持ち家と賃貸、どっちがいいか。
これは、昔で言えばMacとPCどっちがいいか、今で言えばiPhoneとAndroidどっちがいいかと一緒で、永遠のテーマであり、宗教論争である。
これは、昔で言えばMacとPCどっちがいいか、今で言えばiPhoneとAndroidどっちがいいかと一緒で、永遠のテーマであり、宗教論争である。
竹川美奈子さんの「たりないお金」に代表される、今の若い世代に向けて書かれての最近のファイナンシャル・プランニングの本では、おおむね持ち家に否定的である。
しかし世間的には持ち家派は根強い。
親の世代から、道徳的な文脈で、家ぐらい持ってないと一人前じゃないよ、という言い方をされるのである。
現実問題、頭金もないし、ローンを払っていく余裕もないので非現実的だから、考える必要もないのだが、ないなりにいろいろWebを見ていて、次の記事に出会った。
なぜ、「購入 VS 賃貸」 という比較がナンセンスなのか?(仙石浩明の日記)
この記事には「住宅購入は不動産投資をすることであって、不動産投資をする余裕がある人は住宅を買えば良い」と書かれている。
目からウロコが落ちた。
他にも「上がったり下がったりする株を買うだけでも白い目で見られる。借金をして株を買う(信用取引をする)などと言うと、絶対に白い目で見られる。でも、一生かかって返さなければならない借金をして、価値が上がったり下がったりする住宅を買うのはまったく白い目で見られず、むしろちゃんとしてて立派な人、という目で見られるのはなぜだろう」というブログもあって、それもなるほどなと思った。
まず、「持ち家と賃貸どっちが【正しい】か」という問題はおかしい。
「貯金と株、どっちが正しいか」「大企業に入るのと、起業するのとどっちが正しいか」という問題と一緒である。
株で大儲けをした人も、大損をした人もいる。
だから「正しいかどうか」という問題の立て方はおかしい。
借金をして家を建てるのも、一生家賃を払い続けるのも、賭けだ。
次にこの問題は、「自分がどうしたか」に大きく影響される。
これはiPhoneとAndroidのどっちがいいかと一緒で、両方持っていて使い比べて意見を言う人はまずない。
たいていどっちかを持っている人が、持っていない方をディスっているのだ。
家を買った人も、買えるのに買わなかった人も、自分の選択は正しかったと思いたい。
だから、それを証明する意見を収集して、議論のための議論をする。
しかし、これは時間がもったいないのである。
過去に行った、自分の選択はもう動かせない。
だったら、「あのときどうしていればよかったか」なんかをくよくよ考えていても無駄なのだ。
次にこの問題は、貧乏人と金持ちで取り組みが全然違う。
家を買っても住まないで、人に貸している人がいるそうだ。
自分は小さなアパートを買ってそっちに住んでいる。
その方が税金が安くなるそうだ。
大家さんという事業主になるから、自分の家は半分事務所、自家用車は半分事業車、電話代も電気代も節税になるそうだ。
ある人は場所はいいけど汚い家を探しては、買って、住みながらリフォームするそうだ。
キレイになったら借家にして人に貸し、自分はまた別の汚い家を買って住むそうだ。
こうなると楽しそうだし、その人のおかげできれいな借家が増えて世の中のためになっているという気がする。
家もひとつの人生のツールだ。
バイクや腕時計に目が飛び出るようなお金を出しても、本人が幸せならそれでオッケー、という生き方もあるだろう。
好きなようにすればいいのではないか。
しかし世間的には持ち家派は根強い。
親の世代から、道徳的な文脈で、家ぐらい持ってないと一人前じゃないよ、という言い方をされるのである。
現実問題、頭金もないし、ローンを払っていく余裕もないので非現実的だから、考える必要もないのだが、ないなりにいろいろWebを見ていて、次の記事に出会った。
なぜ、「購入 VS 賃貸」 という比較がナンセンスなのか?(仙石浩明の日記)
この記事には「住宅購入は不動産投資をすることであって、不動産投資をする余裕がある人は住宅を買えば良い」と書かれている。
目からウロコが落ちた。
他にも「上がったり下がったりする株を買うだけでも白い目で見られる。借金をして株を買う(信用取引をする)などと言うと、絶対に白い目で見られる。でも、一生かかって返さなければならない借金をして、価値が上がったり下がったりする住宅を買うのはまったく白い目で見られず、むしろちゃんとしてて立派な人、という目で見られるのはなぜだろう」というブログもあって、それもなるほどなと思った。
まず、「持ち家と賃貸どっちが【正しい】か」という問題はおかしい。
「貯金と株、どっちが正しいか」「大企業に入るのと、起業するのとどっちが正しいか」という問題と一緒である。
株で大儲けをした人も、大損をした人もいる。
だから「正しいかどうか」という問題の立て方はおかしい。
借金をして家を建てるのも、一生家賃を払い続けるのも、賭けだ。
次にこの問題は、「自分がどうしたか」に大きく影響される。
これはiPhoneとAndroidのどっちがいいかと一緒で、両方持っていて使い比べて意見を言う人はまずない。
たいていどっちかを持っている人が、持っていない方をディスっているのだ。
家を買った人も、買えるのに買わなかった人も、自分の選択は正しかったと思いたい。
だから、それを証明する意見を収集して、議論のための議論をする。
しかし、これは時間がもったいないのである。
過去に行った、自分の選択はもう動かせない。
だったら、「あのときどうしていればよかったか」なんかをくよくよ考えていても無駄なのだ。
次にこの問題は、貧乏人と金持ちで取り組みが全然違う。
家を買っても住まないで、人に貸している人がいるそうだ。
自分は小さなアパートを買ってそっちに住んでいる。
その方が税金が安くなるそうだ。
大家さんという事業主になるから、自分の家は半分事務所、自家用車は半分事業車、電話代も電気代も節税になるそうだ。
ある人は場所はいいけど汚い家を探しては、買って、住みながらリフォームするそうだ。
キレイになったら借家にして人に貸し、自分はまた別の汚い家を買って住むそうだ。
こうなると楽しそうだし、その人のおかげできれいな借家が増えて世の中のためになっているという気がする。
家もひとつの人生のツールだ。
バイクや腕時計に目が飛び出るようなお金を出しても、本人が幸せならそれでオッケー、という生き方もあるだろう。
好きなようにすればいいのではないか。