前回の続き。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「無」を分析した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
「毛」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
「差」(さ)
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさそのものを差す<=これが「間」との違い
第10回は、「死」(し)には以下のような特徴があると分かった。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
第11回は、「酢」(す)には以下のような特徴があると分かった。
「酢」(す)
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・液体である
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
「背」(せ)
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第13回は、「田」(た)には以下のような特徴があると分かった。
「田」(た)
・地面の一区画である<=新しく導入した
・加工されている<=新しく導入した
・人工のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第14回は、「血」(ち)には以下のような特徴があると分かった。
(毛、酢との比較で考えた)
「血」(ち)
・物体である
・自然に存在する(※ここが酢と違う)
・目に見える
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物の一部として内蔵されており、生きている(※ここが毛と違う)
・人間にも動物にもある
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある※訂正!
第15回は、「津」(つ)には以下のような特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第17回は、「戸」(と)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(家や乗り物など)を区切るために供する<=「帆」との違い
第18回は、「名」(な)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自体独立して存在する(区、差とここが違う)
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
第19回は、「荷」(に)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然にも存在するし、人工でもある(※ここが新しい)
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持つこともあれば、持たないこともある(※ここが新しい)
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
・質量がある(※ここが新しい)
・形は不定である(※ここが新しい)
「ぬ」は飛ばした。
第20回では、「値」(ね)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・ある決まりに従って決められたそのものを指す
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、ある人の勝手で決まる
・数値で決まる(※ここが「区」と違う)
・大きさ、度合いを問題にする(※「実」との違いとして導入)
第21回では、「野」(の)には以下の特徴があるとした。
「野」(の)
・地面の一区画である
・加工されていない<=田との違い
・自然のものである<=田との違い
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
「歯」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
第23回では、「火」(ひ)には以下の特徴があるとした。
「火」(ひ)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある物質に起きる現象を指す
・特に生物に限らず起きる
第24回では、「麩」(ふ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・固体である<=酢との違い
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・ある程度大きさが決まっている<=酢との違い
第25回では、「屁」(へ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に生成される
・目に見えない(※ここが毛、血と違う)
・気体である(※ここが毛、血と違う)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物から生成されるが、すぐに拡散されて無視される(※ここが血、毛と違う)
・人間からも動物からも出る
・厳密には決まっていないが、大体の量が決まっている
・人間に嫌われている(※New!)
第26回では、「帆」(ほ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(船)を動かすために供する<=「戸」との違い
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
第28回では、「実」(み)の意味を定義しそこねたが、以下のような感じであろう。
・物質である
・天然のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある大きなものの一部である
・表面から見て分からないあるものの属性である
・あるかないかを問題にする
第29回では、「無」(む)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在する(※ここが「間」と違う)
・生命を持っていない
・大きさがないか、無限に大きい
あいうえお順で次は「め」であるので、「目」について研究する。
目は動物についている感覚器官の1つで、視覚を司っている。
カメラによく似ている。
カメラが目を模して作られたのかもしれない。
人間に取って視覚はものすごく重大な意味を持つ。
普通に動物として生きているだけでも視覚情報をもとに障害物を避けたり食物を獲得したりするが、人間はさらに多くの情報を視覚から得ようとさせる。
いまこうやって字を書いているのも、情報を視覚の形に凝縮して書いている。
小さい頃から字による情報を入出力して、それで慣れているが、視覚に障害がある方にとっては、この視覚文明社会は生きづらいことだろうと思う。
小説のような物語であれば、朗読音声を聞けば同じ物語体験が得られるような気がする。
最近はテキストの音声化エンジンというのが性能を上げてきて、音声読み上げでネットの文章などをどんどん自然に読み上げてもらえるようになっている。
さいきん気づいたのだが、日本語の「本気と書いてマジと読む」とか、「未来と書いてユメと読む」ようなルビ文化が、ものすごく視覚偏重な文字表現だということだ。
これは朗読出来ない。
ぼくは外斜視である。
左目がグンと左に寄っている。
テリー伊藤とかサルトルみたいな感じである。
外から見ると変に見えるらしい。
「どこ見てるの」と言われる。
だいたい右目を使って見ている。
左目も見えるのだが、あまり使っていない。
世界は2Dである。
流行りの3D映像は飛び出て来ないし、飛んでくるボールもうまくキャッチできない。
しかし、それほど不便には感じない。
感じなかったが、3Dの映画館に行くと、例の眼鏡をかけると思い切り気持ち悪くなってしまうのでまいった。
映画が3Dになることは、映画界にとっては「進歩」であろうが、ぼくにとっては迷惑千万である。
映画界が、進化のために斜視の人を切り捨てたのであれば残念な話だ。
上に文字文化、文章文化は視覚偏重と書いたが、3D映画は両眼視偏重文化である。
文明が進歩するのに、人間の完璧な能力をますます重視する方向で文明が進歩するのは奇妙な気がする。
むしろ隻眼(片目)であれば、3D眼鏡を掛けてどちらかの映像が見られればいいので、それほど違和感はないと思う。
じゃあ斜視者の3D鑑賞は、片目をつぶって見ればいいかもしれない。
まあそれを実験しにわざわざ映画館に行くのも面倒だ。
さいきんは映画をわざわざ映画館に行く必要があるのかという俗流の議論にも傾いてきた。
値段が高いし、無神経な人が周囲にいると気になるし、わざわざ映画館に行く手間と時間がもったいない。
映画は一時停止も巻き戻しも出来ない。
うちのテレビも巨大化して高精細画面になったので、パジャマを着てDVDで昔の映画を見ていたほうが気が利いている気がする。
でも、最近また3Dの映画上映はそれほど流行らなくなったような気がする。
あの3D映画っていうのは本当に立体に作られているんだろうか。
「アバター」のような映画であれば立体的だと迫力があるのもわかるが、普通のロマンチック・コメディを飛び出す映像で見てもしょうがないだろう。
「昔の映画を3D化する」とか、「2Dコンテンツをテレビの機能で3D化する」というのはどうなんだろう。
もともと2台のカメラを使って撮影しているわけではないので、擬似3D化であろう。
ブライアン・デ・パルマ監督のようなスプリットスクリーン(画面を割って複数の場面を表示する)がどうなるかという気がする。
そもそも日本人が洋画を見るときは字幕を見る。
字幕とは映画の中でどの位置に存在するのだろうか。
まあ、ぼくがうまく見ることが出来ない3D映像にとってあれこれ気を揉むのも消耗であるが、いろいろ納得がいかない。
★
カメレオンは両目バラバラに動く。
トンボやハエなどの昆虫は複眼と言って、たくさんの目がびっしりと植わっている。
甲殻類などの動物には単眼と言って1個しかないものもあるそうだ。
★
目は人間/動物の器官である。
人間/動物の器官には一文字の名詞がすごく多い。
胃、尾、毛、背、手、歯をすでに考察した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
★
以上から、「目」の特徴をこう考える。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・独立した物体であるが、より大きな別のものに従属している
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と違う)
・動物の種類によって個数が違う(※他のものと違う)
★
面白いのが「目には目、歯には歯」というハムラビ法典の言葉である。
俗には「やられたらやりかえせ」という復讐を鼓舞する言葉だとされるが、Wikipediaによるとそれは間違いで、「罪にはその量だけの罰を与えるべきだ(やり過ぎるな)」という意味だという。
ハンムラビ法典 - Wikipedia
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カメラによく似ている。
カメラが目を模して作られたのかもしれない。
人間に取って視覚はものすごく重大な意味を持つ。
普通に動物として生きているだけでも視覚情報をもとに障害物を避けたり食物を獲得したりするが、人間はさらに多くの情報を視覚から得ようとさせる。
いまこうやって字を書いているのも、情報を視覚の形に凝縮して書いている。
小さい頃から字による情報を入出力して、それで慣れているが、視覚に障害がある方にとっては、この視覚文明社会は生きづらいことだろうと思う。
小説のような物語であれば、朗読音声を聞けば同じ物語体験が得られるような気がする。
最近はテキストの音声化エンジンというのが性能を上げてきて、音声読み上げでネットの文章などをどんどん自然に読み上げてもらえるようになっている。
さいきん気づいたのだが、日本語の「本気と書いてマジと読む」とか、「未来と書いてユメと読む」ようなルビ文化が、ものすごく視覚偏重な文字表現だということだ。
これは朗読出来ない。
ぼくは外斜視である。
左目がグンと左に寄っている。
テリー伊藤とかサルトルみたいな感じである。
外から見ると変に見えるらしい。
「どこ見てるの」と言われる。
だいたい右目を使って見ている。
左目も見えるのだが、あまり使っていない。
世界は2Dである。
流行りの3D映像は飛び出て来ないし、飛んでくるボールもうまくキャッチできない。
しかし、それほど不便には感じない。
感じなかったが、3Dの映画館に行くと、例の眼鏡をかけると思い切り気持ち悪くなってしまうのでまいった。
映画が3Dになることは、映画界にとっては「進歩」であろうが、ぼくにとっては迷惑千万である。
映画界が、進化のために斜視の人を切り捨てたのであれば残念な話だ。
上に文字文化、文章文化は視覚偏重と書いたが、3D映画は両眼視偏重文化である。
文明が進歩するのに、人間の完璧な能力をますます重視する方向で文明が進歩するのは奇妙な気がする。
むしろ隻眼(片目)であれば、3D眼鏡を掛けてどちらかの映像が見られればいいので、それほど違和感はないと思う。
じゃあ斜視者の3D鑑賞は、片目をつぶって見ればいいかもしれない。
まあそれを実験しにわざわざ映画館に行くのも面倒だ。
さいきんは映画をわざわざ映画館に行く必要があるのかという俗流の議論にも傾いてきた。
値段が高いし、無神経な人が周囲にいると気になるし、わざわざ映画館に行く手間と時間がもったいない。
映画は一時停止も巻き戻しも出来ない。
うちのテレビも巨大化して高精細画面になったので、パジャマを着てDVDで昔の映画を見ていたほうが気が利いている気がする。
でも、最近また3Dの映画上映はそれほど流行らなくなったような気がする。
あの3D映画っていうのは本当に立体に作られているんだろうか。
「アバター」のような映画であれば立体的だと迫力があるのもわかるが、普通のロマンチック・コメディを飛び出す映像で見てもしょうがないだろう。
「昔の映画を3D化する」とか、「2Dコンテンツをテレビの機能で3D化する」というのはどうなんだろう。
もともと2台のカメラを使って撮影しているわけではないので、擬似3D化であろう。
ブライアン・デ・パルマ監督のようなスプリットスクリーン(画面を割って複数の場面を表示する)がどうなるかという気がする。
そもそも日本人が洋画を見るときは字幕を見る。
字幕とは映画の中でどの位置に存在するのだろうか。
まあ、ぼくがうまく見ることが出来ない3D映像にとってあれこれ気を揉むのも消耗であるが、いろいろ納得がいかない。
★
カメレオンは両目バラバラに動く。
トンボやハエなどの昆虫は複眼と言って、たくさんの目がびっしりと植わっている。
甲殻類などの動物には単眼と言って1個しかないものもあるそうだ。
★
目は人間/動物の器官である。
人間/動物の器官には一文字の名詞がすごく多い。
胃、尾、毛、背、手、歯をすでに考察した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
★
以上から、「目」の特徴をこう考える。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・独立した物体であるが、より大きな別のものに従属している
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と違う)
・動物の種類によって個数が違う(※他のものと違う)
★
面白いのが「目には目、歯には歯」というハムラビ法典の言葉である。
俗には「やられたらやりかえせ」という復讐を鼓舞する言葉だとされるが、Wikipediaによるとそれは間違いで、「罪にはその量だけの罰を与えるべきだ(やり過ぎるな)」という意味だという。
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