最近、冷蔵庫にアルバイトの人が入って写真をTwitterで公開したことが大問題になっている。
そんな変わった人が1人だけいたなら分かるけど、全国各地でどんどん類似の事件が起こっているのである。
類似犯、模倣犯である。

Radioisotopes refrigerator
それはいいんだけど(良くないけど)、終わった後の処理が厳しい。

家族経営のコンビニの場合は、フランチャイズ契約の解除である。
フランチャイズのコンビニというのは開店資金を相当借金するらしいから、この一家は相当厳しい状況に追いやられるということは想像に難くない。

ステーキ屋の場合は、閉店である。
当該バイトの人には数千万円の損害賠償が行くということである。

でも、お店を閉店する必要あるだろうか。

冷蔵庫さえ消毒すれば、ぼくはその店で食事することにはまったく抵抗がない。
健康に被害があるとは思えない。
アルバイトが入った冷蔵庫と、アルバイトが入らなかった冷蔵庫と、清潔さにそれほど差があるだろうか。

ぼくが経営者だったらおわびステーキ300円セールとかを一定期間続ける。
おわびステーキが300円だったら、ぼくはお金がないので、毎日通う。
それが死ぬほどおいしければ、おわび期間がなくなっても、通い続けると思う。
ピンチはチャンスである。
言うところの炎上マーケティングであり、更なる炎上を呼ぶだろうが、炎上ぐらいしたって意に介さなければ良い。

ラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」で、若林がプチ炎上発言をしたとき、春日が「若林さん、だいたい炎上って何なんですか」というと、若林が答えて「春日さん、炎上って言うのは、パソコンをネットにさえ接続しなければ、普通に生活が送れることです」と答えていて、ちょっと笑った。

バイトが冷蔵庫に入るのがいいことか、悪いことかで言えば、明らかに悪いことである。

そんなこと分かってるよ!

でも、一部の若者が悪いこと、アホなことぐらい、明治時代から周知の事実である。

ぼくも学生時代、喫茶店でアルバイトしたとき、フルーツをつまみ食いしたことがある。
店長に見つかって、こっぴどく叱られた。
別にフルーツをつまみ食いできる自分の勇気を仲間にアピールしたかったわけでも、フルーツをつまみ食いすることでオトナ社会への反逆を主張したかったわけでもなく、たんにお金がなくて腹が減っていたのである。
今は本当に悪かったと思っている。
反省している。

冷蔵庫くんに、ぼくと違うところがあったとすれば、写真に撮ってネットで世界公開したことである。
(素朴な疑問だが、写真を撮った方も同罪に処されるのであろうか。)

冷蔵庫に入っているところを、写真に撮ってネットで公開する人の気持ちは全然分からない。
そもそも誰かが冷蔵庫に入っていても、面白いと思わない。
でも、写真に撮って、ネットに公開したからには、そういうのを面白いと思う人が、彼の友達を中心に相当数いると思わなければいけない。
これが現代の日本の悲しい現実だ。

ただし、そういう若者を営々と育てているのは、オトナではないか。
ここで急に議論が俗に流れるが、テレビでお笑い芸人やアイドルを「罰ゲーム」でホイップクリームまみれにしたり、粉に突き落としたり、「まずいジュース」を飲ませていたりするのを見ているうちに、そういうのが面白くてたまらないという心性になっていくのだろうと思う。

具体的に言うと先日の「フジ27時間テレビ」は大体27時間そんなことをやっていた。
フジテレビというテレビ局は1980年代から延々と、ああいう日本人をバカに改造するテレビを放送していたのである。
なぜかは分からない。
陰謀論が好きな人であれば「日本人がバカになれば、エライ人は何か得をすることがあるのか」などと邪推するところであろうが、ここでは深入りしない。

ということで、下品にさえなればユーモアと解釈されて多くの人に笑ってもらえる、ヒーローになれる、という気持ちがあったからこそ、彼は冷蔵庫に入り、写真を撮った。
同感の人が、世間には相当数いたから、連鎖的に模倣犯が現れた。

しかし彼の計算になかったのは、それが許せない人が、しかも自分が許せないだけでなく、世界に拡散して彼を糾弾すべきだと考える人が、世間には相当数いる、ということだ。
ここが彼の最大の計算ミスであったと思う。
次から気をつけろよ。

しかし、拡散して糾弾する方の気持ちも、ぼくには分からないのである。
アルバイトが冷蔵庫に入っている写真なんて不快な情報だ。
ぼくは自分が見ているインターネットは、見ていて気持ちいい、楽しいことであふれて欲しいと思うので、不快な情報は排除したいし、それが出来なくても無視しようと思う。
だから、改めてこのニュースをことさらに取り上げて、糾弾したいと思わない。

考えたら変な話である。
自分が冷蔵庫に入った写真をネットに放流する人も、それを義憤に感じて糾弾のために拡散する人も、どちらも「バイトが冷蔵庫に入っている不快な映像がネットにあふれること」に、同じように加担しているのである。

前者は「バイトが冷蔵庫に入っている世界はすばらしい」と思ってネットに放流しているのだから合目的的だが、後者は「バイトが冷蔵庫に入っている世界はけしからん」と思っているのにも関わらずネットに拡散している。
これは理屈に合わない。

で、アホなバイトが冷蔵庫に入っていることって、それほど大問題か?

また俗耳に入りやすいような議論になるが、ぼくが現代の大問題だと思うのは、
  • 原発の汚染水がどんどん流出しているけど、魚の汚染は大丈夫か、日本の評判は大丈夫か
  • TPPに入ると盲腸の手術代が200万円になるというけど本当か。自民党公約違反じゃないのか
  • 消費税が上がったら景気が悪くなるんじゃないか。そして上げなければ財政は大丈夫か
ということである。

毎日このニュースがネットやテレビにあふれていて欲しいと思う。
NHKなんか、このことを毎日3時間ずつ放送する番組をやってもいいと思う。

なぜこれらのニュースの方が、バイトが冷蔵庫に入ることよりも重要かとぼくが思うかと言うと、政治や経済の話をしている方が高級っぽく、そういう話をしている方が立派な人間に見えるからだけではない。
それよりも大きいのは、こういう話がぼくの生活に直結する、こういう話にコミットすることが明日のぼくらの暮らしを大きく左右することである。
そして、こういう話を市民がしなければ、エライ人が金持ち中心にドンドン決めていくんじゃないか。
なんとかしなきゃ。

でも、バイトが冷蔵庫に入ったことの方が大問題らしいのである。
陰謀好きの人であれば、「バイトが冷蔵庫に入ることで、重要なことから国民の目を逸らそうとしているのか」ぐらい言いそうである。

でもぼくは陰謀であるとは思わない。
ネット社会になって明らかになったことだが、「キラキラネーム叩き」と言い、「ナマポ叩き」と言い、日本人は本当に「自分よりも愚かそうな人の、セコい罪、どうでもいい問題を集中的に叩くこと」が大好きだ。
(他の国がどうだか知らないが!)
セコい罪であればあるほど燃えるのである。

でも、せっかくネットという、誰でも言論人になれるツールを持っているんだから、バカな人、弱い人、セコい罪、たいして重要じゃない問題を集中的に糾弾するよりも、どうせなら、エライ人、強い人、大きな罪、重要な問題を議論しようじゃないか。
敵が強ければ強いほど燃える。
問題が大きければ大きいほどやる気が出る。
自分に関係がある、重要な問題にこそ優先的に取り組む。
そういう人の方が偉いと思うし、自分はそうなりたいと思う。