
大空に飛んで行く天使の人形もいる。
これは「澁澤龍彦に捧ぐ」と副題がついていた。
同じ天使の人形が、体に穴が空いていて木枠をさらしているのもある。
小さなキリストの像もある。
キリストはどこかシモンさんに似ている。
首だけのキリスト像もある。
前面がガラスの箱に入れられていて、箱の内側には金色で天使の絵が書いてある。
シモンさん自身を模した像もある。
木枠を晒したシモンさんもある。
作りかけの、半分だけの少女像もある。
顔の色が塗り残してあって、布の素材感が分かるものもある。
こうして、少しずつ違う人形を見ていると、人形とは何かをあらためて考える。
人形と人間は、どこが違っていて、どこが同じなのか。
人形と、人形になる前の布や木や金属やガラスは、どこが違っていて、どこが同じなのか。
そんなことを繰り返し考える。
布や木や金属、ガラスが人形の形になるだけで、いろいろな考えが喚起されるのも不思議なことだ。
談笑する声が聞こえると思ったら、美術館の中にシモンのアトリエというスペースがあって、そこに四谷シモンさんが座っていて、ファンの人と話していた。
座って待てば順番が回ってくるシステムのようだったが、ひとりひとり積もる話をしていたので、それは断念した。
このゾーンは撮影可能だった。
雑誌、澁澤龍彦さんの肉筆原稿がある。
澁澤さんの手書き文字は意外とカワイイ形だった。
ギリシャの彫刻は、出土したのが色を失っているだけで、もとは色がついていたという、と書かれていた。
展示会は明後日(6日、日曜日)までやっているが、明日5日はトークとその後サイン会があるそうだ。
明日も行こうかな〜
さいきん演劇に興味を持つようになって、かつて状況劇場の女形として出演してテレビドラマなどでも時々姿を見たシモンさんのことを思い出していたおりに、生誕70年を記念して開かれた展示会の案内を見て、行ってみることにした。
平日のお昼だったが、そこそこ人がいた。
ぼくはまったく美術にも不調法な人間であって、美術館など人生で数えるほどしか行かない。
演劇についても同じでだったが、年を取ってから初めて見に行くと、その作品がどうか、という感想より先に、演劇という形式そのものに対して感想を持つ。
たとえば演劇は本とは違って向こうの都合で鑑賞する場所と時間が決められる、映画とは違ってどこに注目して見るかは自分で決める、などである。
人形を見るにあたっても、「人形とは何か」、「人形を見るとはどういうことか」をまず考えた。
人形は、絵とは違って立体である。
光と影によって見え方が違う。
映画とは違って静止している。
彫刻とは違って彩色されていて、関節が動くものもある。
子供が持つ人形は、美術作品とは用途が違う。
それは手でもてあそんだり、服を脱ぎ着させたり、役割を演じさせたりして遊ぶものであり、部屋の好きな場所にポーズをつけて置いて楽しむものだ。
家具や器やオブジェとも違う。
人間の形をしていて、何より瞳があるので、視線と表情を感じる。
どうしようもなく見られているような気がするし、動き出したり喋り出したりするような気がする。
花の一つも飾ってやると喜んで微笑みそうな気がするし、乱暴に床に取り落としたり、埃まみれにしたりすると、恨まれるような気がする。
可愛いし、怖い。
この2つは相反する感情だが、同じ理由で生じるのだ。
他のジャンルの話ばかりで恐縮だが、大東文化大学にある日本唯一の書道学科は、芸術学部ではなく文学部にある。
書は絵のような芸術であるとともに、字であり、文であるので、内容と形式を同時に表現し、理解するということだそうだ。
人形も、布や木やガラスを使って作られた造形芸術であるとともに、人間の形をしているものなので、絵やオブジェを見るのとはどうしても違う。
まず人間の少女や少年として捉えて、顔が可愛い、肢体が美しい、どんな表情をしているということに目が行く。
しばらく見ていると、この人形は何を考えているんだろう、今日までどんな経験をしたのだろう、という感情や想像が芽生えてくる。
展示会に掲げられた解説を見ると、「人形とは何か」はシモンさんが終生追求しているテーマでもあるということだ。
シモンさんの人形は、ドイツのシュルレアリストであるハンス・ベルナールの影響を受けた球体関節人形と呼ばれるもので、独特な表情が特徴だ。
今回の展示会は46体の作品が6つのゾーンに分かれて置かれている。
テーマに沿って並べられた、一体一体の人形を比べて見ているうちに、人形とは何か、どんな面を持っているのか、どんな可能性を持っているのか、という人形の新たな面が、次々に扉を開くように姿を見せる。
まず少女と少年の人形が3体立っている。
どの人形もみな似ているが、改めて比べてみると、ほんの何分の1ミリという違いで驚くほど表情が違う。
ある人形は微笑んでいるようだし、ある人形は怒っているようだ。
少女の人形は金髪が多いが、まっすぐの髪の少女もいるし、巻き髪の少女もいる。
前髪を下ろした少女もいるし、おでこを出した少女もいる。
一つ一つかわいらしい服を着せられている。
革靴など本当にかわいい。
人間用の大きなイヤリングを付けた少女もいる。
固定されて立った人形もいる。
寝かされた人形もいる。
衝撃だったのが「解剖学の少年」という人形で、おなかにつけられたドアをぱちんと開けて、人体模型のような内臓を得意げに見せている。
等身大の大きな人形もいる。
ごく小さい人形もある。
犯された後とおぼしき、破れたストッキングを履いた傷だらけの少女もいる。
「未来と過去のイヴ」と名付けられた人形が5体いる。
これは状況劇場の女形だったころのシモンさんの姿だそうだ。
目録を見ると日本中のいろいろな人に所蔵された同じ人形が、この展示会のために集められていると分かる。
ゼンマイ仕掛けの人形もいる。
(ハンドルを動かしてゼンマイを巻けば動き出したのだろうが、それは出来なかった。)
作りかけの、中身のメカニズムを晒した人形もいる。
大空に飛んで行く天使の人形もいる。
これは「澁澤龍彦に捧ぐ」と副題がついていた。
同じ天使の人形が、体に穴が空いていて木枠をさらしているのもある。
小さなキリストの像もある。
キリストはどこかシモンさんに似ている。
首だけのキリスト像もある。
前面がガラスの箱に入れられていて、箱の内側には金色で天使の絵が書いてある。
シモンさん自身を模した像もある。
木枠を晒したシモンさんもある。
作りかけの、半分だけの少女像もある。
顔の色が塗り残してあって、布の素材感が分かるものもある。
こうして、少しずつ違う人形を見ていると、人形とは何かをあらためて考える。
人形と人間は、どこが違っていて、どこが同じなのか。
人形と、人形になる前の布や木や金属やガラスは、どこが違っていて、どこが同じなのか。
そんなことを繰り返し考える。
布や木や金属、ガラスが人形の形になるだけで、いろいろな考えが喚起されるのも不思議なことだ。
談笑する声が聞こえると思ったら、美術館の中にシモンのアトリエというスペースがあって、そこに四谷シモンさんが座っていて、ファンの人と話していた。
座って待てば順番が回ってくるシステムのようだったが、ひとりひとり積もる話をしていたので、それは断念した。
このゾーンは撮影可能だった。
雑誌、澁澤龍彦さんの肉筆原稿がある。
澁澤さんの手書き文字は意外とカワイイ形だった。
ギリシャの彫刻は、出土したのが色を失っているだけで、もとは色がついていたという、と書かれていた。
展示会は明後日(6日、日曜日)までやっているが、明日5日はトークとその後サイン会があるそうだ。
明日も行こうかな〜