前回の続き。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「実」を分析した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
「毛」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
「差」(さ)
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさそのものを差す<=これが「間」との違い
第10回は、「死」(し)には以下のような特徴があると分かった。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
第11回は、「酢」(す)には以下のような特徴があると分かった。
「酢」(す)
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・液体である
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第12回は、「背」(せ)には以下のような特徴があると分かった。
「背」(せ)
・動物の表面の一区画である<=新しく導入した
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある<=ここが尾と違う
第13回は、「田」(た)には以下のような特徴があると分かった。
「田」(た)
・地面の一区画である<=新しく導入した
・加工されている<=新しく導入した
・人工のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第14回は、「血」(ち)には以下のような特徴があると分かった。
(毛、酢との比較で考えた)
「血」(ち)
・物体である
・自然に存在する(※ここが酢と違う)
・目に見える
・液体である
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物の一部として内蔵されており、生きている(※ここが毛と違う)
・人間にも動物にもある
・どんなに少ないことも、どんなに多いこともある※訂正!
第15回は、「津」(つ)には以下のような特徴があるとした。
・ある空間の範囲を差す
・世界に一つしかない
・大きさが厳密に定まっている
・人為的なものである
第16回は、「手」(て)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にしかない(※尾との違い)
第17回は、「戸」(と)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(家や乗り物など)を区切るために供する<=「帆」との違い
第18回は、「名」(な)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自体独立して存在する(区、差とここが違う)
・ある決まりに従って決められたそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
第19回は、「荷」(に)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然にも存在するし、人工でもある(※ここが新しい)
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持つこともあれば、持たないこともある(※ここが新しい)
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる
・質量がある(※ここが新しい)
・形は不定である(※ここが新しい)
「ぬ」は飛ばした。
第20回では、「値」(ね)には以下の特徴があるとした。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・ある決まりに従って決められたそのものを指す
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、ある人の勝手で決まる
・数値で決まる(※ここが「区」と違う)
・大きさ、度合いを問題にする(※「実」との違いとして導入)
第21回では、「野」(の)には以下の特徴があるとした。
「野」(の)
・地面の一区画である
・加工されていない<=田との違い
・自然のものである<=田との違い
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・小ささ、大きさに限界があるが、差が大きい<=新しく導入した
第22回では、「歯」(は)には以下の特徴があるとした。
「歯」
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
・硬く、曲げ伸ばしが出来ない<=毛に対して特徴的
第23回では、「火」(ひ)には以下の特徴があるとした。
「火」(ひ)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある物質に起きる現象を指す
・特に生物に限らず起きる
第24回では、「麩」(ふ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・固体である<=酢との違い
・人間が食べるためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っていない
・ある程度大きさが決まっている<=酢との違い
第25回では、「屁」(へ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・自然に生成される
・目に見えない(※ここが毛、血と違う)
・気体である(※ここが毛、血と違う)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生物から生成されるが、すぐに拡散されて無視される(※ここが血、毛と違う)
・人間からも動物からも出る
・厳密には決まっていないが、大体の量が決まっている
・人間に嫌われている(※New!)
第26回では、「帆」(ほ)には以下の特徴があるとした。
・物体である
・人工のものである
・目に見える
・個体である
・食べられない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っていない
・大きさがまあまあ同じである
・母体であるもの(船)を動かすために供する<=「戸」との違い
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
第28回では、「実」(み)の意味を定義しそこねたが、以下のような感じであろう。
・物質である
・天然のものである
・目に見える
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある大きなものの一部である
・表面から見て分からないあるものの属性である
・あるかないかを問題にする
よく分からない。
また考えなおす機会を持とう。
あいうえお順で次は「む」であるので、「無」について研究する。
★
大ネタである。
「間」、「実」、「無」と大ネタが続いている。
ある言葉(日本語)の意味を考えるとき、ぼくは「英語でなんて言うんだろう」ということをきっかけにすることが多いが、「無」などという日本語を英語でなんというか、そういえばうかつに知らないことに今気づいた。
あまり「無」の話なんかしないから、覚える機会がなかったのだ。
英辞郎で調べると、すごくいっぱい出てきたが、なんとなくピンと来るものとしてはnothingnessでいいのだろうか。
無の英訳|英辞郎 on the WEB:アルク
ほかにもnon-existenceとか、いろいろあるけど、要するにものがあることの否定という意味だ。
まず何かあることを考えて、それを否定しないと話が始まらない、ということだろうか。
『ホーキング 宇宙を語る』という本に、宇宙の最初よりも前には何の物質もなく、物質がないから空間もなく、時間もなく、だから「何があったか」を考えるのにそもそも意味がない、というようなことが書いてあった。
ものを考えるのは、いま、いみじくも自分で「【もの】を考える」と書いてしまったが、何かあって、それについて考えるから意味があるので、無という何かがある、ということではないのかもしれない。
でも日本人が(アジア人全般が?)「無」というとき、何らかの仏教的な、高尚っぽいことを考えて、何もないそこにこそ何か意味がある、と考える。
「無」という言葉や文字と、nothingnessの間にはちょっとギャップがあるような気がする。
以前友達が教えてくれたはなしで、宗教家のラジニーシが(カルト宗教という評価もある。よく知らないので深入りしない)、ある旅行者に、宗教的に解脱するにはどうすればいいでしょうか、的なことを言われ「そんなことは簡単です、一日『猿』のことを考えなければいいのです」と言ったそうだ。
その旅行者は「これまで生きてきて、そんなに『猿』のことなんか考えたことはありません。昨日も一昨日も考えませんでした。だから、そんなことは簡単です」と言って、自分のホテルに戻った。
翌日、旅行者は、ラジニーシのところに戻ってきて言った。「ラジニーシさん、あなたは何をしたんですか! 昨日から私は、『猿』のことが頭から離れません!」
一度友達に電話で聞いただけの話を記憶に頼って書いているので不正確である。
同じ話を、別の、もっとずっと昔の宗教家のエピソードとして聞き直した気もする。フワフワしててすみません。
なぜそんなウロ覚えの話をわざわざ書いたかというと、ここに「何も考えない」ことと、その難しさのヒントがあると思ったからである。
ぼくは時々、座禅とか瞑想とかいうことを身につけると便利だなあと思う。
行列などに並んでいるとき、ふっと瞑想できたら退屈しないでいいかなと思うのである。
それで、自分でもときどき真似事をしてみるのだが、必ずうまくいかない。
たいてい、何かを考えてしまう。
少なくとも「何も考えてはいけない」というそのことだけは考えてしまうのである。
逆に、「これからしばらく『猿』のことしか考えないぞ」と心に決めて、一心不乱に『猿』のことを考えて、それがうまくいったら、その『猿』を頭から追い出せば、何も考えないことになるのかもしれない。
でも、意識的に何も考えなかったとしても、心臓は動いているし呼吸はしているし、おなかが空いたら何か食べようとか、用事が済んだら家に帰ろうという意識はバックグラウンドでは考えているのである。
だとしたら、意識のもっとも表層において、いま何も考えていない、という状況に自分を追い込んだとしても、何も考えていないことにはならないのではないか。
★
もっと普通に「物質がないこと」を考える。
宇宙空間や、空気中の分子と分子の間には「無」がある。
前々回検討した「間」と似ている。
逆に「間」との違いが分からない。
「間」は、何か2つ以上のものがあって初めて存在する。
ドーナッツがあって初めて存在する穴のようなものである。
いっぽう「無」は何もなくても存在する。
「間」は有限であって「無」は無限である、間は線分のようなもので、無は直線のようなものだ、と、言える、言えば言えるかもしれない。
★
と、いうことで、「間」との比較において「無」を考えればいいような気がする。
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
それに対して「無」(む)の定義はこんな感じか。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在する(※ここが「間」と違う)
・生命を持っていない
・大きさがないか、無限に大きい
「無」というものはない、という言い方も、循環論法的だけど、ありうる。
人間が、あるものの存在との対比において便宜上考えるものであって、そんなものはないのではないか。
「無」というぐらいで。
「間」は確実にあると思う。
「間がない」状態と「間がある」状態は簡単に峻別できるからだ。
でも「無がある」、「無がない」という言い方は意味が無いし、しない。
それでも「無」という名詞は存在し、我々はその意味も、使い方も、わかったようなつもりで生きている。
不思議なことである。
大ネタである。
「間」、「実」、「無」と大ネタが続いている。
ある言葉(日本語)の意味を考えるとき、ぼくは「英語でなんて言うんだろう」ということをきっかけにすることが多いが、「無」などという日本語を英語でなんというか、そういえばうかつに知らないことに今気づいた。
あまり「無」の話なんかしないから、覚える機会がなかったのだ。
英辞郎で調べると、すごくいっぱい出てきたが、なんとなくピンと来るものとしてはnothingnessでいいのだろうか。
無の英訳|英辞郎 on the WEB:アルク
ほかにもnon-existenceとか、いろいろあるけど、要するにものがあることの否定という意味だ。
まず何かあることを考えて、それを否定しないと話が始まらない、ということだろうか。
『ホーキング 宇宙を語る』という本に、宇宙の最初よりも前には何の物質もなく、物質がないから空間もなく、時間もなく、だから「何があったか」を考えるのにそもそも意味がない、というようなことが書いてあった。
ものを考えるのは、いま、いみじくも自分で「【もの】を考える」と書いてしまったが、何かあって、それについて考えるから意味があるので、無という何かがある、ということではないのかもしれない。
でも日本人が(アジア人全般が?)「無」というとき、何らかの仏教的な、高尚っぽいことを考えて、何もないそこにこそ何か意味がある、と考える。
「無」という言葉や文字と、nothingnessの間にはちょっとギャップがあるような気がする。
以前友達が教えてくれたはなしで、宗教家のラジニーシが(カルト宗教という評価もある。よく知らないので深入りしない)、ある旅行者に、宗教的に解脱するにはどうすればいいでしょうか、的なことを言われ「そんなことは簡単です、一日『猿』のことを考えなければいいのです」と言ったそうだ。
その旅行者は「これまで生きてきて、そんなに『猿』のことなんか考えたことはありません。昨日も一昨日も考えませんでした。だから、そんなことは簡単です」と言って、自分のホテルに戻った。
翌日、旅行者は、ラジニーシのところに戻ってきて言った。「ラジニーシさん、あなたは何をしたんですか! 昨日から私は、『猿』のことが頭から離れません!」
一度友達に電話で聞いただけの話を記憶に頼って書いているので不正確である。
同じ話を、別の、もっとずっと昔の宗教家のエピソードとして聞き直した気もする。フワフワしててすみません。
なぜそんなウロ覚えの話をわざわざ書いたかというと、ここに「何も考えない」ことと、その難しさのヒントがあると思ったからである。
ぼくは時々、座禅とか瞑想とかいうことを身につけると便利だなあと思う。
行列などに並んでいるとき、ふっと瞑想できたら退屈しないでいいかなと思うのである。
それで、自分でもときどき真似事をしてみるのだが、必ずうまくいかない。
たいてい、何かを考えてしまう。
少なくとも「何も考えてはいけない」というそのことだけは考えてしまうのである。
逆に、「これからしばらく『猿』のことしか考えないぞ」と心に決めて、一心不乱に『猿』のことを考えて、それがうまくいったら、その『猿』を頭から追い出せば、何も考えないことになるのかもしれない。
でも、意識的に何も考えなかったとしても、心臓は動いているし呼吸はしているし、おなかが空いたら何か食べようとか、用事が済んだら家に帰ろうという意識はバックグラウンドでは考えているのである。
だとしたら、意識のもっとも表層において、いま何も考えていない、という状況に自分を追い込んだとしても、何も考えていないことにはならないのではないか。
★
もっと普通に「物質がないこと」を考える。
宇宙空間や、空気中の分子と分子の間には「無」がある。
前々回検討した「間」と似ている。
逆に「間」との違いが分からない。
「間」は、何か2つ以上のものがあって初めて存在する。
ドーナッツがあって初めて存在する穴のようなものである。
いっぽう「無」は何もなくても存在する。
「間」は有限であって「無」は無限である、間は線分のようなもので、無は直線のようなものだ、と、言える、言えば言えるかもしれない。
★
と、いうことで、「間」との比較において「無」を考えればいいような気がする。
第27回では、「間」(ま)には以下の特徴があるとした。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものがあると発生する(どちらか一方がなくなると消えてしまう)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・ある時間的、空間的大きさを持っている<=これが「差」との違い
それに対して「無」(む)の定義はこんな感じか。
・概念である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在する(※ここが「間」と違う)
・生命を持っていない
・大きさがないか、無限に大きい
「無」というものはない、という言い方も、循環論法的だけど、ありうる。
人間が、あるものの存在との対比において便宜上考えるものであって、そんなものはないのではないか。
「無」というぐらいで。
「間」は確実にあると思う。
「間がない」状態と「間がある」状態は簡単に峻別できるからだ。
でも「無がある」、「無がない」という言い方は意味が無いし、しない。
それでも「無」という名詞は存在し、我々はその意味も、使い方も、わかったようなつもりで生きている。
不思議なことである。