好きなレコードを紹介するコーナー、今日からは『U.K.』を紹介する。
またプログレだ。
またプログレだ。
ぼくはプログレばかり聞いているわけではなく、ふだんはソウルを聴いている。
カーティス・メイフィールドやスライ・ストーンばっかり聴いているのである。
しかし、そういう音楽はバックグラウンドがよく分かっていないので、知ったかぶりの文章を書きにくい。
しかしプログレだと書きやすい。
プログレがよく分かっているというつもりはないが、青春時代に聞いていた音楽なので、いろいろ情報が入っているのである。
U.K.は「従来なかった音楽を創造するプログレ」というよりは、様式美としての「いわゆるあの例のプログレ」である。
しかし、のちの産業ロックよりははるかに創造的だ。
ぼくはプログレが大好きだが産業ロックは大嫌いという難儀な趣味を持っているが、U.K.は前者が後者になる寸前のギリギリの転換点にあるバンドだ。
しかし、ぼくの一生を通じて考えると、このU.K.が一番くりかえし聞いたバンドだと思われる。
プログレで一番好きなバンドは、ダントツでジョン・アンダーソン在籍時のイエスだが、何回も聞きたくなるのはU.K.だ。
このへんが自分でも興味深い。
U.K.は当初、キング・クリムゾンの『レッド』に始まる三部作で、ベース&ボーカルを担当したジョン・ウェットンとドラムのビル・ブルーフォード(本稿からこの表記に変える)が、クリムゾンの再結成セッションを目論んだが、肝心要のロバート・フリップが参加しなかったために作ったバンドと言われている。
これはハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがマイルスの代わりにフレディ・ハバードを入れて結成したV.S.O.P.と同じ経緯で面白い。
ここでウェットンは超美形のキーボード&ヴァイオリン奏者、エディ・ジョブソンを加入させた。
最初はリック・ウェイクマンを入れる予定だったという話だがルックス的にエライ違いである。
ウェットンはまた「U.K.はジョブソンをスーパースターにするために作ったバンドだ」とも言っている。
このへん、当時のミュージシャンは場当たり的にいろいろな発言をしているのでどれが真相か分からない。
だが、ルックスの他に作曲能力、演奏能力、派手なパフォーマンスと、スーパースターになるべくして生まれてきたようなジョブソンを加入させて、商業的に大成功させようという目論見は当然あっただろう。
しかし時代はパンク、ニューウェーブというシンプルで社会的な音楽が流行っていた頃で、U.K.の重厚長大な音楽は流行らなかった。
のちにジョブソンは『ロンリー・ハート』のイエスにも参加しそうになった。
もしトレヴァー・ラビンとエディ・ジョブソンが揃っていたら結構な美形バンドである。
しかしブライアン・レーンの策略によってトニー・ケイおじいちゃんが返り咲き、ジョブソンが怒って脱退してしまった。
そして『ロンリー・ハート』はバカ当たり。
どうもいまいちジョブソンという人は運に見放されている人である。
ウェットンとジョブソンは、イギリスを代表する美形シンガー、ブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックのセッションで出会った。
しかしこのブログは美形美形と書いていて、ぼくは男性のルックスとかそんなに興味がないので気持ち悪くなってきた。
軌道修正しよう。
ここでブルーフォードがギターにアラン・ホールズワースを加入させた。
ホールズワースはソフト・マシーンというプログレというよりジャズ・ロックの大御所的なバンドにも加入していた、超絶技巧のギタリストである。
この第一期U.K.のラインナップは、当初から美しいメロディと様式美を追求するジョブソン、ウェットン組と、複雑なボイシングとインプロヴィゼーションを追求するブルーフォード、ホールズワース組の、呉越同舟、同床異夢的な分裂したバンドであった。
渡辺貞夫がかつて「ジャズは人間関係が悪くてもいい音楽をやるメンバーが集まれば成立する。ロックはメンバーの友情が原動力で成立する」という意味のことを言っていたが、それを思い出す。
しかし、この2対2の分裂した人間関係が、異常な緊張感を持った傑作アルバムを作り出した。
U.K.はUnited Kingdomつまりイギリスのことである。
このバンド名もすごい。
かつてグレッグ・レイクが「プログレという音楽は我々のヨーロッパ人としてのアイデンティティだ」という意味のことを言っていた。
ぼくはこの発言が承服できない。
日本にも四人囃子や美狂乱のようなプログレバンドはいるし、ロバート・フリップやジョン・アンダーソンが別にヨーロッパ人としてのアイデンティティを追求していたかどうかわからないし、そもそもイギリスってヨーロッパなのかという気もするが、そういう「演歌は日本人の心だ」みたいな偏った考え方はあるのかもしれない。
日本盤のアルバム・タイトルは発売当初は『憂国の四士』というものすごい邦題がついていた。
かつてプログレ、ハード・ロック、フュージョンは日本盤にはものすごい邦題がつくのが習わしだったが、このアルバム・タイトルは言い得て妙というか、誰がうまいこと言えと言ったかという感じのハマり過ぎのタイトルである。
1曲目「In The Dead Of Night」は旧邦題は「闇の住人」と言った。
変拍子の代表のようなキレイな変拍子の曲である。
ぼくは2011年の川崎でのライヴを見たが、この曲がオープニングで、ニコニコしながらジョブソンはこの「だん、だん、だん、だだんだだん」を観客に手拍子するようにうながした。
出来るか!!!
ホールズワースは明らかに雇われ仕事であり、このアルバムに参加したことを黒歴史として封印したと思しいが、この曲のギターソロは素晴らしい。
上のビデオの3分ぐらいからである。
ロック史上で一番美しいギターソロだと思う。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」に代表される、小節をまたがって演奏される音符のことを繋留音と言うそうだが、このギターソロは繋留音の極致である。
後半の速弾きも、曲芸的な速弾きではなく、必然性がある音楽的な速弾きで、だんだんスピードが乗って行く感じがすばらしい。
ソロの終わりがサビのバッキングにシームレスにつながるところもカッコイイ。
このギターソロはどう考えても音楽史に残る名フレーズだと思うのだが、書き譜だったのだろうか、アドリブだったのだろうか。
のちのU.K.のライブではホールズワースは毎回アドリブで弾いていたが、のちにホールズワース抜きでジョブソンのプロジェクトとして再結成したU.K.ではギターのアレックス・マカチェックがスタジオ盤の完コピをしていた。
ホールズワースはエディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ヒーローだったという人で、超絶技巧に加えて歌モノのバッキングも素晴らしい。
ブルーフォードが「お前はバッキングなんかやらないでいいんだよ」と言われてバッキングをやめたという話だが、大きなお世話だと思う。
U.K.はプログレとフュージョンの両方の要素を持つバンドだが、音楽は美メロ中心でわかりやすく、歌謡的である。
3曲目のイントロ「プレスト・ヴィヴァーチェ」などはいかにも難しげな曲だが、単なる楽しい演奏であって、あまり思想性は感じられない。
別に思想性がなくてもいいのだが、イエスの『危機』のように、音楽を聞いていることを忘れるようなのめり込み感はない。
このアルバムには他にもインストの「アラスカ」や「Time To Kill」(「時空の中に」という良くわからない邦題がついていた)のようなシングル・カット出来そうな曲が入っているが、圧巻はラスト2曲である。
「Nevermore」(邦題は「ソーホーの夜」。確かに歌詞にそう出てくる)は2011年の日本公演でも演奏されたが、ジョブソンが「一枚目のアルバムの曲は大変だからなかなか演奏できない。アランが書いた難しい曲が多くて・・・(手をひらひらさせながら)でも挑戦してみよう。Nevermore」と言って笑いを取っていた曲だ。
この曲も3分ぐらいからのホールズワースとジョブソンのバトルが素晴らしい。
ホールズワースが食い気味に出てくるところなど実に楽しそうだ。
第一期U.K.がアルバム一枚を残したところでホールズワースとブルーフォードが脱退したのは、ウェットンがより歌謡的で大衆的な音楽をやって大儲けしたかったのと、ブルーフォードがよりジャズ的で高度な音楽をやりたかったのと両方だと思うが、ホールズワースとジョブソンは、強者は強者を知るという感じで、実はたいへん相性が良かったのではないだろうか。
ブルーフォードはこのあと自身のバンドBrufordでアルバム『One Of A Kind』を発表するが、この中の「Forever Until Thursday」、「The Sahara of Snow」という曲はジョブソンが参加しており、1978年のU.K.のライヴでもすでに演奏されていた。
いかにも地味な曲でウェットンが思い描くU.K.のアルバムには入らなかっただろうが、ジョブソンのヴァイオリンとシンセは気品があって良かったのである。
最後の曲は「Mental Medication」(邦題は「瞑想療法」とわりとマトモ)。
この曲では3分半ぐらいからのホールズワースとジョブソンの「重奏」が聞かれる。
まったく同じソロをギターとシンセサイザーでやって重ねているのだ。
ホールズワースが勝手にギターを弾いて、それをジョブソンがシンセでトレースしたのだろうか。
これが楽しい。
実に楽しそうに演奏しているのである。
もしかすると第一期U.K.というのは、ウェットン+ジョブソン vs. ブルーフォード+ホールズワースという図式ではなく、ウェットン+それ以外3人という対立構造だったのかもしれない。
しかし商業的な主導権を握っていたのは?ウェットンで、そのロック指向、歌モノ指向を強く打ち出した結果、ジャズ指向、プレーヤー指向のブルーフォードとホールズワースはバンドを去ったのかもしれない。
(ホールズワースはソロアルバムの中で「俺はジャズなんか好きじゃない」というセリフを入れているが)
よく分からない。
第一期U.K.の唯一のアルバム『U.K.』は、いわゆるスーパー・グループであるU.K.の、スーパー・グループらしいもろさが出ている。
しかしこのギリギリの緊張感が、音楽の魅力につながっていると言えるだろう。
プログレの歴史は非常に少ない人数のプレイヤーが集合離散を繰り返してバンドを作る繰り返しで、前後関係を踏まえて聞くと楽しい。
なお、このアルバムはのちにジョブソンのミックスによるリマスター版が出たが、音がドンシャリのナウい感じになっている。
1999年版がいまだに現役で買えるので、昔の雰囲気を味わいたいならこっちだと思う。
カーティス・メイフィールドやスライ・ストーンばっかり聴いているのである。
しかし、そういう音楽はバックグラウンドがよく分かっていないので、知ったかぶりの文章を書きにくい。
しかしプログレだと書きやすい。
プログレがよく分かっているというつもりはないが、青春時代に聞いていた音楽なので、いろいろ情報が入っているのである。
U.K.は「従来なかった音楽を創造するプログレ」というよりは、様式美としての「いわゆるあの例のプログレ」である。
しかし、のちの産業ロックよりははるかに創造的だ。
ぼくはプログレが大好きだが産業ロックは大嫌いという難儀な趣味を持っているが、U.K.は前者が後者になる寸前のギリギリの転換点にあるバンドだ。
しかし、ぼくの一生を通じて考えると、このU.K.が一番くりかえし聞いたバンドだと思われる。
プログレで一番好きなバンドは、ダントツでジョン・アンダーソン在籍時のイエスだが、何回も聞きたくなるのはU.K.だ。
このへんが自分でも興味深い。
U.K.は当初、キング・クリムゾンの『レッド』に始まる三部作で、ベース&ボーカルを担当したジョン・ウェットンとドラムのビル・ブルーフォード(本稿からこの表記に変える)が、クリムゾンの再結成セッションを目論んだが、肝心要のロバート・フリップが参加しなかったために作ったバンドと言われている。
これはハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがマイルスの代わりにフレディ・ハバードを入れて結成したV.S.O.P.と同じ経緯で面白い。
ここでウェットンは超美形のキーボード&ヴァイオリン奏者、エディ・ジョブソンを加入させた。
最初はリック・ウェイクマンを入れる予定だったという話だがルックス的にエライ違いである。
ウェットンはまた「U.K.はジョブソンをスーパースターにするために作ったバンドだ」とも言っている。
このへん、当時のミュージシャンは場当たり的にいろいろな発言をしているのでどれが真相か分からない。
だが、ルックスの他に作曲能力、演奏能力、派手なパフォーマンスと、スーパースターになるべくして生まれてきたようなジョブソンを加入させて、商業的に大成功させようという目論見は当然あっただろう。
しかし時代はパンク、ニューウェーブというシンプルで社会的な音楽が流行っていた頃で、U.K.の重厚長大な音楽は流行らなかった。
のちにジョブソンは『ロンリー・ハート』のイエスにも参加しそうになった。
もしトレヴァー・ラビンとエディ・ジョブソンが揃っていたら結構な美形バンドである。
しかしブライアン・レーンの策略によってトニー・ケイおじいちゃんが返り咲き、ジョブソンが怒って脱退してしまった。
そして『ロンリー・ハート』はバカ当たり。
どうもいまいちジョブソンという人は運に見放されている人である。
ウェットンとジョブソンは、イギリスを代表する美形シンガー、ブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックのセッションで出会った。
しかしこのブログは美形美形と書いていて、ぼくは男性のルックスとかそんなに興味がないので気持ち悪くなってきた。
軌道修正しよう。
ここでブルーフォードがギターにアラン・ホールズワースを加入させた。
ホールズワースはソフト・マシーンというプログレというよりジャズ・ロックの大御所的なバンドにも加入していた、超絶技巧のギタリストである。
この第一期U.K.のラインナップは、当初から美しいメロディと様式美を追求するジョブソン、ウェットン組と、複雑なボイシングとインプロヴィゼーションを追求するブルーフォード、ホールズワース組の、呉越同舟、同床異夢的な分裂したバンドであった。
渡辺貞夫がかつて「ジャズは人間関係が悪くてもいい音楽をやるメンバーが集まれば成立する。ロックはメンバーの友情が原動力で成立する」という意味のことを言っていたが、それを思い出す。
しかし、この2対2の分裂した人間関係が、異常な緊張感を持った傑作アルバムを作り出した。
U.K.はUnited Kingdomつまりイギリスのことである。
このバンド名もすごい。
かつてグレッグ・レイクが「プログレという音楽は我々のヨーロッパ人としてのアイデンティティだ」という意味のことを言っていた。
ぼくはこの発言が承服できない。
日本にも四人囃子や美狂乱のようなプログレバンドはいるし、ロバート・フリップやジョン・アンダーソンが別にヨーロッパ人としてのアイデンティティを追求していたかどうかわからないし、そもそもイギリスってヨーロッパなのかという気もするが、そういう「演歌は日本人の心だ」みたいな偏った考え方はあるのかもしれない。
日本盤のアルバム・タイトルは発売当初は『憂国の四士』というものすごい邦題がついていた。
かつてプログレ、ハード・ロック、フュージョンは日本盤にはものすごい邦題がつくのが習わしだったが、このアルバム・タイトルは言い得て妙というか、誰がうまいこと言えと言ったかという感じのハマり過ぎのタイトルである。
1曲目「In The Dead Of Night」は旧邦題は「闇の住人」と言った。
変拍子の代表のようなキレイな変拍子の曲である。
ぼくは2011年の川崎でのライヴを見たが、この曲がオープニングで、ニコニコしながらジョブソンはこの「だん、だん、だん、だだんだだん」を観客に手拍子するようにうながした。
出来るか!!!
ホールズワースは明らかに雇われ仕事であり、このアルバムに参加したことを黒歴史として封印したと思しいが、この曲のギターソロは素晴らしい。
上のビデオの3分ぐらいからである。
ロック史上で一番美しいギターソロだと思う。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」に代表される、小節をまたがって演奏される音符のことを繋留音と言うそうだが、このギターソロは繋留音の極致である。
後半の速弾きも、曲芸的な速弾きではなく、必然性がある音楽的な速弾きで、だんだんスピードが乗って行く感じがすばらしい。
ソロの終わりがサビのバッキングにシームレスにつながるところもカッコイイ。
このギターソロはどう考えても音楽史に残る名フレーズだと思うのだが、書き譜だったのだろうか、アドリブだったのだろうか。
のちのU.K.のライブではホールズワースは毎回アドリブで弾いていたが、のちにホールズワース抜きでジョブソンのプロジェクトとして再結成したU.K.ではギターのアレックス・マカチェックがスタジオ盤の完コピをしていた。
ホールズワースはエディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ヒーローだったという人で、超絶技巧に加えて歌モノのバッキングも素晴らしい。
ブルーフォードが「お前はバッキングなんかやらないでいいんだよ」と言われてバッキングをやめたという話だが、大きなお世話だと思う。
U.K.はプログレとフュージョンの両方の要素を持つバンドだが、音楽は美メロ中心でわかりやすく、歌謡的である。
3曲目のイントロ「プレスト・ヴィヴァーチェ」などはいかにも難しげな曲だが、単なる楽しい演奏であって、あまり思想性は感じられない。
別に思想性がなくてもいいのだが、イエスの『危機』のように、音楽を聞いていることを忘れるようなのめり込み感はない。
このアルバムには他にもインストの「アラスカ」や「Time To Kill」(「時空の中に」という良くわからない邦題がついていた)のようなシングル・カット出来そうな曲が入っているが、圧巻はラスト2曲である。
「Nevermore」(邦題は「ソーホーの夜」。確かに歌詞にそう出てくる)は2011年の日本公演でも演奏されたが、ジョブソンが「一枚目のアルバムの曲は大変だからなかなか演奏できない。アランが書いた難しい曲が多くて・・・(手をひらひらさせながら)でも挑戦してみよう。Nevermore」と言って笑いを取っていた曲だ。
この曲も3分ぐらいからのホールズワースとジョブソンのバトルが素晴らしい。
ホールズワースが食い気味に出てくるところなど実に楽しそうだ。
第一期U.K.がアルバム一枚を残したところでホールズワースとブルーフォードが脱退したのは、ウェットンがより歌謡的で大衆的な音楽をやって大儲けしたかったのと、ブルーフォードがよりジャズ的で高度な音楽をやりたかったのと両方だと思うが、ホールズワースとジョブソンは、強者は強者を知るという感じで、実はたいへん相性が良かったのではないだろうか。
ブルーフォードはこのあと自身のバンドBrufordでアルバム『One Of A Kind』を発表するが、この中の「Forever Until Thursday」、「The Sahara of Snow」という曲はジョブソンが参加しており、1978年のU.K.のライヴでもすでに演奏されていた。
いかにも地味な曲でウェットンが思い描くU.K.のアルバムには入らなかっただろうが、ジョブソンのヴァイオリンとシンセは気品があって良かったのである。
最後の曲は「Mental Medication」(邦題は「瞑想療法」とわりとマトモ)。
この曲では3分半ぐらいからのホールズワースとジョブソンの「重奏」が聞かれる。
まったく同じソロをギターとシンセサイザーでやって重ねているのだ。
ホールズワースが勝手にギターを弾いて、それをジョブソンがシンセでトレースしたのだろうか。
これが楽しい。
実に楽しそうに演奏しているのである。
もしかすると第一期U.K.というのは、ウェットン+ジョブソン vs. ブルーフォード+ホールズワースという図式ではなく、ウェットン+それ以外3人という対立構造だったのかもしれない。
しかし商業的な主導権を握っていたのは?ウェットンで、そのロック指向、歌モノ指向を強く打ち出した結果、ジャズ指向、プレーヤー指向のブルーフォードとホールズワースはバンドを去ったのかもしれない。
(ホールズワースはソロアルバムの中で「俺はジャズなんか好きじゃない」というセリフを入れているが)
よく分からない。
第一期U.K.の唯一のアルバム『U.K.』は、いわゆるスーパー・グループであるU.K.の、スーパー・グループらしいもろさが出ている。
しかしこのギリギリの緊張感が、音楽の魅力につながっていると言えるだろう。
プログレの歴史は非常に少ない人数のプレイヤーが集合離散を繰り返してバンドを作る繰り返しで、前後関係を踏まえて聞くと楽しい。
なお、このアルバムはのちにジョブソンのミックスによるリマスター版が出たが、音がドンシャリのナウい感じになっている。
1999年版がいまだに現役で買えるので、昔の雰囲気を味わいたいならこっちだと思う。