先日ツイッターで、以下のサイトが紹介されていた。

幻想の英雄・全文公開

元編集者でジャーナリストの山田順さんのサイトで、山田さんの父である作家、津田信さんの絶版作品がデジタル化、公開されている。
その中の『幻想の英雄』は、フィリピンのルバング島で戦争が終わっても29年間戦いつづけ、奇跡の生還を遂げた小野田寛郎さんについて書かれた本だ。
小野田寛郎 - Wikipedia

小野田さんは先週、1月16日に亡くなった。
享年91歳だったそうだ。
その逝去にちなんで、上のサイトが紹介されたのだろう。

ぼくにとって小野田さんというと、年がバレるが、小学校のときとてつもない「小野田さんブーム」だった。
その前に、グアム島で28年生活していた横井庄一さんの帰還後の「横井さんブーム」もあった。

横井庄一 - Wikipedia

立ち上がったり座ったりするとき、「よっこいしょういち」というギャグがあるが、これは横井庄一さんから来ている。
小野田さんにちなんだ「斧だ、拾おう」というものもあったが、斧が落ちていることはめったにないので、使い道がなかった。

横井さんと小野田さんは全然環境が違う。
横井さんは戦争が終わったことを知っていたが、アメリカ軍に会ったら殺されると思って逃げていた。
グアム島に手掘りの横穴を掘って、その中に身を潜めていた。
「昭和のロビンソン・クルーソー」という渾名もあった。

一方小野田さんは「戦争が終わったと聞いても絶対降伏するな。遊撃(目標を定めずに攻撃すること)しろ」という任務を帯びていて、部下が3人いた。
銃も弾丸も持っていたので、地元の住民を襲ったり、アメリカ軍の基地を襲ったりしていた。
小野田さんのような「残留兵」のことを英語でstrugglerと言うそうだ。

小野田さんを発見した冒険家の鈴木紀夫さんにも興味はつきない。
「パンダ、小野田さん、ヒマラヤの雪男に会うのが夢だ」と語っていて、小野田さんを発見した後は最後の1つ、雪男を探すためにヒマラヤを冒険し、10年のアタックののちに亡くなった。

鈴木紀夫 - Wikipedia

『幻想の英雄』は、直木賞候補にもなった作家の津田氏が、小野田さんの手記の聞き書き、ゴーストライターを努めた、3ヶ月間のことを綴った手記である。

Webで本一冊まるまる公開されているわけだが、何ページになるか、何ページを読んだのかちょっと分からない。
このへんが電子書籍はちょっと満足感がない。

ぼくは思想的なことや歴史的なことよりも、ヤジウマ的な、猟奇的な興味本位で読み始めたが、文章は抜群に面白く、巻を措く能わざる勢いで、土曜日一日で全部読んでしまった。
読後感は複雑で、小野田さんにも津田さんにも、いろいろな感情を持ったが、とりあえず面白く、Webで読めるので、興味があったらご一読をおすすめしたい。

以下は読後感である。
ネタバレを盛大に含む。







『幻想の英雄』本書は小野田さん批判の書であり、自分がゴーストライターを努めた小野田さんの自伝『わがルバン島の30年戦争』が、真実を伝えていなく、小野田さんの虚像がひとり歩きしていることに、結果として加担してしまったことに対する、慙愧の念を吐露したものである。

最初に面白かったのは、小野田さんが帰国して羽田空港に降り立った時に家族よりも先に、我先に名刺を差し出した政治家の姿や、小野田さんが手記を後述する大豪邸の中で遊撃生活の癖で全力疾走してしまうこと、カツラで変装して街に繰り出すところなどの描写である。
小野田さんがいた昭和の風景という感じだ。

この本の最大の焦点は、小野田さんが終戦を本当に知らなかったのかということだろう。
小野田さんは結局自説を翻らせず、自分が思い描いていた日本の姿について荒唐無稽な話をするだけである。
これも面白かった。
面白い、おもしろいと笑っていては不謹慎なようだが、面白いものはしょうがないのである。

読んでいて疑問を持ったのが、津田さんがゴーストライターという立場にいながら、小野田さんの真実を、なんとしても追求しようとすることだ。
出版社は商売でやっているのだし、なにしろゴーストライターなのだから、テキトーにやればいいと思うのだが、ゴーストライターを引き受けざるを得ない理由、そして、取り組んだからには矛盾のない文章にしなければならないという思いも書かれている。
そしてジャーナリストとしてはやはり真実を知りたい、という気持ちも伝わってくる。
けっきょく津田さんから見た真実を描いた本が出版され、こうしてWebで公開されたのだから、日本は言論の自由があっていい国だなあと思う。

lubang