このブログで前からそんなことを何回も言っている気がするが、Ubuntuのマシンを作ることにした。
最初はLinuxじゃないと出来ない用事がちょこちょこ出来たので、それだけやる用にマシンを用意して、普段はWindowsとMacを7:3ぐらいで使っていた。
しかし、これだといつまでたってもLinuxを覚えないのである。
これからは基本的にあらゆる用事はまずUbuntuでやって、どうしようもないときはMac、それで本当にどうしようもないときはWindowsを使うことにする。

Ubuntu Login
ぼくがUNIX風の環境にがっつりハマっていたのはかれこれ20年前、最初の本『すぐわかるPerl』を出した頃であって、その頃は会社のSunやFreeBSDを使っていた。

ただし家ではノートパソコンを初期化してインストールする技量も度胸もないので日和ってCygwinを使っていた。
当時はノートパソコンでLinuxを使うのは大変だったからだ!
主にディスプレイドライバーで苦労をした。
Cygwinは、WindowsをUNIX風に自動化するツールとしても面白くて、今も愛用している。


そのうち会社の経理システムを構築しなければならなくなり、フリーのSybaseのドライバーが必要になったので自宅で実験用に使っていたLinuxのマシンを会社に持っていった。
結局5千円ぐらいで会社に売った気がする。
その頃がぼくのUNIX風環境の最盛期であって、『すぐわかるPerl』はUNIX推しで書いたので評判が悪かった。

それから会社からなぜかUNIXサーバーがなくなって、会社上げてのWindows推しになった。
ぼくはWindowsでもPerlが使えることを証明するのが自分の新しいミッションだと考え直して、『文字コード【超】研究』と『すぐわかるオブジェクト指向Perl』はあえてコテコテのWindows推しで書いた。
(だからと言って特にそれが評判になったようでもなかった。)

ぼくは意外に適応性があったようで、Windowsでも別にいいや〜と思っていた。
風向きが変わったのがExcelのリボン攻撃である。
私見だが、あれは画面が狭いノートでは絶対に使えない。
とりあえず家ではLibreOfficeに乗り換えた。
Macbook Airを買ったのもこの頃である。
Mac OSXは羊の皮を被った狼というか、Macの皮を被ったBSDマシンであって、UNIX風のことをやって遊びたい時はこっちを使っていた。
とりあえずLibreOfficeはMac、Windows、UNIXで同じソフトをフリーで使えて快適だ。


しかし、最近とある用事、あまり大声では書けないが、三才ブックス的なことをするのにLinuxマシンが欲しくなって、Ubuntuを使ってみた。
それで、最近のLinuxの洗練されっぷりに驚いた。
まずインストールで全然引っかからない!
そして、どう考えてもWindowsに寄せていて、使い心地に全然違和感がない。
無限にカスタマイズできるのもうれしい。
これならと思って、しばらくこっちにハマってみることにした。


話は変わるが、うちの父親は齢60を過ぎてからパソコンを覚えた。
最初は姉のお下がりのPC-9801でWindows3.1を使っていたのではないか。
「ATOKをメモリディスクに入れるにはconfig.sysをいじるのかい」などと田舎から会社に電話を掛けてきて往生した。
「お父さん、ぼくはそういう難しいことは一切わからないので、会社の森さんという人に今から代わるから相談してください」と言った気がする。
病気で死ぬまで、病状、腫瘍マーカーの値とか、血糖値とか、血圧をエクセルで記録していた。

しかしそんな彼が晩年は、よく「Windows7は難しい・・・」とこぼしていた。
60歳の頃だったらWindowsXPからWindows7への乗り換えもこなせたと思うが、79には難しかったと見える。
ぼくはそこそこWindows7についていっているが、それでもWindows8はちょっと難しい。
実際にはまだマシンを入手していないのでなんとも言えないが、店頭でいじる限りにはいかにも難しそうに思えるし、友達も文句を言っている。

ていうか、何回も大幅に変えすぎだ。
シェルなんかそんなに変える必要があるのだろうか。
いまWindows8のメトロUIやExcelのリボンを頑張って覚えても、何年持つんだろうか、という不安を禁じ得ないのである。

Macはその点うまい。
OS9からOSXへ、Snow LeoperdからLionへのあたりは若干ギャップがあったが、「驚き最小の法則」がよく守られていると思う。
iOSはもっとうまい。
何も新しいことを覚えなくていい、ただ品質が良くなっているだけ・・・という感じを非常に大切にしている。

Ubuntuも最近、Unityという新世代のシェルを新しく推してきている。
これはタブレットも意識したユーザー・エクスペリエンスで、そういう意味ではWindows8のコンセプトにも通底している。
そしてこれの評判が悪い。

ただ、Linuxはいくらでもカスタマイズして、自分が好きな時代の好きな状態に戻せるのだ。
なんだったら全部コマンドラインで操作することにしてもいい。
Ubuntuに関しては、一世代前のGNOME shellに戻す人が多いようだ。
ぼくもそうしてみた。

Ubuntuがカスタマイズ性に富んでいるという意味は、特に先進性のあるソフトが使えるとか、特に人と変わったことができるという他に、昔の、古き良き慣れ親しんだ環境に止まっておられるという意味でもある。
ある程度年齢を経ると、これが心地よい。

とりあえず感じたのは、インストールの簡単さ、動作の安定度、シェルの先進性など、いまどきのUbuntuはほとんどWindows/Macと変わらないということだ。

ただ、うちの親父に勧められたかどうかは微妙である。
無限にカスタマイズ出来てしまうので、逆に定番の使い方がない。
ぼくなんかはGNOME shellを使うことにした時点で、デフォルトのUnityのことは分からない。
もし親父を電話でサポートしようと思ったら、カスタマイズを全部自分と同じようにさせる覚悟がいる。
それも大変だ。

Linuxを使っている人は開発者兼管理者兼ユーザーという気がする。
何か困ったことがあったらすぐシステムをカスタマイズできてしまう。
すると他の人のシステムと隔たってしまうので、本当にプリミティブなエンドユーザーレベルでの助け合いが難しいのではないか。
カスタマイズする技量(と時間的余裕)がユーザーに求められるOSという気がする。

考えたらExcelのリボンも、Windows8のメトロUIも、特に痛痒を感じずに使っている適応性に富んだ人が相当数いるのかもしれない。
だからMicrosoftはそれを自信を持って推進している。
黙って俺に付いて来い!
それはそれでひとつの割り切りであり、営業戦略である。

Ubuntuを支援しているCanonicalもUnityを推しているが、Linuxユーザーはなかなかそれに従わないようだ。
WindowsやMac OSXにそっくりの見た目に出来るZorinなどという派生版もある。

カスタマイザビリティ/後方互換性と、先進性/ユーザー間の統一性はトレードオフ関係である。
これはコンピューター界全体が最適解を求めて切磋琢磨している状態だろう。
ぼくは現状では、Ubuntuを使ってカスタマイズなんかしてみたい気分である。

メーカー製のOSは、iPhoneにおけるiOSのように、お仕着せに我慢が出来ない人は自己責任でJB、というのが好ましい。
Windows8も自己責任でカスタマイズすればWindows7と同等の使用感になれる、というオプションが、隠しででもあればいいと思うのである。