
6月16日、TKP神田ビジネスセンターという会議室で開かれた、「DTPの勉強会(第10回)」に参加した。
第9回に続いての参加である。
第9回の参加の経緯、内容については前に触れたが、簡単に言うと「文字っ子」の大御所の一人であるところのものかのさんがスピーカーをされたので参加したのである。
で、今回はやはり「文字っ子」の大御所であるきえださんがスピーカーをされたので参加した。
知り合いがスピーカーをされているセッションはやはり気になるし、参加したくなる。
特に「文字っ子」の分野においては、ぼくは明らかにヌルく(他の分野においてもだが)、少しでも他の方に近づくようになろう、何の因果か親しくしていただいている魅力的なみなさんが話している内容を、もっと深く知ることが出来るようになろうという意気込みで参加した。
きえださんのセッションは「和欧混植」という内容だった。
「和魂洋才」に似た言葉だが、要するに和文(日本語の本)の中に欧米の文を入れるときどのように文字組みを行うか、という話である。
一番簡単な例としては「printf関数の引数のフォーマット」、「喫煙に対するWHO勧告」のような横文字を日本文に入れる場合だ。
「2013-06-16にセミナーを開催します」のような日付の場合も和欧混植に入る。
先週ブログで、日本文の中のカタカナ語は名詞形と動詞形を分けるべきか(シリアライゼーションとシリアライズ)、いっそ倉橋由美子の小説のようにEnglishと英字綴りで書いてしまおうかという話を書いたばかりなので縁を感じる。
ぼくは執筆者で編集は専門ではないが、編集者の方は直接お世話になっている。
書いている内容がプログラミング言語や文字コードなので、まさに遭遇した問題が沢山出てきて面白かった。
以下、セミナーの内容をメモのままダダ漏れ状態で書きうつす。
明らかにぼくの理解を超えた難しい内容であったが、だからこそぼくの目に映った内容、ぼくの理解した内容を書き写して置くことに意味があると思う。
誤解やおかしい文章があればコメントやTwitter、Facebookでどしどしご指摘いただければ幸甚である。
★
まず定義を定める。
和欧混植(わおうこんしょく)とは何であるか(何でないか)。
混植とは複数のスクリプトを持つ組版(くみはん)のこと。
日本語はもともと漢字、平仮名、片仮名の三スクリプトを持っている。
(深沢注:先日ブログでも問題にしたことだが、平仮名のことをひらがな、片仮名のことをカタカナと書かないところが面白かった)
今回は本文(深沢注:きえださんはほんもんと発音された)、ラテンアルファベットをターゲットとする。
ギリシャ文字は範囲としない。
和欧混植と言うからには、和文が主、欧文が従である。
和文とは、全角の仮想ボディ(真四角の字の形。クワタ)を持つ日本語スクリプト(印物(しるしもの)と約物(やくもの))のこと。
(深沢注:約物は句読点や括弧、中黒のような記述記号のこと。ちなみに建築用語で役物と言えば「すみがわら」(端っこの瓦)のような特別な資材のことだが、この2つの言葉は関係があるらしい。うどんに入れる「かやく」は加薬と書くそうだが関係あるのだろうか。)
欧文とは、プロポーショナル(MS Pゴシックのように、Xは広いけどiは細い、fiがくっつくのように左右の幅が可変の文字)で書かれたもののこと。
今回全角数字(123)、全角アルファベット(ABC)は使わない。
約物は二分(にぶん、全角の半分のこと)、または四分(しぶん、二分の半分のこと)で組む。
和文は基本てきにベタ組み(字と字をくっつけて並べる)。
欧文は分かち書きする。
レタースペースは静的で、ワードスペースは動的である。
和欧混植の基本は、和文は和文として、欧文は欧文として組む。
とりあえず読者の誤読を避ける。
縦組みか横組みか。
和文は両方あるが、欧文は横だけである。
最近縦中横(たてちゅうよこ)が話題になっているが、これは特殊な記号であると見なし、和欧混植には入れない。
和文のスクリプトの大きさの特徴について。
漢字は四角くて大きい。
仮名は丸くて小さく、線が少なく、透明度が大きい。
以下の図は(深沢注:ここでスライドが提示された)小学一年生の教育漢字と平仮名を重ねてみたものである。
全部の漢字を重ねると大きく黒い(色が濃い)四角に見える。
全部の仮名を重ねると小さく白い(色が薄い)丸に見える。
これはどの書体も一緒である。
欧文には凹凸がある。
Hamburgという言葉を見れば、H、bは上に出っ張っていて、gは下に出っ張っている。
和文はべた組みである。
仮想ボディを密着して並べる。
グリフは重ならない。
グリフによって組み方が変わらない。
例外は禁則約物の存在である。
(深沢注:句点。やカギカッコ閉じ」は行頭に来ないなど)
この結果行長は文字長の整数倍にならない。
だから(字間の?)調整が必要になる。(ページが四角く見えるために?)
欧文はわかち組みである。
単語の前後にスペースを取る。
パンクチュエーション(句読法)がある。
欧文にはベースライン(文字の高さ)、レタースペース(字間)、ワードスペース(単語間)に加えてグレイ濃度という量がある。
グレイ濃度は和文と欧文の決定的な違いである。
欧文は自然なレタースペースとワードスペースを持つ。
分綴(ぶんてつ)=ハイフネーションという現象がある。
ワードスペースの存在、調整量限界の存在。
欧文には改行可能な場所が(単語の間および分綴可能な場所に)限られている。
分綴は(深沢注:in・for・mationのように)辞書によって可能な場所が限られている。
和文はどこでも可能である。
(しばらく略)
文字列は自然に矩形をなす。
(四角くなる。)
その結果、上下左右の境界が存在する。
辺をなす。
和文はべた組みなので問題が少ない。
フォントメーカーが頑張っているおかげである。
(深沢注:「龍」と「り」が同じ四角に入ってもさほどおかしくない)
欧文はベースライン、ミーンライン、キャップラインという3つの高さがある。
それぞれHamburgのHの高さ、aの高さ、bの高さのこと。
Hよりもbはさらに高い。
行方向の調整にはプロトリュージョンというものがある。
これは版面(深沢注:きえださんははんづらと発音されていた)の外に突出させて凹凸を調整するもの。
これは、突出させないとむしろ凹んで見えるから。
和文のぶら下げ組み(カッコ閉じや句点を行末からはみ出させる)とは違う。
ぶらさげ組みはあえてはみ出させて見せる。
プロトリュージョンははみ出させて見えないようにするために、あえて(深沢注:人間の目の錯覚を考慮して)はみ出させる。
(深沢注:ここで質問タイム)
Q:和文で、コロンが出てきた場合どうするか
A:コロン以外にも、句読点の代わりにカンマピリオドを使うこともあるだろう。この場合、和文のコロン、カンマ、ピリオドは和文の(深沢注:字形の)コロン、カンマ、ピリオドを使い、和文として組む。
Q:(深沢注:ぼくの質問)欧文を改行で分綴せず、行末をあえてガタガタさせた方が「力強い」と聞いたのだが
A:それはラグ組みと言う。ガタガタさせた方が読みやすいという考え方ももちろんあるが、和欧混植では(深沢注:あくまで和文が主、欧文が従であるので)ラグ組みは行わず、ジャスティフィケーションを行って四角く組む。どちらが「力強い」かどうかはよく分からない(深沢注:会場笑い)
Q:欧文をカッコで囲むときは、欧文のカッコを使うか、和文のを使うか
A:どちらかに決めればいいし、決めるしかない。とりあえずイタリックにはしない。
(深沢注:質問おわり)
欧文におけるマイクロタイポグラフィーについて。
さきほどのプロトリューションのように、ちょっとだけ出すとか、字間をちょっとだけ空けること。
InDesignにも実装しているらしいが、ぼくはTeXしか使わないのでよく分からない。
文字列によって起きる眼球の運動について。
本を読むと、出現する文字の種類によって視線が運動を起こす。
和文はベタ組みなので、離散的に運動を起こす。
漢字が出現した場合、仮名が出現した場合のように、文字単位で変化が起きる。
欧文は単語単位で、区分的に連続して運動する。
欧文の単語を読むときは(深沢注:日本人は?)多少時間が掛かる。
和文は文字間で切断(深沢注:時間的休止)が起きる。
欧文は単語間で切断が起きる。
これをブレイクと呼ぶ。
日本人は文章を読むとき脳内で音読していると言う。
ある程度文章を書いたら、約物を入れないと息が詰まると言われる。
小学生などは、長い文を読ませると、呼吸が出来なくなるので読むのを止めると言われている。
?や!のあとには直後に全角空きにすると言われる。
これはブレイクよりも大きい、登山家が落ちる穴のような、クレバスと呼ぶ。
ぼく(深沢注:きえださん)は個人的には反対である。
半角でも大きいと思う。
(深沢注:文字が、人間に与える?)インパクトが、和文は点であり、欧文は面である。
これはお互いに無関係であり、どちらかに引っ張られるわけではない。
欧文も和文のように組まなければいけないかというと、そんなことはない。
和文は文字間で切断(深沢注:時間的休止)が起きる。
不必要な断絶で誤読が起きる。
(深沢注:組版における量の設定について)
固定量は書体、ベースラインの設定である。
和欧混植においては、平仮名のベースラインに欧文を合わせる。
欧文は明らかに(理系の書物であっても)レアケースであり、多数派に合わせた方がリスクが少ない。
不定量はアキ量である。
和文のリズムはもっとも安定している。
和文のアキは書体によって異なる。
近接する文字の間だけを見るのではなく、版面全体を見て設定を考える。
和文の句読点としてカンマ、ピリオドを使う場合は、和文のカンマ、ピリオドを和文として使う。
算用数字について。
ライニングかオールドか、等幅かプロポーショナルかによって、2×2=4種類ある。
欧文だからオールドにするというのは早計である。
下に字がはみ出るのは良くないのでライニングが良い。
等幅かプロポーショナルか。
プロポーショナル(深沢注:7の右下に3が潜り込んだりする)は黒い。
密集し過ぎている。
等幅の方がインパクトが弱く、日本語に近くなる。
インパクトの(深沢注:スクリプト間での)遷移は緩い方が読みやすい。
ということで、ライニングで等幅の、テーブルフィギュアと言われるものが良いだろう。
ただし書体にもよるから確認が必要である。
数字の中で「1」は問題が多い。
セリフ(深沢注:文字の上下間のでっぱり)の有無によって異なる。
和文の間にはさまるとき、行頭に来るとき、行末に来るとき。
(深沢注:なんとなくわかるけど詳細はわからなくなってしまいました・・・)
組み文字について。
横書きでは、欧文に関する組み文字(深沢注:㎛のような)は使わない。
ローマ数字も、囲み数字も使わない。
括弧は文字全体を囲むもの。
欧文と和文で(深沢注:字体が)違う。
縦方向で大きさが違う。
(深沢注:欧文の括弧をどちらにするかは?)根本的な解決は不可能で、妥協点を探るべきだ。
このような(English (co-)product)場合どうするか。
和欧括弧混在を許容するか、欧文括弧で通すか。
これは(深沢注:和欧の)書体のマッチングによる。
括弧だけフォントを変えてもいい。
読者のリスクを下げる。
版面全体で考える。
和文の句読点に和文のカンマピリオドはOK。
欧文のはダメ。
和欧混植では和文が主体である。
和欧文間あきは四分あきとJISでは定められているが、当然調整する。(深沢注:的なことだったと思うが不明)
(深沢注:欧文の)濃度。
かなよりも濃いが漢字よりもうすいぐらいが理想。
漢字より濃いと(深沢注:読者の)目が止まるので避けたい。
かなよりも薄いとインパクトがなくなる。
書体の選択は難しい。
(深沢注:欧文の)レタースペースを気持ち空けて調整することもある。
(深沢注:Q&Aタイム)
Q:欧文の単語の文字数が多い場合どうするか。たとえば(深沢注:スリジャナワルジャワプラコッテなど)アジアの地名の場合、どこを切っていいか分からない
A:妥協するしかない。文末に来ないように何ページも遡って調整するか、(深沢注:著作者に頼んで)文章を変えてもらうか。終局的には版面すべてを見る必要がある。
Q:数字+単位(欧文)の組み方について
A:組文字は止めて欧文として組みましょう
Q:縦組はどうします
A:今日の話を応用してください
Q:縦組みの和文の中にURLがある場合どうするか
A:ピリオドは(深沢注:仮想ボディの)四辺のどこにあるかに気を付ける(深沢注:的なことだったと思う)。ドメイン名などは切っては行けない。しかし(深沢注;顧客に)切れと言われたらしょうがないからどこでも切れ。
URLは欧文列。
縦組は長さが変わっても日本人の特性で読める。
(深沢注:これが中間のぼくの質問(英語は多少ガタガタの方が読みやすいという意見もある)と対比して面白かった。欧米人が欧文は多少ガタガタしていても読めるように、日本人は縦組みであれば多少ガタガタしても読める、ということか。)
★
きえださんの話はここまで。
以下はぼくの感想。
いかにも難しい話だったが、スッキリして簡潔な話、美しい話をこころがけておられるようだった。
ぼくならもっと用例満載にして、聴衆におもねってInDesignをいっぱい使うことで分かりやすさ、面白さを演出しようと思うところだが、それでは限られた時間で内容が薄くなる。
それよりも「難しい内容を、難しいままで、必要最小限な言葉で伝える分かりやすさ」というものを感じた。
難しいから緊張して聞く。
緊張して聞くから分かることもある。
難しいことをやたら優しく、かみ砕いて説明することだけが分かりやすくすることじゃないんだなーと思った。
勉強になった。
あと、通俗的な感想だが、組版者の方はここまで心を砕いて版面の美しさと文章が誤解なく読者に了解されることを心がけられておられるのだから、軽々しく編集者に接するべきではないと思った。
(もとより軽々しく接しているつもりはないが!)
と同時に、ここはもっとこう、というときに言いやすくなるヒントをたくさんもらった。
セッションの後できえださんにお礼を言った。
「今日の話はいかにも入門編、総論ですね。もっと、あと3倍ぐらい聞きたいです」と言うと、「あとは各論になるから、用例を出して議論するしかないですね」とのことだった。
うーん、それをいっぱい聞きたい!
「欧米の人が欧和混植をするときはどうするんですか」というと「それはもっとカンタンです。欧文のベースラインに合わせるしかないから」ということだった。
★
懇親会で、文字っ子の大御所(こればっかり言ってるなー)ものかのさんと小池さんの近くに座らせていただいて、いろいろ話を聞いたが、その中で今日のきえださんのセッションについて聞いた。
「きえださんはとにかく誤読を避けること、とにかく意味が分かることが第一、という考えですが、それは美学とか、美的センスを捨てる、ということですか」
するとものかのさんと小池さんが異口同音にこういう意味のことを言った。(要約の文責は深沢)
「いや、それは逆です。今日の話は、美学のかたまりですよ」
「要するに、実用を極めれば、しぜんに美しくなるべきだという考えです」
なるほどなー。
これは一本取られた。
ぼくの質問はいかにも不用意な質問だが、不用意な質問をして良かったと思った。
話が明確になったのである。
★
小池さんが「版面がどうしてもきれいに収まらない時は、著作者に差し戻して文章を直してもらえ、と言っていた、それは本当に良く分かる。そうやって文章を直してもらえば、かえっていい文章になる」という趣旨のことをおっしゃっていた。
小池さんは本業は編集者だが、該博な知識をもとに著作もされている。
ご自分の著作については自分で組版もされている。
すごいですね!と言うと、京極夏彦さんもそうだという話を聞いた。
京極さんは自分の本の組版にどうしても納得が出来ず、小説家として名を成してからInDesignを自分のパソコンに導入して組版を始めたそうだ。
すごいな。
そういう、著者であり編集者でもある小池さんのおっしゃることだから重みがあるが、ぼくはこれには異論があった。
ぼくはいぜん、カッコの中の句点について編集者と議論になった。
深沢の原文:
これについてものかのさんとプチ議論になった。
ぼくの考え:
・これはぼくの書き方が正しい。
・どちらの書き方が可能だとしても、決定権は著者にあり、編集者にはない。
ものかのさんの考え:
・ぼくの書き方は小学生ふうで幼い。
・決定権は編集者にある。
ぼくの説明が意を尽くしていなかったかもしれないが、ぼくが言いたかったのはこういうことだ。
ぼくは句点をカッコに入れるときもあれば、出すときもある。
意味が変わってしまうのである。
下の例は文Aがカッコの中を読むことで文A´になる場合である。
上記の2つの例について、カッコと句点は複数の違う機能を持っていて、書き方を変えれば意味が変わる。
ちなみにぼくは昔、カッコの句点を直されてトサカに来て、自分の本棚から本を出して、自分と同じ句読法の文章を恣意的に拾い出し、ファックスした。
著者は現在は小説家であるが、元「ヒッチコックマガジン」編集長の小林信彦である。
まあ、こういう相克はしょっちゅうあることだ。
編集者は、いままでこの世に存在したあらゆる本の歴史を踏まえて、最も正しく理解される本を作ろうとする。
著作者は、これまでこの世に存在しなかった、まったく新しいヘンテコな本を作ろうとする。
どちらがいい悪いではない。
創造的な対立であって、トコトン話し合って読者のためにいい本を出せばいいのではないか。
とりあえずぼくの中で結論は(まだ)出ない。
小池さんがとりなすように「まあ、雑誌と単行本で違うかもしれないですね」「いろんな文章の書き方があるし、あっていいわけだけど、今は新聞の力が強いから、新聞ふうに統一しろと言われるかもしれませんね」という意味のことを言われた。(文責:深沢)
そういうことかもしれない。
ひとしなみに著作者、原稿と言ってもいろいろであって、一定の品質のコモディティとして文章を売る場合と、自分の表現、学校支配からの卒業として書く場合で、違いがあるのは当然だ。
(とうぜん多くの文章はこの両者の中間のどこかに存在する。)
著作に限らない。
ぼくは意外とロックンロールな方で、突っ張ることは男のたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきたようなところがあるので、こういう衝突は社会生活のあらゆる局面において当たり前に起こる。
ただ、衝突は有益だと思う。
あと、現実の話、編集者の助言もいろいろである。
ぼくは自分で編集者の言うことをありがたく良く聞く。
このブログを振り返って読んでもらえばわかるが、ぼくの用語用字法はむちゃくちゃであって、編集者さんの目を通さなければとてもお金をもらえるものではない。
直せることは直すのにちっともやぶさかではない。
編集者さんの助言を得て、文章が良くなったことは多々ある。
「本当はこう書きたかったんですよ!」とメールすることもあった。
感謝しています。
文章は「自分だけが知っていることを相手に伝えること」であって、当然「他人の目から見たらわけが分からないこと」を知らず知らずに縷々書いていることが多々ある。
これは、自分では分からないのである。
教えてもらうのはうれしい。
ありがたいことだ。
ただ、簡単に、「カッコの前に句点があるのはおかしいから後ろに移動しますネー」、「決まりですからネー」とカンタンに言われるのはちょっと、と思うのである。
「ちゃんと理由があって、あえて、分かったうえで御社の表記規則をはみ出している、この俺の気持ち受け止めて欲しい」と言いたくなるのである。
このカッコマルの話などは、もう12年ぐらい悩んでいたのだ。
まあ議論は有益であって、今後もしていきたい。
★
神田TKPに戻るが、きえださんのセッションのあとにはショートセッションが2つあった。
まず大阪から来られたともちゃんさんの「Acrobatの意外かもしれない校正方法」。
これも、PDFの校正というぼくにドンピシャなテーマで、聞いて良かった。
以下は面白かったことを抜き書きする。
・Adobe製品は高価なので、組版者はAcrobat8、9を使っていることがあるが、Readerは無料で配布されるのでたいてい最新版を使う
・Acrobat 8とReader Xを同一PCに混在させると問題がおこる。共有レビューのデータが飛ぶ。Acrobatを使わないと行けないので、Readerを消した
・校正、校閲、推敲は全部意味が違う。ほんらい紙でないと校正とは言わない気もする。でも今回は校正で行きます
・Windows8のOSの機能だけでも注釈は入れられる
・Readerでも注釈が出来る
・JustRightというジャストシステムの製品を使って校正するのも良い。
・のの連続とか、たりたりとかも自動で検出できる
・直したという証拠を残すため、構成前にPDFを残して置く
・同一文書を複数ウィンドウにして並べて表示できる。前後を見て校正できる
・注釈を含めて複数文書の串刺し検索(grep)も出来る
・校正者は要望なのか間違いなのかをはっきりして欲しい
・文字を挿入するのは見えづらいから、テキストハイライト
・打ち消し線も使う
・コメントボックスは、リッチテキストからコピペすると色がつけられる
・色の濃淡も変えられる
・注釈の取り込みは、FDFファイルも使える
・校正1回目としてあるいは校訂履歴として残せる
・文書の比較で、修正前後の違いが見られる
・一括して注釈を入れる(してほしくないときもあるが。。)
・これには「テキストを検索して削除」を選ぶ(削除はしないが。。)
・PDFを軽くするには、最適化を普通使うが、限界がある
・文書の検査がいいと言われるが、Xだとかえって大きくなる
・やはり「ファイルサイズの縮小」がいい
・PDFをWebページから作成する場合は印刷ではなくて作成を選ぶ
・印刷だとハイパーリンクが死ぬ
・共有レビューはオンラインで同時に注釈する機能
・PDFの比較のおすすめ
・WebベースのPDF差分チェック(名古屋のニューキャストという会社)
・パッケージソフトとしてはBeforeAfter
ぼくはAdobe製品を買う余裕もないし必要も感じなかったのだが、今回の話や京極さんの話を聞いて、組版の人と対等な話をするためにAdobe CCを導入してみようと思った。
小池さんに言わせると「月3千円で遊べるんだから、パッケージを持ってないなら安いでしょ」ということだ。
確かに!
★
最後はクロチョコさん。
Adobe DPS(Degital Publishing Suites)という無料のソフトを使ってiPadのカッコイイ文書/アプリケーションを作ると言う話。
上のリンクのWebページを見ると、とても個人のサイトとは思えない超絶美しいサイトであって、プレゼンテーションもものすごく美しかった。
今回のプレゼンテーションもAdobe DPSを使って作られたそうだ。
あまり自分では使わないと思ったので急にザックリになるが(ゴメンナサイ)iPadのURLスキームを使うことでMail appを起動して自分の宛先や題名、内容のテンプレートを埋め込んでフィードバックを求めたり、そういうWebアプリケーション的なことも出来るのは便利なようだ。
あと、勉強用のサイトとして以下のサイトが紹介されていた。
・チュートリアルジン(商用で使えるサンプルコードが満載)
・JSDoit JavaScript code community
・Githab
・.install
なお、今日のクロチョコさんのプレゼンテーションも「adobe id」さえあれば共有できるそうだ。
★
以上、あいかわらず無駄に長くなった。
DTPの勉強会は、勉強会の中でも大変盛況な会であって、洗練を極めていて非常に楽しいので、これからも参加していきたい。



で、今回はやはり「文字っ子」の大御所であるきえださんがスピーカーをされたので参加した。
知り合いがスピーカーをされているセッションはやはり気になるし、参加したくなる。
特に「文字っ子」の分野においては、ぼくは明らかにヌルく(他の分野においてもだが)、少しでも他の方に近づくようになろう、何の因果か親しくしていただいている魅力的なみなさんが話している内容を、もっと深く知ることが出来るようになろうという意気込みで参加した。
きえださんのセッションは「和欧混植」という内容だった。
「和魂洋才」に似た言葉だが、要するに和文(日本語の本)の中に欧米の文を入れるときどのように文字組みを行うか、という話である。
一番簡単な例としては「printf関数の引数のフォーマット」、「喫煙に対するWHO勧告」のような横文字を日本文に入れる場合だ。
「2013-06-16にセミナーを開催します」のような日付の場合も和欧混植に入る。
先週ブログで、日本文の中のカタカナ語は名詞形と動詞形を分けるべきか(シリアライゼーションとシリアライズ)、いっそ倉橋由美子の小説のようにEnglishと英字綴りで書いてしまおうかという話を書いたばかりなので縁を感じる。
ぼくは執筆者で編集は専門ではないが、編集者の方は直接お世話になっている。
書いている内容がプログラミング言語や文字コードなので、まさに遭遇した問題が沢山出てきて面白かった。
以下、セミナーの内容をメモのままダダ漏れ状態で書きうつす。
明らかにぼくの理解を超えた難しい内容であったが、だからこそぼくの目に映った内容、ぼくの理解した内容を書き写して置くことに意味があると思う。
誤解やおかしい文章があればコメントやTwitter、Facebookでどしどしご指摘いただければ幸甚である。
★
まず定義を定める。
和欧混植(わおうこんしょく)とは何であるか(何でないか)。
混植とは複数のスクリプトを持つ組版(くみはん)のこと。
日本語はもともと漢字、平仮名、片仮名の三スクリプトを持っている。
(深沢注:先日ブログでも問題にしたことだが、平仮名のことをひらがな、片仮名のことをカタカナと書かないところが面白かった)
今回は本文(深沢注:きえださんはほんもんと発音された)、ラテンアルファベットをターゲットとする。
ギリシャ文字は範囲としない。
和欧混植と言うからには、和文が主、欧文が従である。
和文とは、全角の仮想ボディ(真四角の字の形。クワタ)を持つ日本語スクリプト(印物(しるしもの)と約物(やくもの))のこと。
(深沢注:約物は句読点や括弧、中黒のような記述記号のこと。ちなみに建築用語で役物と言えば「すみがわら」(端っこの瓦)のような特別な資材のことだが、この2つの言葉は関係があるらしい。うどんに入れる「かやく」は加薬と書くそうだが関係あるのだろうか。)
欧文とは、プロポーショナル(MS Pゴシックのように、Xは広いけどiは細い、fiがくっつくのように左右の幅が可変の文字)で書かれたもののこと。
今回全角数字(123)、全角アルファベット(ABC)は使わない。
約物は二分(にぶん、全角の半分のこと)、または四分(しぶん、二分の半分のこと)で組む。
和文は基本てきにベタ組み(字と字をくっつけて並べる)。
欧文は分かち書きする。
レタースペースは静的で、ワードスペースは動的である。
和欧混植の基本は、和文は和文として、欧文は欧文として組む。
とりあえず読者の誤読を避ける。
縦組みか横組みか。
和文は両方あるが、欧文は横だけである。
最近縦中横(たてちゅうよこ)が話題になっているが、これは特殊な記号であると見なし、和欧混植には入れない。
和文のスクリプトの大きさの特徴について。
漢字は四角くて大きい。
仮名は丸くて小さく、線が少なく、透明度が大きい。
以下の図は(深沢注:ここでスライドが提示された)小学一年生の教育漢字と平仮名を重ねてみたものである。
全部の漢字を重ねると大きく黒い(色が濃い)四角に見える。
全部の仮名を重ねると小さく白い(色が薄い)丸に見える。
これはどの書体も一緒である。
欧文には凹凸がある。
Hamburgという言葉を見れば、H、bは上に出っ張っていて、gは下に出っ張っている。
和文はべた組みである。
仮想ボディを密着して並べる。
グリフは重ならない。
グリフによって組み方が変わらない。
例外は禁則約物の存在である。
(深沢注:句点。やカギカッコ閉じ」は行頭に来ないなど)
この結果行長は文字長の整数倍にならない。
だから(字間の?)調整が必要になる。(ページが四角く見えるために?)
欧文はわかち組みである。
単語の前後にスペースを取る。
パンクチュエーション(句読法)がある。
欧文にはベースライン(文字の高さ)、レタースペース(字間)、ワードスペース(単語間)に加えてグレイ濃度という量がある。
グレイ濃度は和文と欧文の決定的な違いである。
欧文は自然なレタースペースとワードスペースを持つ。
分綴(ぶんてつ)=ハイフネーションという現象がある。
ワードスペースの存在、調整量限界の存在。
欧文には改行可能な場所が(単語の間および分綴可能な場所に)限られている。
分綴は(深沢注:in・for・mationのように)辞書によって可能な場所が限られている。
和文はどこでも可能である。
(しばらく略)
文字列は自然に矩形をなす。
(四角くなる。)
その結果、上下左右の境界が存在する。
辺をなす。
和文はべた組みなので問題が少ない。
フォントメーカーが頑張っているおかげである。
(深沢注:「龍」と「り」が同じ四角に入ってもさほどおかしくない)
欧文はベースライン、ミーンライン、キャップラインという3つの高さがある。
それぞれHamburgのHの高さ、aの高さ、bの高さのこと。
Hよりもbはさらに高い。
行方向の調整にはプロトリュージョンというものがある。
これは版面(深沢注:きえださんははんづらと発音されていた)の外に突出させて凹凸を調整するもの。
Love is imporant.というページがあったとき、Vを若干前に突出させる。
Victory is also
important.
これは、突出させないとむしろ凹んで見えるから。
和文のぶら下げ組み(カッコ閉じや句点を行末からはみ出させる)とは違う。
ぶらさげ組みはあえてはみ出させて見せる。
プロトリュージョンははみ出させて見えないようにするために、あえて(深沢注:人間の目の錯覚を考慮して)はみ出させる。
(深沢注:ここで質問タイム)
Q:和文で、コロンが出てきた場合どうするか
A:コロン以外にも、句読点の代わりにカンマピリオドを使うこともあるだろう。この場合、和文のコロン、カンマ、ピリオドは和文の(深沢注:字形の)コロン、カンマ、ピリオドを使い、和文として組む。
Q:(深沢注:ぼくの質問)欧文を改行で分綴せず、行末をあえてガタガタさせた方が「力強い」と聞いたのだが
A:それはラグ組みと言う。ガタガタさせた方が読みやすいという考え方ももちろんあるが、和欧混植では(深沢注:あくまで和文が主、欧文が従であるので)ラグ組みは行わず、ジャスティフィケーションを行って四角く組む。どちらが「力強い」かどうかはよく分からない(深沢注:会場笑い)
Q:欧文をカッコで囲むときは、欧文のカッコを使うか、和文のを使うか
A:どちらかに決めればいいし、決めるしかない。とりあえずイタリックにはしない。
(深沢注:質問おわり)
欧文におけるマイクロタイポグラフィーについて。
さきほどのプロトリューションのように、ちょっとだけ出すとか、字間をちょっとだけ空けること。
InDesignにも実装しているらしいが、ぼくはTeXしか使わないのでよく分からない。
文字列によって起きる眼球の運動について。
本を読むと、出現する文字の種類によって視線が運動を起こす。
和文はベタ組みなので、離散的に運動を起こす。
漢字が出現した場合、仮名が出現した場合のように、文字単位で変化が起きる。
欧文は単語単位で、区分的に連続して運動する。
欧文の単語を読むときは(深沢注:日本人は?)多少時間が掛かる。
和文は文字間で切断(深沢注:時間的休止)が起きる。
欧文は単語間で切断が起きる。
これをブレイクと呼ぶ。
日本人は文章を読むとき脳内で音読していると言う。
ある程度文章を書いたら、約物を入れないと息が詰まると言われる。
小学生などは、長い文を読ませると、呼吸が出来なくなるので読むのを止めると言われている。
?や!のあとには直後に全角空きにすると言われる。
これはブレイクよりも大きい、登山家が落ちる穴のような、クレバスと呼ぶ。
ぼく(深沢注:きえださん)は個人的には反対である。
半角でも大きいと思う。
(深沢注:文字が、人間に与える?)インパクトが、和文は点であり、欧文は面である。
これはお互いに無関係であり、どちらかに引っ張られるわけではない。
欧文も和文のように組まなければいけないかというと、そんなことはない。
和文は文字間で切断(深沢注:時間的休止)が起きる。
不必要な断絶で誤読が起きる。
(深沢注:組版における量の設定について)
固定量は書体、ベースラインの設定である。
和欧混植においては、平仮名のベースラインに欧文を合わせる。
欧文は明らかに(理系の書物であっても)レアケースであり、多数派に合わせた方がリスクが少ない。
不定量はアキ量である。
和文のリズムはもっとも安定している。
和文のアキは書体によって異なる。
近接する文字の間だけを見るのではなく、版面全体を見て設定を考える。
和文の句読点としてカンマ、ピリオドを使う場合は、和文のカンマ、ピリオドを和文として使う。
算用数字について。
ライニングかオールドか、等幅かプロポーショナルかによって、2×2=4種類ある。
欧文だからオールドにするというのは早計である。
下に字がはみ出るのは良くないのでライニングが良い。
等幅かプロポーショナルか。
プロポーショナル(深沢注:7の右下に3が潜り込んだりする)は黒い。
密集し過ぎている。
等幅の方がインパクトが弱く、日本語に近くなる。
インパクトの(深沢注:スクリプト間での)遷移は緩い方が読みやすい。
ということで、ライニングで等幅の、テーブルフィギュアと言われるものが良いだろう。
ただし書体にもよるから確認が必要である。
数字の中で「1」は問題が多い。
セリフ(深沢注:文字の上下間のでっぱり)の有無によって異なる。
和文の間にはさまるとき、行頭に来るとき、行末に来るとき。
(深沢注:なんとなくわかるけど詳細はわからなくなってしまいました・・・)
組み文字について。
横書きでは、欧文に関する組み文字(深沢注:㎛のような)は使わない。
ローマ数字も、囲み数字も使わない。
括弧は文字全体を囲むもの。
欧文と和文で(深沢注:字体が)違う。
縦方向で大きさが違う。
(深沢注:欧文の括弧をどちらにするかは?)根本的な解決は不可能で、妥協点を探るべきだ。
このような(English (co-)product)場合どうするか。
和欧括弧混在を許容するか、欧文括弧で通すか。
これは(深沢注:和欧の)書体のマッチングによる。
括弧だけフォントを変えてもいい。
読者のリスクを下げる。
版面全体で考える。
和文の句読点に和文のカンマピリオドはOK。
欧文のはダメ。
和欧混植では和文が主体である。
和欧文間あきは四分あきとJISでは定められているが、当然調整する。(深沢注:的なことだったと思うが不明)
(深沢注:欧文の)濃度。
かなよりも濃いが漢字よりもうすいぐらいが理想。
漢字より濃いと(深沢注:読者の)目が止まるので避けたい。
かなよりも薄いとインパクトがなくなる。
書体の選択は難しい。
(深沢注:欧文の)レタースペースを気持ち空けて調整することもある。
(深沢注:Q&Aタイム)
Q:欧文の単語の文字数が多い場合どうするか。たとえば(深沢注:スリジャナワルジャワプラコッテなど)アジアの地名の場合、どこを切っていいか分からない
A:妥協するしかない。文末に来ないように何ページも遡って調整するか、(深沢注:著作者に頼んで)文章を変えてもらうか。終局的には版面すべてを見る必要がある。
Q:数字+単位(欧文)の組み方について
A:組文字は止めて欧文として組みましょう
Q:縦組はどうします
A:今日の話を応用してください
Q:縦組みの和文の中にURLがある場合どうするか
A:ピリオドは(深沢注:仮想ボディの)四辺のどこにあるかに気を付ける(深沢注:的なことだったと思う)。ドメイン名などは切っては行けない。しかし(深沢注;顧客に)切れと言われたらしょうがないからどこでも切れ。
URLは欧文列。
縦組は長さが変わっても日本人の特性で読める。
(深沢注:これが中間のぼくの質問(英語は多少ガタガタの方が読みやすいという意見もある)と対比して面白かった。欧米人が欧文は多少ガタガタしていても読めるように、日本人は縦組みであれば多少ガタガタしても読める、ということか。)
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きえださんの話はここまで。
以下はぼくの感想。
いかにも難しい話だったが、スッキリして簡潔な話、美しい話をこころがけておられるようだった。
ぼくならもっと用例満載にして、聴衆におもねってInDesignをいっぱい使うことで分かりやすさ、面白さを演出しようと思うところだが、それでは限られた時間で内容が薄くなる。
それよりも「難しい内容を、難しいままで、必要最小限な言葉で伝える分かりやすさ」というものを感じた。
難しいから緊張して聞く。
緊張して聞くから分かることもある。
難しいことをやたら優しく、かみ砕いて説明することだけが分かりやすくすることじゃないんだなーと思った。
勉強になった。
あと、通俗的な感想だが、組版者の方はここまで心を砕いて版面の美しさと文章が誤解なく読者に了解されることを心がけられておられるのだから、軽々しく編集者に接するべきではないと思った。
(もとより軽々しく接しているつもりはないが!)
と同時に、ここはもっとこう、というときに言いやすくなるヒントをたくさんもらった。
セッションの後できえださんにお礼を言った。
「今日の話はいかにも入門編、総論ですね。もっと、あと3倍ぐらい聞きたいです」と言うと、「あとは各論になるから、用例を出して議論するしかないですね」とのことだった。
うーん、それをいっぱい聞きたい!
「欧米の人が欧和混植をするときはどうするんですか」というと「それはもっとカンタンです。欧文のベースラインに合わせるしかないから」ということだった。
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懇親会で、文字っ子の大御所(こればっかり言ってるなー)ものかのさんと小池さんの近くに座らせていただいて、いろいろ話を聞いたが、その中で今日のきえださんのセッションについて聞いた。
「きえださんはとにかく誤読を避けること、とにかく意味が分かることが第一、という考えですが、それは美学とか、美的センスを捨てる、ということですか」
するとものかのさんと小池さんが異口同音にこういう意味のことを言った。(要約の文責は深沢)
「いや、それは逆です。今日の話は、美学のかたまりですよ」
「要するに、実用を極めれば、しぜんに美しくなるべきだという考えです」
なるほどなー。
これは一本取られた。
ぼくの質問はいかにも不用意な質問だが、不用意な質問をして良かったと思った。
話が明確になったのである。
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小池さんが「版面がどうしてもきれいに収まらない時は、著作者に差し戻して文章を直してもらえ、と言っていた、それは本当に良く分かる。そうやって文章を直してもらえば、かえっていい文章になる」という趣旨のことをおっしゃっていた。
小池さんは本業は編集者だが、該博な知識をもとに著作もされている。
ご自分の著作については自分で組版もされている。
すごいですね!と言うと、京極夏彦さんもそうだという話を聞いた。
京極さんは自分の本の組版にどうしても納得が出来ず、小説家として名を成してからInDesignを自分のパソコンに導入して組版を始めたそうだ。
すごいな。
そういう、著者であり編集者でもある小池さんのおっしゃることだから重みがあるが、ぼくはこれには異論があった。
ぼくはいぜん、カッコの中の句点について編集者と議論になった。
深沢の原文:
これはPerlの限界です。(もちろん回避策もあります。)編集者の直し:
これはPerlの限界です(もちろん回避策もあります)。これはどっちが正しいか。
これについてものかのさんとプチ議論になった。
ぼくの考え:
・これはぼくの書き方が正しい。
・どちらの書き方が可能だとしても、決定権は著者にあり、編集者にはない。
ものかのさんの考え:
・ぼくの書き方は小学生ふうで幼い。
・決定権は編集者にある。
ぼくの説明が意を尽くしていなかったかもしれないが、ぼくが言いたかったのはこういうことだ。
ぼくは句点をカッコに入れるときもあれば、出すときもある。
意味が変わってしまうのである。
これはPerlの限界です。(もちろん回避策もあります。)
上司の言うことに従っていれば間違いはないです(サラリーマンとしては)。上の例は文Aのあとにカッコに入れて文Bを書く場合であって、文Bはあってもなくても文Aの意味は変わらない。
下の例は文Aがカッコの中を読むことで文A´になる場合である。
上記の2つの例について、カッコと句点は複数の違う機能を持っていて、書き方を変えれば意味が変わる。
ちなみにぼくは昔、カッコの句点を直されてトサカに来て、自分の本棚から本を出して、自分と同じ句読法の文章を恣意的に拾い出し、ファックスした。
著者は現在は小説家であるが、元「ヒッチコックマガジン」編集長の小林信彦である。
やすし・きよしの二人は一九六七年三月に上方漫才大賞の新人賞を得ている。(そんなことは東京では誰も知らない。)(天才伝説 横山やすし)
まあ、こういう相克はしょっちゅうあることだ。
編集者は、いままでこの世に存在したあらゆる本の歴史を踏まえて、最も正しく理解される本を作ろうとする。
著作者は、これまでこの世に存在しなかった、まったく新しいヘンテコな本を作ろうとする。
どちらがいい悪いではない。
創造的な対立であって、トコトン話し合って読者のためにいい本を出せばいいのではないか。
とりあえずぼくの中で結論は(まだ)出ない。
小池さんがとりなすように「まあ、雑誌と単行本で違うかもしれないですね」「いろんな文章の書き方があるし、あっていいわけだけど、今は新聞の力が強いから、新聞ふうに統一しろと言われるかもしれませんね」という意味のことを言われた。(文責:深沢)
そういうことかもしれない。
ひとしなみに著作者、原稿と言ってもいろいろであって、一定の品質のコモディティとして文章を売る場合と、自分の表現、学校支配からの卒業として書く場合で、違いがあるのは当然だ。
(とうぜん多くの文章はこの両者の中間のどこかに存在する。)
著作に限らない。
ぼくは意外とロックンロールな方で、突っ張ることは男のたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきたようなところがあるので、こういう衝突は社会生活のあらゆる局面において当たり前に起こる。
ただ、衝突は有益だと思う。
あと、現実の話、編集者の助言もいろいろである。
ぼくは自分で編集者の言うことをありがたく良く聞く。
このブログを振り返って読んでもらえばわかるが、ぼくの用語用字法はむちゃくちゃであって、編集者さんの目を通さなければとてもお金をもらえるものではない。
直せることは直すのにちっともやぶさかではない。
編集者さんの助言を得て、文章が良くなったことは多々ある。
「本当はこう書きたかったんですよ!」とメールすることもあった。
感謝しています。
文章は「自分だけが知っていることを相手に伝えること」であって、当然「他人の目から見たらわけが分からないこと」を知らず知らずに縷々書いていることが多々ある。
これは、自分では分からないのである。
教えてもらうのはうれしい。
ありがたいことだ。
ただ、簡単に、「カッコの前に句点があるのはおかしいから後ろに移動しますネー」、「決まりですからネー」とカンタンに言われるのはちょっと、と思うのである。
「ちゃんと理由があって、あえて、分かったうえで御社の表記規則をはみ出している、この俺の気持ち受け止めて欲しい」と言いたくなるのである。
このカッコマルの話などは、もう12年ぐらい悩んでいたのだ。
まあ議論は有益であって、今後もしていきたい。
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神田TKPに戻るが、きえださんのセッションのあとにはショートセッションが2つあった。
まず大阪から来られたともちゃんさんの「Acrobatの意外かもしれない校正方法」。
これも、PDFの校正というぼくにドンピシャなテーマで、聞いて良かった。
以下は面白かったことを抜き書きする。
・Adobe製品は高価なので、組版者はAcrobat8、9を使っていることがあるが、Readerは無料で配布されるのでたいてい最新版を使う
・Acrobat 8とReader Xを同一PCに混在させると問題がおこる。共有レビューのデータが飛ぶ。Acrobatを使わないと行けないので、Readerを消した
・校正、校閲、推敲は全部意味が違う。ほんらい紙でないと校正とは言わない気もする。でも今回は校正で行きます
・Windows8のOSの機能だけでも注釈は入れられる
・Readerでも注釈が出来る
・JustRightというジャストシステムの製品を使って校正するのも良い。
・のの連続とか、たりたりとかも自動で検出できる
・直したという証拠を残すため、構成前にPDFを残して置く
・同一文書を複数ウィンドウにして並べて表示できる。前後を見て校正できる
・注釈を含めて複数文書の串刺し検索(grep)も出来る
・校正者は要望なのか間違いなのかをはっきりして欲しい
・文字を挿入するのは見えづらいから、テキストハイライト
・打ち消し線も使う
・コメントボックスは、リッチテキストからコピペすると色がつけられる
・色の濃淡も変えられる
・注釈の取り込みは、FDFファイルも使える
・校正1回目としてあるいは校訂履歴として残せる
・文書の比較で、修正前後の違いが見られる
・一括して注釈を入れる(してほしくないときもあるが。。)
・これには「テキストを検索して削除」を選ぶ(削除はしないが。。)
・PDFを軽くするには、最適化を普通使うが、限界がある
・文書の検査がいいと言われるが、Xだとかえって大きくなる
・やはり「ファイルサイズの縮小」がいい
・PDFをWebページから作成する場合は印刷ではなくて作成を選ぶ
・印刷だとハイパーリンクが死ぬ
・共有レビューはオンラインで同時に注釈する機能
・PDFの比較のおすすめ
・WebベースのPDF差分チェック(名古屋のニューキャストという会社)
・パッケージソフトとしてはBeforeAfter
ぼくはAdobe製品を買う余裕もないし必要も感じなかったのだが、今回の話や京極さんの話を聞いて、組版の人と対等な話をするためにAdobe CCを導入してみようと思った。
小池さんに言わせると「月3千円で遊べるんだから、パッケージを持ってないなら安いでしょ」ということだ。
確かに!
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最後はクロチョコさん。
Adobe DPS(Degital Publishing Suites)という無料のソフトを使ってiPadのカッコイイ文書/アプリケーションを作ると言う話。
上のリンクのWebページを見ると、とても個人のサイトとは思えない超絶美しいサイトであって、プレゼンテーションもものすごく美しかった。
今回のプレゼンテーションもAdobe DPSを使って作られたそうだ。
あまり自分では使わないと思ったので急にザックリになるが(ゴメンナサイ)iPadのURLスキームを使うことでMail appを起動して自分の宛先や題名、内容のテンプレートを埋め込んでフィードバックを求めたり、そういうWebアプリケーション的なことも出来るのは便利なようだ。
あと、勉強用のサイトとして以下のサイトが紹介されていた。
・チュートリアルジン(商用で使えるサンプルコードが満載)
・JSDoit JavaScript code community
・Githab
・.install
なお、今日のクロチョコさんのプレゼンテーションも「adobe id」さえあれば共有できるそうだ。
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以上、あいかわらず無駄に長くなった。
DTPの勉強会は、勉強会の中でも大変盛況な会であって、洗練を極めていて非常に楽しいので、これからも参加していきたい。


