近所に朝鮮人のおばちゃんがやっていた焼肉屋さんがあった。
その店の思い出を書く。
(おばちゃん本人が自分のことを「チョウセンジン」と言っていたので、そう表記します。)

Korean barbeque-01
年末年始に帰省しない時があって、1月2日の深夜に晩飯を食べるところを探していた。
どうせだから贅沢なものを食べたかった。
シャッターを閉めた商店街に、一件だけ焼肉屋の明かりが灯っていた。

ぼくは川崎市中原区に住んでいる。
川崎市には在日コリアンの人が多い。
特技を活かして焼肉をやっている。
でも1月2日に空いている店は珍しかった。

入ると、おばちゃんが1人でやっていた。
とりあえず生ビールと、レバ刺し(まだ合法だった)とナムルを頼んだ。
しばらくしておばちゃんが「お兄ちゃん、生ビールじゃなくて、瓶ビールじゃだめかい」と言った。
「機械(ビールサーバー)がこわれちゃったんだよ」と言う。
「瓶ビールでもいいけど、機械が壊れたら困らないの」と聞くと「困るよ。今週いっぱい修理は来てくれないんだよ」と言う。
厨房に入れてもらって、機械を見てみることにした。
別に難しい故障ではなくて、注ぎ口をねじ込むときに、斜めにねじ込んで固まってしまったようだ。
ちょっと力を入れてねじると、外れたので、元通りねじ込んだらちゃんとビールが出た。
感謝された。

それからお店が、近所のガテン的なおじちゃんたちで賑わってきた。
ぼくは「コムタンクッパ」を頼んだ。
「面倒臭かったら他のものでもいいよ」というと、言い方がおかしかったらしくて、「いいよいいよ。コムタンクッパ別にめんどくさくないよ」と笑っていた。
他のお客さんにも「このお兄ちゃんはビールの機械を直してくれて・・・コムタンクッパがめんどくさいですかって・・・」と繰り返しているので、ちょっと恥ずかしかった。

それからたまに焼肉屋に行くようになった。
焼肉なんてそうそうしょっちゅう食べるものではないので、月イチぐらいだろうか。

おばちゃんに「この店、どうやったら儲かるかねえ」などと聞かれることがあった。
「うーん」と答えるしかなかった。
今思うと、「とりあえず店をもうちょっときれいに片付けた方がいいんじゃないの」と言えばよかったかもしれないが、なぜか言わなかった。

「お兄ちゃん、うちの子と結婚しないかい。チョウセンジンはいやかね」と言われたこともあった。
「ええっ」
唐突で、驚いた。
そういえば時々お茶をつぎに来る、すげえ今どき風の、少女時代的なきれいな娘さんがいたけど、おばちゃんは絶対おいらの年齢を若く読み間違っていると思う。
「うーん」と口を濁していると、もうその話をしなくなった。

ある日、激しい雨が降っている日に行くと、おばちゃんが憔悴した顔で「お兄ちゃん、こないだ、食い逃げされちゃったよ」と言っていた。
「ええっ」
また驚いた。
別の雨の日に、一人だけお客さんがいた時があって、たくさん焼肉を食べていたが、店の奥に材料を取りに行って戻ったら、いなかったそうだ。
ううん、たしかにこの店で食い逃げするのは難しくないかもしれない。
でも、いかにも困っているおばちゃんから食い逃げするなんて、そういう発想は、正直、なかった。
暗い気持ちになった。

でも味はまあおいしかったし、そこそこガテン的なおじちゃんたちで賑わっていたので、細々ながらもお店をやっていくんだろうなあと思っていた。
ぼくも仕事が忙しくなって、その店に行かなくなった。

ある日、行ってみると、お店が閉まっていた。
「長い間お世話になりました」的な、手描きの貼り紙があった。
並びに焼き鳥屋さんがあったので、そこで焼き鳥を買うついでに、店のおばちゃんに「ここの焼肉屋のおばちゃんどうしたの」と聞いてみた。
なんでも武蔵小杉のNECの寮がなくなって(?)そこの体育会のチームがなくなるので(?)ガタッと客足が減って立ちいかなくなったそうだ。
子供が住んでいるところに(?記憶があいまいである?)引っ越したそうだ。
ううん、NECの体育会の存否がお店の経営に影響するのか・・・?
意外な感じがした。

そのお店に行きだしたのは5〜6年前のことだし、お店がなくなったのも3年以上?前のことだし、記憶もあいまいだが、急に思い出したので、書いてみた。

武蔵小杉は工場や寮が大量にあって、何年も変わらない町だったのだが、最近急に工場や寮が取り壊しになって、タワーマンションが何本も建っている。
ドバイみたいな、ちょっと異様な風景である。
タワーマンションが何本も建ったら、地元のお店も繁盛するんじゃないかと思うが、おばちゃんの焼肉屋は間に合わなかったようだ。

ちなみに、上丸子の方に「ホルモン牛村」という小さな焼肉屋さんがあって、そこはバリバリやっている。
すごく安くて美味しいからおすすめ。