ぼくはオタクで引き籠りだから、人付き合いがだんだんインターネットに収斂されてきた。
会うのもネットで知り合った人が多いし、リアルの友達ともメールでやり取りすることが多い。
仕事も、趣味も、液晶を見ながらキーボードをパチパチ叩くことである。
今のところ快適である。
会うのもネットで知り合った人が多いし、リアルの友達ともメールでやり取りすることが多い。
仕事も、趣味も、液晶を見ながらキーボードをパチパチ叩くことである。
今のところ快適である。
インターネットは基本文字だけ、言葉だけの世界だから、人間関係が非常に良くサマライズされている。
「文字だけだから誤解を生むことも多い」というが、それはその通りである。
でも、「こういう書き方だとこういう誤解を生む余地がある」ということを学べば良い。
文字だけだから逆に改善するのも簡単である。
そこで一段「文字だけで誤解のない深いコミュニケーションをする方法はないか」と模索したい。
「『自分の』文字の使い方が未熟で、曖昧だからだから誤解を生む」
「ようし、もっと成熟した、明晰な言葉遣いを学むぞう」
という、まあそこまで力を入れる必要はないが、そういう気構えで臨めばいいのである。
「自分の言葉が通じないのは文字だけだからだ」
「自分は奥深い、微妙な人情の機微を持った人間なのに、誤解されてしまうのは文字だけだからだ」
「自分がこんなに奥深いことを言えるのに、それを遮断してしまう文字だけのコミュニケーションを強制される現代社会はなんと殺伐とした世の中であることか」
「やっぱり電話か、会って話さないと『本当の人間関係』は築けない」
「この奥深い自分を生かせないネット情報化社会は愚かだし、自分はその犠牲者だ。鬱だ死のう」
と言う風に考えを進めるのは、正しいかもしれないが不幸である。
だいたい電話の黎明期も「直接会いに来ないで、電話で済ませるとはなんと横着な人だ」と言われたに違いない。
もしかすると言語が生み出された時代の原始人の人も、言語を早く習得した人が、遅く習得した人に「ウホホホ・・・(なんだあいつは言葉ばっかり得意になって使いやがっていまいましい)」とか言われてたかもしれない。
「自分は考えを文章にまとめるのが苦手だし、言葉を知らないから、メールやSNSのやり取りが鬱陶しい。電話や会って話す方が気楽だし話が早い」
と言うのならまだ分かる。
でも、だったら文章ぐらい練習すればいいじゃないか、と思うし、相手が「この人とならいつでも会いたいし電話したい」と言う風に持っていく、あるいは、メールやSNSがなくても生きていける環境に持っていけばいいんじゃないだろうか。
ぼくはと言うと、電話やじかに会って話をするのも、気が合う同士が特に目的もなく集まってダラダラ話すのは大好きだ。
定期的にそういう機会を持っている。
でも、目的があるから会議、質問があるから電話、と言うのは苦手である。
可能な限り排除したい。
リアルタイムで時間を拘束されるからである。
確かに直接話せば話が速い。
その価値、必要性は理解している。
でも、時間を取られる。
特に電話は凶悪である。
「いまやっているあらゆる用事を一時中断して自分の用事を最優先に処理しろ」と言っているのである。
べつに電話ぐらい掛けて来てもいいけど、相手が何をやっているか、という気配りが欲しい。
さて、ネットを見ていると、好かれる人、嫌われる人、いい人、イヤな人というのがいろいろある。
先日、アマチュアバンドとファンが交流する掲示板というのがあってぼうっと見ていた。
そしたら
「×月×日にライブやります! 場所はどこどこです! 対バンはだれだれです! みんなチェケラ」
的なことをバンドのリーダーの人がやる気マンマンで書いていた。
そしたら「わー楽しみです!絶対行きます!」というのに混じって、「×月×日はどうしても外せない仕事があるから行けません、残念です・・・」、「×月×日はどうしても外せない用事があるから行けません、残念です・・・」、「×月×日は仕事で××に行くので行けません。××の近くだったら行けたのに、残念です・・・」という「行けません残念ですポスト」が怒涛の勢いで書かれていた。
別に行けないなら書かなくていい、と思う。
どうしてもメンバー(や別のファン)に伝える必要があれば、それこそメールにすればいい。
そのうち「行ける人は楽しみです、と書けばいいけど、行けない人は特に書く必要ないんじゃないですか? テンション下がるし、公開処刑みたいですよ」と書く人がいて、怒涛の「残念です攻撃」は収まったが、この「自治書き込み」も必要ではあっただろうがちょっと雰囲気が悪くなった。
「残念です攻撃」を書いた人は、「良かれと思って」書いた人だろうと思う。
また2回目以降に書いた人は「行けない人は書くのが礼儀なんだなー」と「間違った思い込み」に基づいて雪崩を打ってしまった。
こういう、(失礼な言い方かもしれないが)動物がスタンピードを起こすような「われもわれも」と言う「思い込みの雪崩現象」もネットの恐ろしいところである。
時代のバズワードである「ヘイトスピーチ」や「炎上」は、書く側に悪意があって、雰囲気を悪くしようと思って書いているのだから合目的的でまだ納得が行く。
しかし上記の「残念です雪崩現象」の場合は、全員が良かれと思っているのである。
これはお互いに不幸な状況だ。
上記はロックバンドのメンバーと常連客が全員知り合いで自由に言葉を交わしあえるという、ある意味特殊な事例ではある。
これが、言うところの「【超】情報化社会」の恐ろしさである。
でもこういうの、ちょっと大きい宴会とか、技術的な私的な勉強会でも「あるある」ではないだろうか。
注意したい。
まあ、誰が参加してくるか分からないので、難しいところだ。
この場合はバンドのリーダーが最初にちょっとおどけた調子で「『不参加表明』は、気持ちは伝わってるから、みんなのテンション落ちるので、ちょっと控えてくれるとうれしいナ★ そこんとこよろしくチェケラ」と書いておけばいいのかなという気もする。
あと、俺はチェケラの使い方がいまいち間違っているような気もする。
「文字だけだから誤解を生むことも多い」というが、それはその通りである。
でも、「こういう書き方だとこういう誤解を生む余地がある」ということを学べば良い。
文字だけだから逆に改善するのも簡単である。
そこで一段「文字だけで誤解のない深いコミュニケーションをする方法はないか」と模索したい。
「『自分の』文字の使い方が未熟で、曖昧だからだから誤解を生む」
「ようし、もっと成熟した、明晰な言葉遣いを学むぞう」
という、まあそこまで力を入れる必要はないが、そういう気構えで臨めばいいのである。
「自分の言葉が通じないのは文字だけだからだ」
「自分は奥深い、微妙な人情の機微を持った人間なのに、誤解されてしまうのは文字だけだからだ」
「自分がこんなに奥深いことを言えるのに、それを遮断してしまう文字だけのコミュニケーションを強制される現代社会はなんと殺伐とした世の中であることか」
「やっぱり電話か、会って話さないと『本当の人間関係』は築けない」
「この奥深い自分を生かせないネット情報化社会は愚かだし、自分はその犠牲者だ。鬱だ死のう」
と言う風に考えを進めるのは、正しいかもしれないが不幸である。
だいたい電話の黎明期も「直接会いに来ないで、電話で済ませるとはなんと横着な人だ」と言われたに違いない。
もしかすると言語が生み出された時代の原始人の人も、言語を早く習得した人が、遅く習得した人に「ウホホホ・・・(なんだあいつは言葉ばっかり得意になって使いやがっていまいましい)」とか言われてたかもしれない。
「自分は考えを文章にまとめるのが苦手だし、言葉を知らないから、メールやSNSのやり取りが鬱陶しい。電話や会って話す方が気楽だし話が早い」
と言うのならまだ分かる。
でも、だったら文章ぐらい練習すればいいじゃないか、と思うし、相手が「この人とならいつでも会いたいし電話したい」と言う風に持っていく、あるいは、メールやSNSがなくても生きていける環境に持っていけばいいんじゃないだろうか。
ぼくはと言うと、電話やじかに会って話をするのも、気が合う同士が特に目的もなく集まってダラダラ話すのは大好きだ。
定期的にそういう機会を持っている。
でも、目的があるから会議、質問があるから電話、と言うのは苦手である。
可能な限り排除したい。
リアルタイムで時間を拘束されるからである。
確かに直接話せば話が速い。
その価値、必要性は理解している。
でも、時間を取られる。
特に電話は凶悪である。
「いまやっているあらゆる用事を一時中断して自分の用事を最優先に処理しろ」と言っているのである。
べつに電話ぐらい掛けて来てもいいけど、相手が何をやっているか、という気配りが欲しい。
さて、ネットを見ていると、好かれる人、嫌われる人、いい人、イヤな人というのがいろいろある。
先日、アマチュアバンドとファンが交流する掲示板というのがあってぼうっと見ていた。
そしたら
「×月×日にライブやります! 場所はどこどこです! 対バンはだれだれです! みんなチェケラ」
的なことをバンドのリーダーの人がやる気マンマンで書いていた。
そしたら「わー楽しみです!絶対行きます!」というのに混じって、「×月×日はどうしても外せない仕事があるから行けません、残念です・・・」、「×月×日はどうしても外せない用事があるから行けません、残念です・・・」、「×月×日は仕事で××に行くので行けません。××の近くだったら行けたのに、残念です・・・」という「行けません残念ですポスト」が怒涛の勢いで書かれていた。
別に行けないなら書かなくていい、と思う。
どうしてもメンバー(や別のファン)に伝える必要があれば、それこそメールにすればいい。
そのうち「行ける人は楽しみです、と書けばいいけど、行けない人は特に書く必要ないんじゃないですか? テンション下がるし、公開処刑みたいですよ」と書く人がいて、怒涛の「残念です攻撃」は収まったが、この「自治書き込み」も必要ではあっただろうがちょっと雰囲気が悪くなった。
「残念です攻撃」を書いた人は、「良かれと思って」書いた人だろうと思う。
また2回目以降に書いた人は「行けない人は書くのが礼儀なんだなー」と「間違った思い込み」に基づいて雪崩を打ってしまった。
こういう、(失礼な言い方かもしれないが)動物がスタンピードを起こすような「われもわれも」と言う「思い込みの雪崩現象」もネットの恐ろしいところである。
時代のバズワードである「ヘイトスピーチ」や「炎上」は、書く側に悪意があって、雰囲気を悪くしようと思って書いているのだから合目的的でまだ納得が行く。
しかし上記の「残念です雪崩現象」の場合は、全員が良かれと思っているのである。
これはお互いに不幸な状況だ。
上記はロックバンドのメンバーと常連客が全員知り合いで自由に言葉を交わしあえるという、ある意味特殊な事例ではある。
これが、言うところの「【超】情報化社会」の恐ろしさである。
でもこういうの、ちょっと大きい宴会とか、技術的な私的な勉強会でも「あるある」ではないだろうか。
注意したい。
まあ、誰が参加してくるか分からないので、難しいところだ。
この場合はバンドのリーダーが最初にちょっとおどけた調子で「『不参加表明』は、気持ちは伝わってるから、みんなのテンション落ちるので、ちょっと控えてくれるとうれしいナ★ そこんとこよろしくチェケラ」と書いておけばいいのかなという気もする。
あと、俺はチェケラの使い方がいまいち間違っているような気もする。