※以下の投稿は、自分のサイトに2003年12月08日に書いた文章を直したものである。

昔、「噂の東京マガジン」というテレビ番組の「噂の現場」というコーナーをたまに見ていた。
基本的に住民対業者、住民対行政、住民対住民の問題をとりあげて、日本の問題を俯瞰しようという趣旨のものだ。

Concrete wall cracking as its steel reinforcing cracks and swells 9061
この番組で、非常に注目した回があって、それはマンション住民の修理トラブルのケースである。
ある大手建設会社(デベロッパーというそうだ)が立てたマンションが某所にあって、管理費の他に高額の修理積立金を月々取られていた。
それがある日、月々の積立金の他に高額な一時金を取られることになった。

住民(マンションオーナー)は意見が2つに割れた。
転売や又貸し目的で買ったオーナーは資産価値を高めるため工事を推進したいと思っている。
一方、自分で住んで終(つい)の棲家にしたい住民は、少々の見栄えの問題なら我慢するから、お金の掛かる工事なんか止めて欲しいと思っている。
ということで、同じマンションの住民間の争いになっている、さてどうしようか、という回であった。

ところが、次週この番組は意外な展開を見せた。
なんと同じデベロッパーが建てた別のマンションが別の県にあり、そこにはたまたま一級建築士が住んでいたので、修理計画が発表されたとき独自の試算を行い、月々の積み立てで十分お釣りが来ることがわかったと言う。
よくよく調べると初期の修理計画を出したのもデべロッパーと同じ系列の会社で(入居時の価格を安く抑えて住民を集め、修理で儲けるという面もあるらしい?)住民組合にもデベロッパー系の人間が多数入っていた。
一級建築士を含む住民は激怒して自主組合を結成し、積立金の通帳を奪い取った。

で、一級建築士が住んでいなかった方のマンションを巡る「噂の東京マガジン」を、一級建築士が住んでいた方のマンションの人がたまたま見ていた。
で、「ウチは同じ系列の別のマンションだけど、もっと安い値段で解決しましたよ」とテレビ局にタレコミを入れたのである。
結局一級建築士がもう一つのマンションの方も査定し、やはり当初の計画よりもはるかに安く修理できることになった。

二回目の番組の最後では「別にマンションに一級建築士さんが住んでなくても、一級建築士さんを一日拘束して、見積もり計画の妥当性をチェックしてもらうだけなら数万円で済むので、セカンド・オピニオンを求めるのはどんな場合でも有効ですよ」という合理的な結論が導かれていて、マスコミが実際に世の中の役に立つこともあるんだなあと思った。

また、全然別の話だが、MSN.co.jpに「ファイナンシャルプランナー」からの提言として、こんな話が載っていた。

あるサラリーマンの親が急病になって、手術、入院ということになり、安からぬ医療費を肩代わりしたが、よくよくレセプト(医療費の領収書のことをなぜかこう呼ぶ)を調べてみると、差額ベッド代が取られていることが分かった。
しかし、その老人が差額ベッドに寝たのは、自分のプライバシーを守るためにオプションで言い出したのではなく、酸素吸入や心電図、ドレン(drain 排泄管)の設備のため、必要に迫られて病院側が行ったものであった。
驚くのは、こういう場合は差額ベッド代は取ってはいけないと法律で定められていることである。
サラリーマンがそのむねを追求すると、病院側はあっさり折れ、差額ベッド代を返金したそうだ。

この話もひどい。
ファイナンシャルプランナーが教えるちょっと役立つ節約のチエというよりは、大病院の社会犯罪にメスを入れるという話で、当然行政や司法が動いて病院を監視すべきではないか。

上記のこの2ケースをどう思われるだろうか。

専門家は市民にその専門的技芸で奉仕するのが使命であるが、この2ケースは専門家が無辜の市民を食い物にしていると言われても仕方ないと思う。
もっとコワいのが、この2ケースは、トラブルになっても払いたくないと思うに十分なほど、法外な料金を請求されたから、ユーザー側の反撃を喚起して無法な専門家を市民が撃退できたという話であるが、もし相手がマイルドな悪人で、「これぐらいだったら仕方ないか」というぐらいの少額のお金を請求した場合は、仕方なく払っていたかもしれない。
そういうケースは、表立ってトラブルになっていないだけで、実際には結構あるのではないだろうか。
知能犯の泥棒は気づかない程度のお金をちょろまかしていくというが、そういうケースがあるのではないだろうか。

よく「節税」や「料金の節約」が暮らしの豆知識的な文脈的で話題になって、ぼくは(自分が苦手なこともあって)ああいうのに血道を上げるのもどうかなと思っていたのだが、不法/合法のグレーゾーンで払わなくてもいい料金を要求されるとなると話は別である。

なぜ人間が市民社会を築くかというと、専門化と分業のためだ。
各々の人がそれぞれ得意分野を極めてそれぞれの力を持ち寄ることで、社会全体の利得を向上することが出来る。
しかし、上記2ケースは専門家が無知な市民を食い物にし、その結果市民は自らの財産を守るためにあらゆる専門知識を勉強しないとあぶない、ということになる。
これでは社会の意義がないし、市民の活力が大きく横道に殺がれてしまうのではないか。

とりあえず大きな金額がかかる難しい問題で、やり直しが聞かないもの(医療や住宅、蓄財、保険など)は、複数の専門家を雇ってセカンド・オピニオンを仰ぐということが必要な世の中ではあるようだ。