テレビが面白くないと言われて久しい。
ぼくは生粋のテレビっ子であって、寂しい話だ。
面白い番組がなかなか作れない事情もあり、同情する余地もある気がするが、とりあえず本当につまらない。

こんなときは本を読んだり、映画を見たりするのがよいが、最近は本も映画も、なかなか面白いのに当たらない気がする。
ただ、本や映画がテレビに比べていいのは、これらは特に旬というものがなく、いつでも大昔に書かれて、時の流れに磨かれた古典に触れられるところだ。

映画の場合、昔の作品のDVDを家のテレビで見てもイマイチ感じが出ない。ここはやっぱり映画館で見たい。昔は東京には名画座と言うのがあって、500円で名画が見られて重宝したが、それももうあまりない。寂しいことである。

その点本はすばらしい。わずかなお金で一日遠い世界に精神を遊ばせることができる。これは費用対効果、労力対効果を考えると本当にすばらしい。まるでアマゾンがドラえもんのどこでもドアになったような気がする。

特に古典の本はすばらしい。昔の人が書いた本を何百年も経った現代に読んで、おかしい場面で笑い、悲しい場面で泣く。まるでアマゾンがドラえもんのタイム・マシンになったような気がする。でもついさっき同じようなことを書いた気もする。

多くの人が同じ作品を読んでいるので、共通の話題になるところもいい。
最近は「蟹工船」や「カラマーゾフの兄弟」などが多く読まれて話題になったが、もっともっと古典の本が流行ればいいと思う。

ぼくは以前の記事で紹介したが、筒井康隆の「みだれ撃ち涜書ノート」と小林信彦の「小説世界のロビンソン」で古典というか昔の本の紹介を読んで、端から読んでいった。

今日は特にその中から、イギリスのユーモア小説を紹介する。

まずはフィールディング著「トム・ジョウンズ」(Amazon)だ。


岩波文庫全五冊であるが、一気に読んでしまった。ドン・キホーテのような「道中モノ」のパロディでありながら、それ自身がすぐれた道中モノになっているところなど、小林氏の「ちはやふる 奥の細道」(Amazon)にも通底するものがある。

当然こんな長い、昔の、外国語の小説は翻訳書を読むことになる。
翻訳小説は読者にとって、原著者と翻訳者の共同作品だ。
いくら原作が良くても翻訳が読みにくいと台無しだ。
この本の場合、朱牟田夏雄氏の翻訳が本当にすばらしい。
フィールディングの本は日本で言えば筒井康隆、小林信彦、丸谷才一と一緒で、随所に文体の冒険が行われているが、これをいちいち苦心して翻訳してくれているところが応えられない楽しさである。

これで翻訳者・朱牟田夏雄氏のファンになってしまって、数珠繋ぎでハックスリー「恋愛対位法」(Amazon)なども読んだ。



この本も構成が凝っていて面白かった。
訳者つながりという本の読み進めかたはハズれが少ないのでお勧めである。

なお、イギリス小説では最近有名になった、オースティンの「自負と偏見」(Amazon)も本当に面白い。イギリスの女性の結婚をめぐる騒動を描いたものである。



「高慢と偏見」という題名で有名だが(原題はPride And Prejudice)、翻訳は新潮文庫の中野好夫訳「自負と偏見」が圧倒的に読みやすい。

翻訳書は、ある版で読みづらくても、別の訳者のものを読んで見ると俄然面白いことが多いので要注意だ。最近の版は研究が進んでより正確になっているし、版組み自体も読みやすくなっているので、読み直す価値がある。

さらにイーヴリン・ウォーの「ポール・ペニフェザーの冒険」(Amazon)というのも良かった。



学園モノのドタバタだが、ほとんどモンティ・パイソンの世界であって、おなかが痛くなるほど笑ったものだ。

イギリスのユーモア小説は奥が深い。まだまだ読む本がたくさんある。

ところで、古典の小説は、もう内容が半ば教養化しているせいか、表紙の裏や、カバーの袖の部分に、あらすじや結末がバッチリ書かれていることが多いので注意が必要だ。たとえば「主人公の旅先での壮絶な死までを描く」などと書かれていると、主人公が終盤で旅行に行くと、ああこの人もうすぐソーゼツに死んじゃうんだなあ、と思う。感動台無しである。(当然ながら、この例は上の本のどれにも当てはまらない!)読むときは注意したいし、出版社も注意して欲しい。

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