先週木曜日に初日を見に行った「月蝕歌劇団」の寺山修司作品公演『盲人書簡』の、土曜日昼の部とその後に行われた「詩劇ライブ」、月曜日(今日)夜の部とその後に行われた「月蝕パーティ」に行ってきた。
好きだな!>自分
いや別に、若い綺麗な女の子がたくさん出てくる、というだけではなくて、いろいろ刺激を受けて面白かった。
この「詩劇ライブ」と「月蝕パーティ」が、最初何をやるのかちょっと分かりにくかったので、実際はどうだったのか書いてみる。
好きだな!>自分
いや別に、若い綺麗な女の子がたくさん出てくる、というだけではなくて、いろいろ刺激を受けて面白かった。
この「詩劇ライブ」と「月蝕パーティ」が、最初何をやるのかちょっと分かりにくかったので、実際はどうだったのか書いてみる。
まず、「詩劇ライブ」は、寺山修司および高取英が作詞、J・A・シーザーが作曲した曲を、女優さんたちが歌い踊るライブである。
前回「百年の孤独」の時は「頭脳警察」のパンタがギターを弾いたそうだ。
(今回は劇団員の友利英太郎さんがギターを弾いた。)
J・A・シーザーと言う人は実に不思議な音楽性である。
プログレのようであったり、唱歌のようであったりする。
舞台となった南阿佐ヶ谷「ひつじ座」はめちゃめちゃ狭く、客と演者の距離が極限まで近いので、緊張しながらも楽しめた。
昔、秋葉原石丸電気でやっていたアイドルのイベントみたい、と言えば分かりやすいだろうか。
(別に分かりやすくねえよ!>自分)
途中物販コーナーがあって、今回ぼくの「推しメン」であった森田彩乃さんと、身長が森田さんの半分ぐらいしかなさそうな柏木亜優美さんが息の合った達者なトークで、おびただしい種類のパンフレット、DVD(昨日の公演を焼いて今日売っていた!)などを売っていた。
後に書く「月蝕パーティ」もそうだが、夜店感覚というか、女子高の文化祭に紛れ込んだような感覚があって、つかの間に青春を取り戻せたような感じがして楽しめた。
「月蝕パーティ」は「第十代目看板女優」である倉敷あみさんの司会によるイベントだった。
内容は歌、踊り、ジャンケン大会、オークションコーナーなどなど。
茶菓も振る舞われてリラックスした雰囲気で行われた。
最大の見せ場は、演出家、高取英氏が直々に出てきて、寺山修司を語るというトークであった。
高取先生は寺山のスタッフでもあった人で、当時の話がいろいろ出てきて面白かった。
以下、録音もメモもせずに内容を記憶の範囲で要約して書く。
ぜんぜん本質を捉えていない可能性が高いが、ぼくの耳にはこう聞こえた、という話でよろしくどうぞ。
★
今日、本当に偶然なんだけど、朝日新聞(10月14日号)の文化欄に寺山修司の特集が乗っていた。

大見出しを見ると「詩美と化す本物以上のニセモノ」と書いている。
新聞って言うのは、昔は偉い人はエライからバカにしちゃいけないって言うので、真面目な、称揚的なことしか書いていなかったものだが、今どきの新聞はここまで書くのかと思って笑ってしまった。
寺山がニセモノというのは、当時から言われていたことで、短歌にしても、一番有名な「マッチ擦る」にしても、いろいろな人のイタダキじゃないか、パクリじゃないか、と言われてきた。
でも、寺山はそういう批判を意に介していなかった。
みなさんだって、きのう新聞の社説に書いてあったことや、テレビのキャスターが言っていたことを、いかにも自分の言葉のようにして政治や世相を語ること、あるじゃないですか。
それと同じで、いろんなものをイタダイて、パクって、コラージュすることが、なぜ悪い、と思っていたんじゃないか。
ぼく(※高取氏)も、コメントを取られている。
「ノーベル賞を取りたくて」という見出しを付けられている。
この中で「デモが嫌いで『あれは結局、権力が欲しいんだ』そうです」と言ったことになってるけど、これはちょっと語弊がある。
デモが嫌いっていうのは、60年代安保の頃の(真面目な?)デモが嫌いなだけで、その後の、反代々木系のトロツキズムの(過激な)デモは面白いと思っていたはずです。
唐十郎さんとケンカしていたと世間の人は思っていたけど、あれはちょっとした誤解でケンカしてガラスを割っちゃって警察を呼ばれちゃっただけで、実は仲が良かった(???)。
(この後しばらく、当時のアングラ四天王や、左翼、赤軍などについての面白すぎる話があったが、用語が理解できなかったのと、記憶が曖昧なので略す。)
三島由紀夫が、寺山は二人のO(オー)を憎んでいる、大江健三郎と小田実だって書いてましたけど(???記憶が曖昧です???)、寺山は小田さんとも仲が良かったです。
石原慎太郎のことも好きだった。
なぜかって言うと、小田さんも石原さんも、アホなところがあるじゃないですか。
アホですよね。
寺山もアホなところがある。
だから、寺山は小田さんも石原さんも好きだったと思います。
大江のことは、たしかに嫌いだった。
あの人は朝日と岩波と新潮にしか書かない。
そういうインテリなところが嫌いだったと思う。
友達になれないタイプ。
一緒にカツ丼食べられないタイプ。
こんな風に、寺山のことを理解して演劇を見ると、また違った感想を持つんじゃないでしょうか。
今日の『盲人書簡』にしても、さいしょ寺山は、とにかく暗黒が描きたい、暗闇の芝居をやりたいって言うので、セリフはまったく重要じゃなかった。
パーッと書いたんです。
でも、その、パーッといい加減に書いたセリフを読み返すと、実に寺山の、少年時代からの寺山自身が詰まっている。
彼は、私(わたくし)を語るべき短歌を詠みながら、私性(わたくしせい)というものを排除すべきだと常に語っていた。
しかし、パーッと掛かれた『盲人書簡』の中に、彼の私性が詰まっている。
『盲人書簡』はご覧になると分かるように、江戸川乱歩の少年探偵団の話です。
これも別に、乱歩に許可なんか取ってないと思います。
でもこれ、よく読んで見ると、小林少年は寺山じゃないか。
寺山ですよね。
そして小林少年の母は、寺山のお母さんじゃないか。
明智探偵は、寺山を見出した中井英夫さんじゃないか。
そして小林少年が恋するマサ子っていう少女は、寺山が少女時代に恋した人の名前です。
ぼくはこの劇を四回やってるんだけど、四回目でやっと、そうだと分かった。
じゃあ、何か質問ありますか。
ぼくは昔からこの、「何か質問ありますか」というのが嫌いで。
「さんまのおいしい季節ですが、どう思いますか」とか、「さいきん失恋したんですけど、どうしたらいいですか」とか、まったく関係ないこと聞かれても困るんでね。
でも、何かあったら、一個ぐらいお受けしますよ。
(寺山さんというと、「ノゾキ事件」を思い出すんですが、何か裏側をご存知ですか?)
もちろん知ってますよ。
あのとき、記者会見の司会をしたのはぼくだから。
あのとき寺山は「上海異人娼館」を撮影するために香港に行っていて、ぼくは国際電話を掛けて打ち合わせをした。
あの時の国際電話の料金、払ってくれるって言ってたのに、まだもらってないなァ。
あれはね、普通の住宅街の私道に、ふらふらっと迷い込んじゃっただけの話です。
その辺の路地が、私道かどうかなんて分からないじゃないですか。
ちょっと入ったら、すぐに警察を呼ばれちゃった。
あれは、その前に「ノック」をやったときに、揉めた家だった(?)。
※注:いま、ワタリウムで「ノック」の展示会をやっているそうだ。
寺山修司 ノック展、 shuuji terayama, Theather
大きなパン屋さんがあって、その裏の小さなパン屋さんを寺山は贔屓にしていた。
寺山は反権力だから、小さい方のパン屋さんを応援していた(?)。
それで大きなパン屋さんに恨みを持たれてたんです。
だから、ふらふらっと私道に迷い込んだところで、警察を呼ばれちゃったんです。
だから、ぼくはあの時も言ったんだけど、「寺山は、ノゾキをしたかったのかもしれないが、まだノゾキはしていなかった」これが真相です。
でも、当時は「路地」っていう連載を持っていたので、助かった。
あれをやってなかったら、ピンチだったんだろうなあ。
記者会見が終わって、四人でメシを食いに行った。
田中さんも一緒にいました。
その時、店が混んでいて待たされたんだけど、寺山は「ノゾキ犯だからって差別してやがるぜ」と言ってみんなを笑わせようとしました。
こういう、洒落た、明るい人だった。
寺山って言うと、うつむいた、クラーイ顔をした写真が出てくる。
あれは、競馬のテレビ中継を真剣に見ているから、暗い顔をしているんです(?)。
本当は陽気な、面白い人だった。
★
的な感じだった。
(たぶんムチャクチャ書いていると思うけどあらかじめゴメンナサイ・・・)
月蝕歌劇団は、詩劇ライブと月蝕パーティもおすすめだ。
特にパーティはおすすめである。
パーティと名づけられているからと言って、別に立食形式で談笑とかそう言うことはないので(当たり前!)安心して行ったらいい。
前回「百年の孤独」の時は「頭脳警察」のパンタがギターを弾いたそうだ。
(今回は劇団員の友利英太郎さんがギターを弾いた。)
J・A・シーザーと言う人は実に不思議な音楽性である。
プログレのようであったり、唱歌のようであったりする。
舞台となった南阿佐ヶ谷「ひつじ座」はめちゃめちゃ狭く、客と演者の距離が極限まで近いので、緊張しながらも楽しめた。
昔、秋葉原石丸電気でやっていたアイドルのイベントみたい、と言えば分かりやすいだろうか。
(別に分かりやすくねえよ!>自分)
途中物販コーナーがあって、今回ぼくの「推しメン」であった森田彩乃さんと、身長が森田さんの半分ぐらいしかなさそうな柏木亜優美さんが息の合った達者なトークで、おびただしい種類のパンフレット、DVD(昨日の公演を焼いて今日売っていた!)などを売っていた。
後に書く「月蝕パーティ」もそうだが、夜店感覚というか、女子高の文化祭に紛れ込んだような感覚があって、つかの間に青春を取り戻せたような感じがして楽しめた。
「月蝕パーティ」は「第十代目看板女優」である倉敷あみさんの司会によるイベントだった。
内容は歌、踊り、ジャンケン大会、オークションコーナーなどなど。
茶菓も振る舞われてリラックスした雰囲気で行われた。
最大の見せ場は、演出家、高取英氏が直々に出てきて、寺山修司を語るというトークであった。
高取先生は寺山のスタッフでもあった人で、当時の話がいろいろ出てきて面白かった。
以下、録音もメモもせずに内容を記憶の範囲で要約して書く。
ぜんぜん本質を捉えていない可能性が高いが、ぼくの耳にはこう聞こえた、という話でよろしくどうぞ。
★
今日、本当に偶然なんだけど、朝日新聞(10月14日号)の文化欄に寺山修司の特集が乗っていた。

大見出しを見ると「詩美と化す本物以上のニセモノ」と書いている。
新聞って言うのは、昔は偉い人はエライからバカにしちゃいけないって言うので、真面目な、称揚的なことしか書いていなかったものだが、今どきの新聞はここまで書くのかと思って笑ってしまった。
寺山がニセモノというのは、当時から言われていたことで、短歌にしても、一番有名な「マッチ擦る」にしても、いろいろな人のイタダキじゃないか、パクリじゃないか、と言われてきた。
でも、寺山はそういう批判を意に介していなかった。
みなさんだって、きのう新聞の社説に書いてあったことや、テレビのキャスターが言っていたことを、いかにも自分の言葉のようにして政治や世相を語ること、あるじゃないですか。
それと同じで、いろんなものをイタダイて、パクって、コラージュすることが、なぜ悪い、と思っていたんじゃないか。
ぼく(※高取氏)も、コメントを取られている。
「ノーベル賞を取りたくて」という見出しを付けられている。
この中で「デモが嫌いで『あれは結局、権力が欲しいんだ』そうです」と言ったことになってるけど、これはちょっと語弊がある。
デモが嫌いっていうのは、60年代安保の頃の(真面目な?)デモが嫌いなだけで、その後の、反代々木系のトロツキズムの(過激な)デモは面白いと思っていたはずです。
唐十郎さんとケンカしていたと世間の人は思っていたけど、あれはちょっとした誤解でケンカしてガラスを割っちゃって警察を呼ばれちゃっただけで、実は仲が良かった(???)。
(この後しばらく、当時のアングラ四天王や、左翼、赤軍などについての面白すぎる話があったが、用語が理解できなかったのと、記憶が曖昧なので略す。)
三島由紀夫が、寺山は二人のO(オー)を憎んでいる、大江健三郎と小田実だって書いてましたけど(???記憶が曖昧です???)、寺山は小田さんとも仲が良かったです。
石原慎太郎のことも好きだった。
なぜかって言うと、小田さんも石原さんも、アホなところがあるじゃないですか。
アホですよね。
寺山もアホなところがある。
だから、寺山は小田さんも石原さんも好きだったと思います。
大江のことは、たしかに嫌いだった。
あの人は朝日と岩波と新潮にしか書かない。
そういうインテリなところが嫌いだったと思う。
友達になれないタイプ。
一緒にカツ丼食べられないタイプ。
こんな風に、寺山のことを理解して演劇を見ると、また違った感想を持つんじゃないでしょうか。
今日の『盲人書簡』にしても、さいしょ寺山は、とにかく暗黒が描きたい、暗闇の芝居をやりたいって言うので、セリフはまったく重要じゃなかった。
パーッと書いたんです。
でも、その、パーッといい加減に書いたセリフを読み返すと、実に寺山の、少年時代からの寺山自身が詰まっている。
彼は、私(わたくし)を語るべき短歌を詠みながら、私性(わたくしせい)というものを排除すべきだと常に語っていた。
しかし、パーッと掛かれた『盲人書簡』の中に、彼の私性が詰まっている。
『盲人書簡』はご覧になると分かるように、江戸川乱歩の少年探偵団の話です。
これも別に、乱歩に許可なんか取ってないと思います。
でもこれ、よく読んで見ると、小林少年は寺山じゃないか。
寺山ですよね。
そして小林少年の母は、寺山のお母さんじゃないか。
明智探偵は、寺山を見出した中井英夫さんじゃないか。
そして小林少年が恋するマサ子っていう少女は、寺山が少女時代に恋した人の名前です。
ぼくはこの劇を四回やってるんだけど、四回目でやっと、そうだと分かった。
じゃあ、何か質問ありますか。
ぼくは昔からこの、「何か質問ありますか」というのが嫌いで。
「さんまのおいしい季節ですが、どう思いますか」とか、「さいきん失恋したんですけど、どうしたらいいですか」とか、まったく関係ないこと聞かれても困るんでね。
でも、何かあったら、一個ぐらいお受けしますよ。
(寺山さんというと、「ノゾキ事件」を思い出すんですが、何か裏側をご存知ですか?)
もちろん知ってますよ。
あのとき、記者会見の司会をしたのはぼくだから。
あのとき寺山は「上海異人娼館」を撮影するために香港に行っていて、ぼくは国際電話を掛けて打ち合わせをした。
あの時の国際電話の料金、払ってくれるって言ってたのに、まだもらってないなァ。
あれはね、普通の住宅街の私道に、ふらふらっと迷い込んじゃっただけの話です。
その辺の路地が、私道かどうかなんて分からないじゃないですか。
ちょっと入ったら、すぐに警察を呼ばれちゃった。
あれは、その前に「ノック」をやったときに、揉めた家だった(?)。
※注:いま、ワタリウムで「ノック」の展示会をやっているそうだ。
寺山修司 ノック展、 shuuji terayama, Theather
大きなパン屋さんがあって、その裏の小さなパン屋さんを寺山は贔屓にしていた。
寺山は反権力だから、小さい方のパン屋さんを応援していた(?)。
それで大きなパン屋さんに恨みを持たれてたんです。
だから、ふらふらっと私道に迷い込んだところで、警察を呼ばれちゃったんです。
だから、ぼくはあの時も言ったんだけど、「寺山は、ノゾキをしたかったのかもしれないが、まだノゾキはしていなかった」これが真相です。
でも、当時は「路地」っていう連載を持っていたので、助かった。
あれをやってなかったら、ピンチだったんだろうなあ。
記者会見が終わって、四人でメシを食いに行った。
田中さんも一緒にいました。
その時、店が混んでいて待たされたんだけど、寺山は「ノゾキ犯だからって差別してやがるぜ」と言ってみんなを笑わせようとしました。
こういう、洒落た、明るい人だった。
寺山って言うと、うつむいた、クラーイ顔をした写真が出てくる。
あれは、競馬のテレビ中継を真剣に見ているから、暗い顔をしているんです(?)。
本当は陽気な、面白い人だった。
★
的な感じだった。
(たぶんムチャクチャ書いていると思うけどあらかじめゴメンナサイ・・・)
月蝕歌劇団は、詩劇ライブと月蝕パーティもおすすめだ。
特にパーティはおすすめである。
パーティと名づけられているからと言って、別に立食形式で談笑とかそう言うことはないので(当たり前!)安心して行ったらいい。