11月10日日曜日、築地駅近くの明石町区民館で開かれた、「TOEICセミナー」に行って来た。
9日にタイポグラフィーの世界に行った翌日である。
すげえな俺!
意識高いな。

ぼくは英会話で長年苦しんでいる。
勉強しても、勉強しても、英語がうまくならないことと、ダイエットしても、ダイエットしても痩せないことは、ぼくの宿痾のようなものだ。
ダイエットは最近ブログを立ち上げたのでうまくいっている。

ということで、TOEICなんかもそのうち受けた方がいいと思うのだが、このセミナーはなんと言っても私淑する晴山陽一先生が、英語だけではなく、本の書き方、人生について語られるということで言ってみた。

晴山先生のセミナーに行くのは2回目だ。
1回目については以下の記事を参照されたい。

 イジハピ! : 【第16回】晴山先生に会ってきた! マッパレ!英語セミナー

10日のセミナーは、まず10:30から晴山先生のお話しがあった。
以下、ぼくの理解したところを、ぼくの言葉で書く。
★★★

自己紹介代わりに、今日は「晴山の取説」をお渡しします。
(A4の紙に、先生の紹介をまとめたもの。他にも最近の活動についての記事が配られた。)

いろいろ書いてます。
127冊本を書いたとか。
だいたい1ヶ月に1冊書いています。
最近は「英語で笑おう」というのを5.5日で書きました。

書くのがうまくなってきたので、速くなったんだと思います。

今日は、英語の話は午後の、神崎先生のセミナーにおまかせして、今年身辺で起こったことについて話します。
これまで生きてきて、今年が一番充実していた。
来年はもっと激しく充実すると思います。

私は科学雑誌のニュートンの会社に23年いて、47歳で会社を辞めたんです。
それで、2ヶ月に一冊、来年の末まで書くと決めました。

人生というのは、何かのキッカケで(※ろうとのような形を逆にした絵を書いて)こういう風にワッと開くことがあるんですね。
音楽も、英語もそうですし、私にとっては英語もそうでした。

独立して13〜4年、とにかく家にこもって書いていました。
3年前までこもっていたんだけど、最近は人前で話すことにしたんです。

3年前、ディスカヴァーの干場さんと、実業之日本の岩本さんとお会いしました。
すると干場さんが「これからはツイッターよ」って言うので、じゃあ家に帰ってやってみるか、と思いました。

翌日岩本さんからメールが来て、「ツイッター英語術」という本を作れませんか、と頼まれました。

私はツイッターで10秒英語塾、略して10塾っていうのをやっています。
(※ハッシュタグは #10juku)
これは題材にしたアメリカのジョークの本です。


飛び出してる付箋とひっこんでる付箋がありますね。
最初にこれは使えるっていうジョークを飛び出させて貼って、使ったやつはちょっと引っ込めて貼り直しています。
こういう風に洋書をネタにしていますが、むろん再構成して工夫しています。

それで、「ツイッターで英会話」という本を、ベルトンさんという方とコラボしようと思って聞いてみた。
そしたら彼が「たまたまある出版社で断られたところでネタがあるよ」って言った。
干場さんと、岩本さんの話を聞きに行って、本当によかったと思います。

先日も、小学校英語の権威の玉井さんのセミナーを聞きにいったら、次の週に小学校英語の本を書けとオーダーがあった。
ラッキーと思った。

「年を取ると、思いが叶うスピードが速くなる」と言われたことがあるんですけど、本当にそうだと思います。
私は、最近は二週間ぐらいです。

読者と会うのは、避けていました。
でも、ツイッターを始めて良かった。
そんなに危険がないと分かった。
変な人は、たまにいるけど、放っておくと、みんなにいじめられて駆逐されます(笑)。

もっと人に会いたいと思って、90分で一生得する英語の話というのを考えました。
そこで松本さんとの出会いがあって、マッパレセミナーを始めました。

松本さんと会うと、世界が広がりました。
安河内先生とも会えて、同じようなことを考えていたと言っていただきました。

もう一つ、大きなものがあって、それがこれです。
(※白板にT___C、と書く)
すぐ分かりますよね。(笑)

私じしんはこれ、一回しか受けてないんです。
それも一夜漬けでした。
それがすごく人生に影響を受けた。
私の仕事によって、数十億円の経済効果があったと思います。
普通はありえない。

もう一つ出会いがあって。
35年前に、大阪に、高2の英語ができない少年がいました。
彼のお母さんが、トレーニングペーパーを買って来た。

それを、夏休みにやったら病みつきになった。
その時、トレーニングペーパーの編集長だったのが私。

35年の時を経て、去年、先生と生徒が出会ったんです。
生徒もハゲていた(笑)。
それがテックスの加藤さんで、共著をすることになった。

ニュートン社で、社長が、ペーパーの本は終わったから、ソフトを作れ、2日で1100単語を覚えるソフトを作れって言ってきました。
それがTLTソフト。

それで、高校生相手に合宿を開きました。
お菓子やパンを山のように置いて、疲れたら公園で遊んでもいい、ただし必ずセーブをしろよって言ってました。
二日目の4時に、ふらふらと女の子が出て来て、先生出来ましたと言った。
彼女はその後、突然東大を目指して現役で受かったそうです。

すると社長が、「これからは『トイック』だ、学生じゃなくて社会人相手に脱皮だ」と言いました。

でも教材作るのに、受けてないとまずいですよね。
急遽受けることになりました。
忘れもしない、1975年の5月25日です。

当時は、英単語のセミナーをするために、日本じゅうを全日空で飛び回っていた。

気がついたら前の日。
息子に、今日だけはテレビでやってるエディ・マーフィの映画、英語で見てもいいかい、と言ったら、イヤだって言われて。
仕方なく日本語でエディ・マーフィの映画を見て。

それからアルクの600問を見た。
難しい。
あれはTOEICの問題より難しいですよね。
問題を調べて寝ちゃったんです。

そしたら、夢のお告げでTOEIC受験10箇条ってのが頭に湧いてきました。
あわてて広告の裏に書いた。
そしたら740点取れました。

そんな話を社長の奥さんにしたら、「本に書いたら」と言われたんです。

で、英単語のセミナーで、みんながソフトをパチパチ打ってる間に、原稿を書いたんです。

その本を出してくれたのが、アスキーで、マーフィーの法則を当てた遠藤さん。

で、遠藤さんが「晴山さんは会社員だから、実名はまずいですよねー」って言われた。
でも私は「いいです、もう会社やめるから」と言っちゃった。

会社を辞めるってのは、私は積極的な乞食になることだと思います。

桐谷さんって方が、作家になったら月に1冊は書かないといけないっておっしゃってました。
たしかに500円の文庫が10000部出ても、20万円にしかならない。
ニュートン社の部長の方が給料がいいわけです。

でも、私は、10年間で10万冊を連続して売ることが出来ました。

ぶっちゃけて言うと、会社員時代には、このまま俺は無名で終わるのかって気持ちが、ちょっとあったんです。
ニュートンの社長も無名です。
俺もちょっとは自信があるのにって気持ちがあった。

でも有名になるのは結構むずかしいですね。
5年書いても、アルクの人がぼくのことを知らない。
つい先日も、小学校の同窓生が私の本を知らないことが分かりました。

★★★

たぶんここまでが半分ぐらい。
このあとは肝心の英語の話だったのだが、練習に夢中になっているので、メモを取らなくなっている。

そのあとランチがあって、午後のセミナーをやる神崎先生と席が近くなった。
神崎先生が大学を出てから、イギリスに留学したときの話をいろいろ伺った。
「この後、この話するんだけど、まあ練習になるから・・・」とおっしゃっていた。

神崎先生は、高校の時は英語は嫌いで、なるべく英語が問われない水産大学に行ったけど、ビートルズやブリティッシュ・ロックが好きで、イギリスへの憧れがあったので、1年のつもりで留学したそうだ。
でも行ってみたら、日本人のコミュニティで飲食店のバイトをすれば、生きていけるということが分かって、語学学校に行きながらフリーターをやって、2年、3年と月日は経ち、結果的に6年間、30歳になるまでイギリス留学したという。
で、帰国したけど、実務経験がないのでなかなか就職できなくて、英会話教室の講師をしているうちに、大学の講師がやってみたくなった。
でも大学の講師は最低でも修士でなければいけないので、働きながら修士号を取るためにテンプル大学の日本校に通って大学院の単位を取り、大学の講師になった。

ぼくはこの話も感銘を受けた。

まず、イギリスでフリーターをやりながら勉強した、というのは、その手があったか!と思った。
日本でも特になりたいものがなくて、フリーターでプラプラしている若者はいっぱいいる。
そういうことだってあるから、ある程度しかたないと思う。
でも、どうせプラプラするなら、イギリスでプラプラすればいい。
日本でプラプラしてても、生きているだけだが、イギリスでプラプラしてたら、英語が身につく。
神崎先生の話は韜晦、謙遜も入っていたと思うので、実際には生半の努力ではなかったと思うが、生き方のヒントになった。

また、完全に社会人になってから、大学で教えるために大学に入り直す、というのもすごい。

晴山先生の、47歳にして独立してベストセラー作家になった話もすごいけど、人生いくらでもチャンスはあって、努力すればいつからでも可能性は開けるという話を聞いて、勇気をもらった。

午後の神崎先生の授業は、ふだん大学で教えられている授業を一部再現することを中心にした、英語中心のものだった。
レッスンはTOEICのテストの、いわゆる「パート4」と言われる会話を中心に行われた。

ハンズオンを中心に実戦的な内容でもあったので、ほとんどメモを取っていない。

ここまで来て気づいたのだが、この日のセミナーは受講者がほとんど英語の先生で、それもTOEICの受験指導に関しては日本でもトップレベルの人が集まっているらしい。

ぼくみたいに英語を学ぶ立場で、本気で、真剣に悩んでいる人は、ぼくぐらいだったらしい。
だから「パート4」、「パート7」、「デルボ」という業界用語が?頻出し、面食らったけど楽しくもあった。

一番勉強になったのは、10行ほどのスキットを、20回朗読する、というものだった。
毎日20回朗読して、1週間も続けると勝手に覚えてしまうと言う。

ここで神崎先生は教室全員を立たせ、20回読んだら座っていい、というルールで、全員で朗読した。
これは疲れたけど勉強になったし、楽しかった。
ジョギングに行ったような心地良い楽しさである。
どんどん口が回るような気がするし、単語も脳に入ってくる。
ただ20回読むだけ。
これはシンプルでいいなあ、と思った。

あと、受講生の方からの質問で、「TOEICの選択問題はまず回答から読め、意味が分からなくても正答を出すことが可能であるというノウハウがあるが、普通文章は上から読むと思う、先生はTOEICの点数が上がれば英語も出来るようになるとお考えですか」というのがあった。
これも重要なポイントだと思う。
神崎先生も「英語ができる方向で教えるようにしている」とおっしゃっていた。

終わってから懇親会。
妙に恋バナが多かった気がするが、英語的にも人生的にも中身が多い話で、面白かった。
ぼくは門外漢でKYなところがあったかもしれないが、暖かく向かえてくださった主催者の大町先生や、晴山先生、神崎先生、そして受講者の先生たちに感謝したい。