前回の「百年の孤独」が良かったので、また見に行ってきた。
月蝕歌劇団公式ホームページ
月蝕歌劇団公式ホームページ
今日が初日であって、変な論評をしても迷惑なので、見に行くまでの過程を例によってダラダラ書く。
会場は南阿佐ヶ谷、ひつじ座という劇場だった。
今年は阿佐ヶ谷に本当に良く行く。
ともに文字の勉強会である「もじもじカフェ」も、「タイポグラフィの世界」も阿佐ヶ谷である。
寺山修司の演劇としては、月蝕歌劇団の他に劇団A・P・B-Tokyo(こっちもおすすめ)も阿佐ヶ谷でやっている。
だいたい月に2回は阿佐ヶ谷に来ているのだ。
いわゆる中央線サブカルチャーの雰囲気があって、面白い飲食店もたくさんあって楽しい。
ひつじ座の最寄り駅は南阿佐ヶ谷駅で、杉並警察署の前を通って5分ほど歩くと着く。
ぼくは気合を入れて整理券付き入場券を3日ぶん申し込んでいた。
ところが1週間前になっても届かないので、ダイレクトメールに書いてあった電話番号に電話したら、丁寧なお詫びメールをいただいて、ほどなくチケットが来た。
整理番号が一枚いちまい手書きで書いてあって、大変だなー、急かして申し訳なかったなあと思った。
初めての劇場だったので、時間が読めなくて、7時開場7時半開演なのに6時ごろ着いてしまった。
ふらふらと高円寺まで行って、ラーメンなどを食べていたら、今度は時間がなくなってしまって7時15分頃に戻ってしまった。
もう客入れは終わっていて、スタッフの方が精魂込めて書いてくれた整理番号が意味なくなっていたのである。
スミマセン。
でも平日なので空いていて、最前列は空いていたので中央に陣取った。
ひつじ座は小さい劇場で、100人ぐらい?の感じ。
最前列は床に座布団を敷いて座る。
2列目からは10センチぐらいの段差で、やはり座布団が敷いている。
最前列は舞台と地続きでド迫力だったが、2時間も固い床に座っていると少々腰が痛くなった。
ということで、明日からもたぶんほぼ毎日当日券が出ると思われるので興味がある方は見られたらいいと思う。
オススメだ。
「盲人書簡」は、明智小五郎、小林少年、黒蜥蜴が出てくる江戸川乱歩ワールドを、寺山修司が換骨奪胎したものだ。
江戸川乱歩と言えば懐かしいエログロの世界であって、それをモチーフにしたのが今年没後30年を迎える寺山修司というので懐かしさの二乗である。
乱歩が「懐かしい」のは古いだけでなく、作品が出てから数年経つともう「懐かしい、なつかしい」と言われていたという話が小林信彦の「回想の江戸川乱歩」に描かれていた。
余談だが、小林信彦は乱歩のもとで「宝石」誌のスタッフとして社会人となった人で、乱歩に「小林君」と呼ばれるのがおかしかった、と書いている。
乱歩が存命当時からやたらに「懐かしい」と言われていたと、小林信彦はやや複雑なニュアンスで書いていたのだが、最新のアイディアを詰め込んだ小説であっても不思議と懐かしくなってしまう、どうしようもなく懐かしくなってしまうのが乱歩の魅力である。
きょうもぼくは阿佐ヶ谷の街をやや迷いぎみに彷徨していたのだが、上野や、浅草や、東京の古い街をふらふら歩いていると感じる、モダンな懐かしさである。
寺山の脚本はそういう乱歩の世界を、やや冷笑的に、批評的に描いている。
乱歩の、とくに少年探偵団の出てくる少年向けの明智モノは、普通に考えるとオカシイところがいっぱいある。
そのオカシさに舞台の登場人物が疑問を抱き、悩む。
だからといってそのオカシさを笑うわけではなく、だんだんその世界の論理に支配され、演者の感覚も、観客の感覚もオカシくなってしまう。
乱歩は色紙を頼まれると「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」と書いたそうだが、夢の中のつじつまが合わない世界に、懐かしさを覚えるのである。
月蝕歌劇団の芝居はみずみずしくて気分がいい。
いつも部屋で鬱々として仕事をしているので、こういう舞台を見ると魂を解放してもらった気がする。
「百年の孤独」に続いて超絶セクシーな衣装で登場する黒蜥蜴・倉敷あみさんをはじめ、若く美しい女性がやたら出てくる。
あと、ビックリしたのだが、「できんボーイ」の漫画家、田村信先生が俳優として出てきた。
浅学にして俳優になってらっしゃったとは知らなかったのだ。
しゅびびびびーん!
とか言うわけじゃなくて、重厚な演技で本当に驚いた。
会場は南阿佐ヶ谷、ひつじ座という劇場だった。
今年は阿佐ヶ谷に本当に良く行く。
ともに文字の勉強会である「もじもじカフェ」も、「タイポグラフィの世界」も阿佐ヶ谷である。
寺山修司の演劇としては、月蝕歌劇団の他に劇団A・P・B-Tokyo(こっちもおすすめ)も阿佐ヶ谷でやっている。
だいたい月に2回は阿佐ヶ谷に来ているのだ。
いわゆる中央線サブカルチャーの雰囲気があって、面白い飲食店もたくさんあって楽しい。
ひつじ座の最寄り駅は南阿佐ヶ谷駅で、杉並警察署の前を通って5分ほど歩くと着く。
ぼくは気合を入れて整理券付き入場券を3日ぶん申し込んでいた。
ところが1週間前になっても届かないので、ダイレクトメールに書いてあった電話番号に電話したら、丁寧なお詫びメールをいただいて、ほどなくチケットが来た。
整理番号が一枚いちまい手書きで書いてあって、大変だなー、急かして申し訳なかったなあと思った。
初めての劇場だったので、時間が読めなくて、7時開場7時半開演なのに6時ごろ着いてしまった。
ふらふらと高円寺まで行って、ラーメンなどを食べていたら、今度は時間がなくなってしまって7時15分頃に戻ってしまった。
もう客入れは終わっていて、スタッフの方が精魂込めて書いてくれた整理番号が意味なくなっていたのである。
スミマセン。
でも平日なので空いていて、最前列は空いていたので中央に陣取った。
ひつじ座は小さい劇場で、100人ぐらい?の感じ。
最前列は床に座布団を敷いて座る。
2列目からは10センチぐらいの段差で、やはり座布団が敷いている。
最前列は舞台と地続きでド迫力だったが、2時間も固い床に座っていると少々腰が痛くなった。
ということで、明日からもたぶんほぼ毎日当日券が出ると思われるので興味がある方は見られたらいいと思う。
オススメだ。
「盲人書簡」は、明智小五郎、小林少年、黒蜥蜴が出てくる江戸川乱歩ワールドを、寺山修司が換骨奪胎したものだ。
江戸川乱歩と言えば懐かしいエログロの世界であって、それをモチーフにしたのが今年没後30年を迎える寺山修司というので懐かしさの二乗である。
乱歩が「懐かしい」のは古いだけでなく、作品が出てから数年経つともう「懐かしい、なつかしい」と言われていたという話が小林信彦の「回想の江戸川乱歩」に描かれていた。
余談だが、小林信彦は乱歩のもとで「宝石」誌のスタッフとして社会人となった人で、乱歩に「小林君」と呼ばれるのがおかしかった、と書いている。
乱歩が存命当時からやたらに「懐かしい」と言われていたと、小林信彦はやや複雑なニュアンスで書いていたのだが、最新のアイディアを詰め込んだ小説であっても不思議と懐かしくなってしまう、どうしようもなく懐かしくなってしまうのが乱歩の魅力である。
きょうもぼくは阿佐ヶ谷の街をやや迷いぎみに彷徨していたのだが、上野や、浅草や、東京の古い街をふらふら歩いていると感じる、モダンな懐かしさである。
寺山の脚本はそういう乱歩の世界を、やや冷笑的に、批評的に描いている。
乱歩の、とくに少年探偵団の出てくる少年向けの明智モノは、普通に考えるとオカシイところがいっぱいある。
そのオカシさに舞台の登場人物が疑問を抱き、悩む。
だからといってそのオカシさを笑うわけではなく、だんだんその世界の論理に支配され、演者の感覚も、観客の感覚もオカシくなってしまう。
乱歩は色紙を頼まれると「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」と書いたそうだが、夢の中のつじつまが合わない世界に、懐かしさを覚えるのである。
月蝕歌劇団の芝居はみずみずしくて気分がいい。
いつも部屋で鬱々として仕事をしているので、こういう舞台を見ると魂を解放してもらった気がする。
「百年の孤独」に続いて超絶セクシーな衣装で登場する黒蜥蜴・倉敷あみさんをはじめ、若く美しい女性がやたら出てくる。
あと、ビックリしたのだが、「できんボーイ」の漫画家、田村信先生が俳優として出てきた。
浅学にして俳優になってらっしゃったとは知らなかったのだ。
しゅびびびびーん!
とか言うわけじゃなくて、重厚な演技で本当に驚いた。