イエスのアルバムの紹介も、そろそろ終わりである。
この、好きなアルバムの順番に紹介するというシステムは、考えたらあまり良くなくて、終わりの方に行くほど好きじゃないアルバム、と、言うことになるのである。


前回紹介した『こわれもの』はギリ好きなアルバムに入るが、今回の『ロンリー・ハート』はそろそろ「愛蔵相半ばするアルバム」という分類に入る。
あまり普段から好んで聴くことはない。

セミナーで聞いた話だが、公的に発表する文章で、わざわざつまらない本をくさしたり、つまらない映画をくさす必要はないそうだ。
イヤなら聴かなきゃいいのである。
しかし、ここまで青春を燃やしたイエスのアルバムであるから、語る資格はあるだろう。
それに語るべきゴシップ的な話が山ほどあるのだ。

まず、『ドラマ』イエスをトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズが脱退する。
理由はジョンのファンにライヴで受け入れられなかったからと書いてあるファンブログもあるが、真偽のほどは分からない。
まあ、イエスのヴォーカリストを新人が継ぐ、それも、自分なりに歌うのではなくモノマネ的な高音で歌い通すというのは無理がある。

ホーンとダウンズは再びバグルズとしてアルバムを出した後で、ダウンズはブライアン・レーンの提案でジョン・ウェットン(元キング。クリムゾン)、スティーヴ・ハウ(元イエス)、カール・パーマー(元ELP)と「エイジア」を結成。
残ったクリス・スクワイヤー、アラン・ホワイトは、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとXYZ(ex. Yes & Zeppelin)というバンドを立ち上げようとするも失敗。

で、南アフリカ出身の(白人の)天才的なギタリスト、トレヴァー・ラビンが彗星のように現れた。
Rabinという苗字は日本ではラビンと呼んでいるが、ライヴ・ヴィデオでジョンや他のメンバーは「レイバーン」とフランス風に呼んでいる。

若くてエネルギッシュなミュージシャンで、彼とスクワイヤー、ホワイトは「シネマ」というバンドを結成しようとする。
ラビンは数多くの曲のアイディアを持っていて、歌もうまく、あと非常に若々しくてルックスのいいミュージシャンであった。

前後関係が分からないが、ここでキーボードにU.K.で有名なエディー・ジョブソンが一時的に加入したそうだ。
ジョブソンもルックスがものすごくいいので有名な人だ。
この時期ラビンとジョブソンが組んでいたので、これは顔中心に考えるととんでもないスーパー・グループだったと思う。

で、ここで数多くのプログレ・バンドの集合離散に影響を及ぼした仕掛け人マネージャー、ブライアン・レーンがジョン・アンダーソンを呼び戻し、バンド名を「イエス」に変更した。
ということで、どうもこの『90125』バンドはもともとイエスになる予定はなかったようだ。

ラビンにしてみたら、自分が書いた曲を自分で歌う気マンマンだったところに、急にジョン・アンダーソンがやってきてバンド名がイエスになったわけだからさぞかしびっくりしたことだろう。
だまされた、という気持ちにもなったのではないか。

エディー・ジョブソンはそのままイエスのキーボードとして残るつもりだったようだが、レーンがなぜかイエスの初代キーボーディストのトニー・ケイを呼び戻して復帰させたため、エディーは身を引いた。
ファンブログにはエディーが「イエスにキーボードは2人いらないだろう」という言葉を残して憤然とスタジオを去った的なことが書いてあるが真偽のほどは分からない。
ぼくはU.K.が大好きだったので、もしエディーがキーボードのイエスが実現していたら是非聴きたかった。

ケイは新生イエスでほとんど演奏していないとか、ラビンが「このヘタクソ、どけ!」と言って代わりにキーボードを弾いたとか、セッションマンのチャールズ・オリンズ(映画「12モンキーズ」のサントラに参加している人?)が弾いているとか、いろいろな話がある。
ケイはサード・アルバムまでイエスのキーボード(ハモンド・オルガン)を担当し、のちにイエスのカバーを演奏するバンドを結成したりしているから、決して弾けないことはないと思う。

そして、なんとイエスを脱退したトレヴァー・ホーンがプロデューサーとして復帰した。

ホーンは90125の前年の82年にABCを、90125と同じ83年には自ら率いるユニット、アート・オヴ・ノイズを、翌84年には有名なフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを手がけたスーパー・プロデューサーである。
2002年には例のt.A.T.u.を手がけている。

ホーンの特徴はなんといってもシンセサイザーでオーケストラの音を「ジャン!」と出す「オーケストラ・ヒット」(オケヒ)と言われる効果である。
これはフェアライトやシンクラビアといった、天然の音をサンプリングして聴かせるデジタル・シンセサイザーによって実現したものである。
オーケストラの生演奏を録音して演奏する楽器としては磁気テープを使ったメロトロンもあるが、メロトロンは抒情的で大時代な感じを出すのに比べて、オケヒはショッキングで、ポップ・アート的な味がある。

ホーンのプロデュースした作品は基本的にナウいというか、ディスコ/クラブ的で、ケレン味たっぷりのおしゃれな音楽が多い。
また、従来のポップ音楽の構造を皮肉にとらえたというか、しゃれのめしたメタ的な作品が多い。
地球を良い星にするために大真面目に音楽をやっているイエスとは真逆である。
同じプログレでも10ccに近い。

ということで、ラビンとホーン、2人のトレヴァーという、従来のイエスとはまったく様変わりしたメンバーが牽引したアルバムが『90125』である。
『90125』という番号はアトランティックのレコード番号(品番)をそのままタイトルにしたということで、こういうところも従来のテーマ主義のイエスとはまったく違う。
ジャケットもデザイン処理で、まったくテーマ性が感じられない。
しかしまあ、80年代だし、もういつまでもプログレでもあるまいということで、ナウい音楽をやろうという気持ちだったのだろう。

結果的にこれがバカ当たりした。
A面1曲めの「ロンリー・ハート(Owner of the lonely heart)」は、イエス史上空前絶後の、全米ナンバーワンヒットになったのである。



上のヴィデオ・クリップもいかにも80年代である。
当時はこういうやたら凝ったMVが多かった。
ちなみに冒頭の演奏シーンにはトニー・ケイが登場しない。
また、最後にビルの屋上で男を追い詰めるイエス(なぜ?)の中にいる金髪で長髪の男がエディー・ジョブソンということだ。
だとしたら、トニー・ケイはアルバム録音終了後のツアー用のメンバーとしてジョブソンと交代させられたのだろうか。
どう考えてもジョブソンの方が才能もルックスも上だと思うのだが、この人選は本当に分からない。

音楽は、ホーン流のオケヒがふんだんに入っているが、それ以上にポリスに似ている。
当時最もナウい音楽であったポリスの音楽を換骨奪胎して作られた感じである。

途中のソロが、ギターなのかシンセなのかどうしても当時は分からなかった。
たぶんU.K.と同じ手法で、ギターをジョブソンがシンセでトレースしたのだろうと思っていたが、のちにラビンがどうやって演奏したのかを公開している。
ギターにハーモナイザーというエフェクターを使ってあの音を出しているそうだ。



この曲を始め、このアルバムの曲の骨格はほとんどラビンがソロで作っていて、ラビンは後に『90124』という題名で当時のデモ・テープを公開している。



このラビンのヴァージョンを聴いて思うのは、ラビンは作曲も演奏も歌もうまいということと、しかし頭ひとつ抜けた才能が致命的に欠けているということである。
ラビン版の「ロンリー・ハート」は当時出てきた「アメリカン・プログレ(アメリカン・ハード)」の域を出るものではない。

アメリカン・プログレはのちに「産業ロック」と呼ばれるスティクス、カンサス、ジャーニーがやっていた、イエスなどの音楽をもっと大衆的に、カー・ステレオ用に焼き直したロックのことで、シンセサイザーを駆使した雄大で勇壮な音楽という点ではイエスと共通するが、プログレ本来の語義であるところの進歩性に欠けているのが特徴的である。
(元祖プログレのメンバーがブライアン・レーンのマネジメントの元で再結集して教科書的な産業ロックをやっていたバンドが「エイジア」である。)

ラビンの音楽もイエスを踏襲したカッコイイ音楽ではあるが、基本的に踏襲の域を出るものではない。
ジョンがハウ、スクワイヤーとともに、ビートルズやビーチ・ボーイズ、フィフス・ディメンションのような過去のハーモニー・ロックと、ストラヴィンスキーのようなクラシックを組み合わせて、試行錯誤の末に「危機」や「究極」と言った音楽を作ってきたのとは違い、ラビンはスティクスのような産業ロックのバンド同様、イエスの音楽をそのまま踏襲しようとしているように感じられる。
保守的であり、進歩的(プログレッシヴ)ではない。

しかしイエス版の「ロンリー・ハート」はやはり歴史に残るシングルである。
これはホーンのオケヒを中心にした刺激的、攻撃的なプロダクションと、ジョンの飛翔感のあるヴォーカルと、哲学的な、言ってしまえば説教臭い歌詞によるものが大きいとぼくは思う。
もともとイエスではなかった90125イエスであるが、ジョンが参加するとどうしようもなくイエスになってしまったのだろう。

『90125』には他にも、ア・カペラ・ヴァージョンもシングル・カットされた「Leave it」、エレクトリック・シタールが効果を上げている「It can happen」などのヒットがある。





面白いのが「Our Song」で、産業ロックのお手本のような曲だ。
こういう音楽をみんなやりたいんだろ、というジョンの声が聞こえてくるようだ。



この曲はスターシップ(元ジェファーソン・エアプレイン)の「シカゴはロック・シティ(We built this city)」と並んで、ロックの本家である歴史的なバンドが、わざわざ80年代の売れ線ロックを真似し直して、本来こういう音楽は俺たちが考えだしたんだよと言っているような趣きである。

こんな曲を聞いていると、ジョンもスクワイヤーもそれなりにノリノリで、ラビンともそれなりに良好な関係を築いていたように見えるが、長くは続かなかった。
続きは次週。
(続くのかよ!)

ホーンは後年、ビッグ・プロデューサーとなってもジョンへの遺恨は消えなかったようだが、「ロンリー・ハート」はお気に入りだったようで、何回か自分のコンサートで取り上げている。
ひとつは2004年にウェンブリー・スタジアムで開催された「トレバー・ホーン25周年コンサート」で、ラビン、スクワイヤー、ハウ、ホワイト、ジェフ・ダウンズというメンバーがイエスとして演奏している。
オケヒを生オーケストラでやっているのもすごい。
このDVDはアート・オヴ・ノイズも、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(ヴォーカリストはこのコンサートのために急遽オーディション)も、t.A.T.u.も出てくるのでおすすめだ。
(t.A.T.u.がそんなに好きなわけではないが!)



他には、10ccのロル・クレームと共に結成した「プロデューサーズ」というバンドで何回かカヴァーしている。



このバンドのコンサートでは10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」や、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「トゥー・トライブス」、そしてなぜかティアーズ・フォー・フィアーズの「エヴリバディ・ウォンツ・トゥー・ルール・ザ・ワールド」(なぜ!?)など演奏していて楽しい。

なお、90125イエスを再脱退したジョンとハウがウェイクマン、ビル・ブラッフォードと共に結成した「ABWH」のコンサートのオープニングで、ジョンがハウの生ギターで「ロンリー・ハート」を歌っているのも面白い。



(3分半あたり)

オケヒの部分をハウがウェスタン・ギター風に弾いているのが最高である。

現在イエスから3回めの脱退状態のジョンは去年(2013年)アコギ一本で南米をツアーしていて、やはり「ロンリー・ハート」を歌っている。



完全に還暦を超えているのだが、相変わらず歌声は素晴らしい。
それにしても、この曲をここまで気に入って歌っているのだから、イエスに復帰してもいいのではないかとも思うがどうだろうか。

(※2014-04-30追記:トレヴァー・ラビンはイエスを離れてからソロでライヴをやって、自分が管理しているレーベルからアルバムを出している。面白いのが1989年のライヴ・アルバムで、アレンジをイエスそのままでやっている。終わり方もイエスのライヴ版そのままである。観客に歌わせているのも面白い。この曲は本当に流行った。それがラビン、ホーンの2人のトレヴァーにも、そしてジョンにも忘れがたい思い出になっているのだろう。このアルバムは入手可能だが、音質もジャケット・デザインもほぼブートという感じなのが悲しい。)