前回の続き。
ほんらい第364回に書くはずだったのに、ぼうっとして抜かしてしまった。
ファンのみなさんスミマセン。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「差」を分析した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められらそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
そして第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
「差」は「区」をベースに考え、「差」との違いのために「区」を少し変えた。
さて、今回は「死」について考える。
ほんらい第364回に書くはずだったのに、ぼうっとして抜かしてしまった。
ファンのみなさんスミマセン。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「差」を分析した。
第1回では、「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にもある
第2回では、「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・空中を移動できる
・水上を速く移動できる
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
第3回では、「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。
・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
・人工のものである
・目に見える(※「区」との区別のために追加)
・人間が鑑賞するためのものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものである
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
第4回では、「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生命を持っている
・母体から切り離されると死ぬ
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にはない
第5回では、「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・生命を持っている
・空中を移動できる(※木との区別のために必要)
・一個の独立したものである
・独立して生きている
・種類の中でだいたい大きさが決まっている
・羽毛がない
第6回では、「木」(き)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・生命を持っている
・一個の独立したものである
・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る
・大きさがまちまちである
第7回では、「区」(く)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある決まりに従って決められらそのものを指す(※差とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
・人為的なものであり、何を指すかはある人の勝手で決まる(※これは「差」にはなじまない)
第8回では、「毛」(け)には以下のような特徴があると分かった。
・物体である
・自然に存在する
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
・生物の一部としてへばりついているが、死んでいる(※尾と比較して特徴的)
・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている
・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである
・人間にも動物にもある(※尾と比較して特徴的)
そして第9回は、「差」(さ)には以下のような特徴があると分かった。
・情報である
・人工のものである
・目に見えない
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・2つのものの関係を指す(どちらか一方がなくなると消えてしまう)(※区とここが違う)
・生命を持っていない
・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある
「差」は「区」をベースに考え、「差」との違いのために「区」を少し変えた。
さて、今回は「死」について考える。
「死」というとどうしようもなく2年前に親父を見送ったことを思い出す。
父から最後に電話があったのは死ぬ2日前だ。
「これから急に入院することになった。ネットが見られないと困るからイー・モバイルのUSBモデムをまた貸してほしい」
と言われた。
すぐに郵便で送った。
それから2日後に母から電話があり、飛行機で帰郷し、病院を訪ねると、父はもう死んでいた。
その時思ったのは、「きれいな亡骸だなー」、「昼寝してるみたいだなー」ということである。
そして思うのが「ほうっておくとウーンと言って起きだしそうだなー」ということである。
そんな妙な違和感があった。
そのあと家につくと、郵便ポストに自分で送ったイー・モバイルのUSBモデムが入っていた。
封筒の字を見てキッタネー字だなあーと思ったら自分の字だった。
そのあとヤマト宅急便の人が来て、自分が父宛に送った「すっぽんのスープの缶詰」をぼくに渡した。
ぼくは父の名前をサインした。
葬式は忙しくて、感興に浸る時間もなかった。
東京に帰って、深夜の通販番組をやっていて、なにか健康食品を売っていて、ああこんなのだったらお父さん食べられるんじゃないの、と独り言を言った。
もう食べられないから! と自分で突っ込んだ。
似たような話を妻の死に関してファインマンが書いていたような気がする。
親を亡くして思うのは、親がいない世界には馴染めないということだ。
違和感がある。
たとえば「西日本」という言葉を聞くと、ぼくの実家は九州なので、頭の中に衛星写真が浮かび、「ああ大阪からお父さんが住んでいるあの辺までだな・・・」とぼうっと考えるクセがついている。
そこにはもう父はいないわけである。
なんとなく自分の家の領土が狭くなった気がする。
別にウチが郷里を支配していたわけじゃないけど。
時間的にも、絶対的に年上の身内として親が君臨していて、「自分よりはかなり年上だけど親よりはずっと若い・・・」などというスケール感でとらえるクセがついている。
それが出来なくなると「重し」がなくなったような気がする。
そして、まあ通俗的な物言いだが、自分も老けたなあ、と思うのである。
「死」は現象である。
「胃」、「鵜」、「尾」、「蚊」、「木」、「毛」は物体である。
「区」、「差」は情報である。
「絵」が微妙なのだが、情報と物体の中間、あるいは両方である。
「死」はそのどれでもない。
現象である。
情報も、物体も、指し示すことが出来る。
記録や観察の対象になるのである。
そういう意味ではどっちも「モノ」だ。
一方「現象」はモノではない。
モノが動く、あるいは動くのをやめることを記録したものである。
「木」がある/ない、「差」がある/ないとは言う。
しかし「死」がある/ないとは言わない。
「近年は幼児の死があまりない」などと言うかもしれないけど、意味合いがちょっと違う。
生物とは肉体と生命が交わるところに存在するものである。
生物から生命を取り去ると、死んだ肉体が残る。
だから現象は物体がないと存在できず、しかも物体とは違うものである。
空気は物体だが風は現象である。
燃料は物体だが炎は現象である。
でも風も炎も占星術が科学だった昔には「四大元素」に入っていたから、昔の人は物体と現象の区別をしていなかったようだ。
今でも「迷走台風」などというから、台風は物体として捉えられていることがある。
あれは大きな低気圧で、現象であって、物体ではない。
もっとも、素粒子ぐらい極微の世界であれば、物質とエネルギーが相互変換しているので、物体と現象が分けられない世界もあるだろう。
また、生物は物体だろうか現象だろうか。
これは肉体という物体と生命と言う現象が両方あって初めて成立するものである。
とすると「燃えているろうそく」のような、物体と現象のセットと考えるべきか。
ということで、完全な新ジャンル、「死」を定義しよう。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
ということだろう。
上の定義は、「現象」の定義であって「死」の定義になってない気がする。
まあ、今後沢山ほかの現象が登場するだろうから、それとの違いを考えていけば、もっとリッチでクリアな定義になるだろう。
父から最後に電話があったのは死ぬ2日前だ。
「これから急に入院することになった。ネットが見られないと困るからイー・モバイルのUSBモデムをまた貸してほしい」
と言われた。
すぐに郵便で送った。
それから2日後に母から電話があり、飛行機で帰郷し、病院を訪ねると、父はもう死んでいた。
その時思ったのは、「きれいな亡骸だなー」、「昼寝してるみたいだなー」ということである。
そして思うのが「ほうっておくとウーンと言って起きだしそうだなー」ということである。
そんな妙な違和感があった。
そのあと家につくと、郵便ポストに自分で送ったイー・モバイルのUSBモデムが入っていた。
封筒の字を見てキッタネー字だなあーと思ったら自分の字だった。
そのあとヤマト宅急便の人が来て、自分が父宛に送った「すっぽんのスープの缶詰」をぼくに渡した。
ぼくは父の名前をサインした。
葬式は忙しくて、感興に浸る時間もなかった。
東京に帰って、深夜の通販番組をやっていて、なにか健康食品を売っていて、ああこんなのだったらお父さん食べられるんじゃないの、と独り言を言った。
もう食べられないから! と自分で突っ込んだ。
似たような話を妻の死に関してファインマンが書いていたような気がする。
親を亡くして思うのは、親がいない世界には馴染めないということだ。
違和感がある。
たとえば「西日本」という言葉を聞くと、ぼくの実家は九州なので、頭の中に衛星写真が浮かび、「ああ大阪からお父さんが住んでいるあの辺までだな・・・」とぼうっと考えるクセがついている。
そこにはもう父はいないわけである。
なんとなく自分の家の領土が狭くなった気がする。
別にウチが郷里を支配していたわけじゃないけど。
時間的にも、絶対的に年上の身内として親が君臨していて、「自分よりはかなり年上だけど親よりはずっと若い・・・」などというスケール感でとらえるクセがついている。
それが出来なくなると「重し」がなくなったような気がする。
そして、まあ通俗的な物言いだが、自分も老けたなあ、と思うのである。
「死」は現象である。
「胃」、「鵜」、「尾」、「蚊」、「木」、「毛」は物体である。
「区」、「差」は情報である。
「絵」が微妙なのだが、情報と物体の中間、あるいは両方である。
「死」はそのどれでもない。
現象である。
情報も、物体も、指し示すことが出来る。
記録や観察の対象になるのである。
そういう意味ではどっちも「モノ」だ。
一方「現象」はモノではない。
モノが動く、あるいは動くのをやめることを記録したものである。
「木」がある/ない、「差」がある/ないとは言う。
しかし「死」がある/ないとは言わない。
「近年は幼児の死があまりない」などと言うかもしれないけど、意味合いがちょっと違う。
生物とは肉体と生命が交わるところに存在するものである。
生物から生命を取り去ると、死んだ肉体が残る。
だから現象は物体がないと存在できず、しかも物体とは違うものである。
空気は物体だが風は現象である。
燃料は物体だが炎は現象である。
でも風も炎も占星術が科学だった昔には「四大元素」に入っていたから、昔の人は物体と現象の区別をしていなかったようだ。
今でも「迷走台風」などというから、台風は物体として捉えられていることがある。
あれは大きな低気圧で、現象であって、物体ではない。
もっとも、素粒子ぐらい極微の世界であれば、物質とエネルギーが相互変換しているので、物体と現象が分けられない世界もあるだろう。
また、生物は物体だろうか現象だろうか。
これは肉体という物体と生命と言う現象が両方あって初めて成立するものである。
とすると「燃えているろうそく」のような、物体と現象のセットと考えるべきか。
ということで、完全な新ジャンル、「死」を定義しよう。
「死」(し)
・現象である
・自然のものである
・世界に無数にある一般的なものの名前である
・それ自身独立して存在しない
・ある肉体に起きる現象、状態を指す
ということだろう。
上の定義は、「現象」の定義であって「死」の定義になってない気がする。
まあ、今後沢山ほかの現象が登場するだろうから、それとの違いを考えていけば、もっとリッチでクリアな定義になるだろう。