遅まきながら、本年度最高傑作の呼び声高い映画『パシフィック・リム』を見てきた。

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見た後は「まあそこそこ、評判どおりだなー」と思っていたが、そのうち「でも俺が思ってたのと違ったなー」と思い始め、結局「ダメだな、俺には・・・」と暗い気持ちになってしまった。
ネットは大絶賛の嵐であるが、その中で「これでノれなきゃオタクじゃない」的な、東京オリンピックが喜べなきゃ日本人じゃないに似た論調もあって、こうなると「現役ウルトラ世代」の俺も不愉快である。
一応どこがどう俺に取ってダメだったか書き残す必要があると思ったので書く。

以下、壮大にネタバレする。

不満の1:最初が見たい

まず、のっけから「海の底から怪獣が現れるようになって世の中は大変なことになった。俺たちは巨大ロボットを作って最初は勝っていたが、だんだん勝てなくなってしまった。そして7年が過ぎた」的なことを剛速球のダイジェスト映像で見せられる。

俺的にはその7年こそが見たいのである。

どうせシリーズ化すると思うが(アメリカではコケているらしいからしないかもしれないが)、怪獣映画の新シリーズ第1作は「怪獣はいるのか、いないのか」、「『怪獣がいる』なんてことを急に信じさせられる人々はどんな気持ちか」という、日常の破壊、常識の破壊というSFの「いちばんおいしいところ」を存分に描けるはずだ。

この意味で一番好きだったのは平成ガメラの第一作である。



ぼくが一番ゾクッとしたのは空港の女性管制官が「これが鳥ですか?」と聞く場面である。
この映画はぼくが好きな怪獣の要素が全部詰まっているのでおすすめである。

とかく評判の悪いハリウッド版ゴジラもちゃんと初登場を描いていて良かった。



最近の映画はここをすっ飛ばすのが多い。
いきなり「それからn年後・・・」で始まるのである。
いわば「北斗の拳」方式である。
(「マッド・マックス」方式とも言う)



「サラマンダー」(2002)もこれで、ガッカリだった。



流行っている「進撃の巨人」もそうで、ぼくはノれない。



昨年度で一番よかった「ウルトラマン・サーガ」もここが残念だった。



いろいろ考えたんだけど、北斗の拳方式の作品の方が世の中には多数派である。
なにしろ「風の谷のナウシカ」がそうだし「スター・ウォーズ」がそうだ。





私見だが、北斗の拳方式(最初に説明があって、いきなり観客は怪獣が跋扈する異世界に放り込まれる)だと、SFではなくてファンタジーになってしまうと思うのである。

SFは常識の破壊であり、常識が破壊される恐怖、そして、常識外に変容する世界の中で常識を如何に守っていくのか、そして、そもそも守るべき常識などあったのかという葛藤が描かれるべきものだと思う。
少なくともそこがぼくは好きだ。
「横丁を曲がると、そこはもう、旅」と言ったのは永六輔であったが、「横丁を曲がると、そこはもう、SF」というのが好みだ。
藤子・F・不二夫的なのが好きなのである。

最初の「ウルトラマン」は、毎週これをやっていた。
当時の子供は毎週常識を破壊されていたのである。



一番好きなのが、もう語りつくされているが「禁じられた言葉」という回だ。
宇宙人が少年に、なぜか、「地球をあげる、と言え」と執拗に迫る。
そして科学特捜隊の女性隊員が巨大化して街を破壊する。
こういうのが見たい。
正確にいうと、こういう驚きを与えてくれる、まったく新しいアイディアの作品が見たい。

なぜ最初の部分が描かれなくなったのであろう。
怪獣やロボットはウソの世界だからいくらでも自由に作れるが、実在の街は正確に作らなければならず、労多くして功少ない不毛な作業だからだろうか。

どうせ観客はドンパチが好きで、「パシフィック・リム」で言えば怪獣とロボットのド突き合いが見たくて観客は来ているのだから、「AV嬢の自己紹介シーン」みたいな冒頭部分はとっととスッ飛ばして本題からはじめる、ということだろうか。

あるいは、もう作りつくされてしまって新機軸がないのだろうか。
いずれにしても悲しいことだ。

不満の2:戦ってるのが夜で、雨か、水の中

ハリウッド映画で怪獣がいっぱい出てきて楽しかったのは、なんと言ってもスターシップ・トゥルーパーズだ。



やはり北斗の拳システムだが、ストーリーもテーマも2重、3重構造になっていて楽しめる。
これはおすすめ。
怪獣は基本「虫」なのだが、いろんな虫が出てきて良かった。

「パシフィック・リム」にも、いろんな怪獣が出てくる。
出てきたらしい。
実は、良く分からないのである。
戦闘場面がすべて夜で、すべて水中か、雨の中だったので、分かりにくかったのである。
いま画像検索したのだが、画面が暗くて、怪獣の形がはっきり分からない。

最近の怪獣映画はとかくそうである。
「エイリアン」もそうだしハリウッド版「Godzilla」もそうだった。
なぜだろう。
暗くて濡れてる方が不気味で迫力があるのかもしれない。
あるいはアラが見えない、バカっぽく見えないという制作上の理由があるのかもしれない。

ぼくは怪獣は真昼間から夕方に掛けて出てきて欲しい。
はっきり見たいものが見たいのである。

その点「スターシップ・トゥルーパーズ」は良かった。
怪獣がバッチリ見られたし、人がバンバン死んだ。
(訓練中が一番怖かった!)
人が死ぬと楽しい、と言うわけではないが、怪獣なんかが出てきたら人が死ぬのは当たり前だ。
人が死ぬような現象が現実に起きているから怖いのである。
人死にが出てこない怪獣映画なんて、ゲームに過ぎない。
(まあゲームを見に来る人も一定量いるのだろうが・・・)

あと「パシフィック・リム」はカット割りがカチャカチャ細かすぎ、カメラが動きすぎだ。
これは「トランスフォーマー」もそうで、わけがわからないし、真剣に見ていると気持ち悪くなるのである。



まあ、こっちの目と脳に問題があるのかもしれない。

不満の3:日本人にコビ過ぎ、オタクにコビ過ぎ

アメリカでは、アメリカのオタクから「昔の名作からおいしいところを安易にパクり過ぎだ」と批判をあびたそうだが、とにかく日本人の怪獣オタクが大好きな場面がいっぱい出てくる。

ガメラ対ジャイガーみたいな場面は良かった。



ロボットの操縦士を評価するのが「棒術の試合」というのはちょっと失笑してしまった。
世紀の珍作「ゴジラ FINAL WARS」みたいだ。



とにかくこういうオマージュ的な場面が沢山出てくる。
登場人物があやしげな日本語をあやつるのも違和感がある。
「こういうのが好きナンデショー」と狙われてる感じがするのである。
エヴァンゲリオンにいろんなタイプの女性が総登場して「サービスしちゃうわよ~」と言ってたのは、開き直っていて苦笑させられたが、「パシフィック・リム」も作品である以前にサービスであると思う。

ぼくはサービスされても特にうれしくない。
くすぐったくなって白けてしまう。
驚きがないからである。
映画は驚きを見に行くものではないか。

途中から本当に、怪獣とロボットがド突き合っているだけの映像を見て、完全に心が醒めてしまった。
仕事である。
作業である。
感動している人は、感動するという作業をうまくこなしているのだろう。
ぼくは出来なかった。
感動が下手でゴメンナサイ。

不満の4:ラストが納得いかない

ラスト、美男美女が首尾よく生き残る。
なぜ美男美女の脱出カプセルはゲートウェイを通過できたのか分からないが、まあいい。
ライバルのチームも脱出させたれや!と思うけど、これも目をつぶるとしよう。
気になったのが、男は気を失っていて、女は男を抱きしめて泣く場面だ。
これ、戦争のプロなら普通に人工呼吸と心臓マッサージをするのではないか。
リアルな人工呼吸で蘇生させる方が感動的である。
ちなみにリアルな人工呼吸は「インテリア」という映画に出てくる。



こういうちょっとしたところで感動したいのだ。



昔、怪獣は怖かった。
プロレスも怖かった。
「日本人と外人が殴り合って、どっちか本当に死ぬんじゃないか」と思って見ていたので、怖くて興奮したのである。
まあ、子供だったということだろう。

「パシフィック・リム」はプロレスに例えると「ハッスル」である。
「ハッスル」は「ハッスル」で楽しいと思うが、昔のプロレスとは違う、もう1つの別のものである。

偏見まるだしで書くと、「パシフィック・リム」を見て思ったのは、「怪獣映画しか見ないで育った世代が作って、怪獣映画しか見ないで育った世代がそれを見る時代が、ハリウッドにもとうとう本格的にやってきたなあ」と言うことだ。
それはそれでしょうがないのかもしれないが、やるせない。
まあ、俺もそろそろ、「怪獣映画なんか卒業さ」と言うべきときが来たのかもしれない。

Godzilla-iwa