ぼくは小さいころから将棋を指せる人にあこがれがあったが、結局覚える機会がないまま中年になった。
将棋ぐらい覚えればいいと自分でも思うが、なぜか覚えなかった。
不思議なことだ。
Shogi Game Position
将棋はかっこいい。
完全情報非ゼロ和ゲーム(どっちかが必ず勝つ、運の要素がまったく介在しない、先手必勝か先手必敗のゲーム)であり、頭脳と将棋盤さえあればどこでも出来る。

将棋盤がなくても出来る。
以前テレビドラマで、新幹線の隣席に乗った男子プロと女子プロのカップルが「二四歩・・・」とか小声で言い合って対局をする場面があった。
目隠し将棋というらしいが、強烈にカッコ良くてあこがれた。

指せもしないのに将棋を解説しているテレビをぼうっと見ていることがある。
数手先まで予想して「こうなってこうなるんですかねー」「それだと負けるから(数手戻して)こう打ってこう打って・・・」みたいなことをやっている。
あれもかっこいい。
なんか出来もしないことを外から見てカッコイイ、カッコイイと言っている強力にカッコ悪い文章だが・・・。

なぜ数手先まで予想が付くのか、そして記憶できるのかというと、羽生さんがテレビの対談番組で言っていたのは「プロ同士の将棋は美しいメロディのようになっている。そのメロディから外れないから、何十手でも覚えられる」という趣旨のことを言っていた。
「阪神の川藤さんのような人と打つと、そのメロディからたまに外れた音が入るので、やりにくいし、負けそうになる」と言うようなことを言っていて、非常に面白いと思った。
いちおうぼくの専門である、文章書きやプログラミングに通底するものがある。
コンピューターの差す手は羽生さんにはどんなメロディに聞こえるのだろうか。

棋士の人がテレビで将棋のことを言うのを聞くのも好きで、あこがれるのだが、一度ちょっと嫌な気持ちになったことがあって、それはぼくが小学生のころ、去年物故された米長さんが(三波伸介さんの減点パパかなんかで?)話していたことだ。

「将棋盤に向かって、正座する人は強くなる。正座しない人は弱くなる」

というようなことを重々しく言っていたのだ。

ぼくは体が硬くて、正座がうまく組めない。
組み方が少しおかしいらしくて、すぐ痺れてしまう。
だから和室がダメだ。
将棋よりももっと切実に、文字コードの研究家としては書道も習いたいし、茶道なんかもやってみたいと思っているのだが、正座がダメなので二の足を踏んでいる。

しかし、素人に将棋の何たるかを語るのに「まず正座」を解く米長さんの態度はどうだろうか。
ぼくはこれで何となくイヤになってしまって、学校の先生や町の将棋自慢のような人に習うのをやめてしまった。
どうせ「正座のようなこと」を偉そうに押し出してくる人が多いのではないかと思って、それが怖かったのだ。
過剰反応だろうか。
しかし、ぼくのように感じる人が相当数いたとすれば、将棋界にとって、ぼくのようなだらしない人が大量に将棋を忌避するきっかけになったに違いない。
なにしろNHKテレビでの発言である。
それで将棋界は大衆の人気を少し失ったと思うのか、いや、正座が出来ないような人が押し寄せてこなくて良かったと思っていたのだろうか。
それは良く分からない。

その米長さんが晩年コンピューターと対局して負けた。
これは最近のコンピューター対人間という大きな世間の関心を集めた端緒となった、非常に立派な行為である。
ボンクラーズなどと言うふざけた名前のソフトと精一杯戦った、米長さんの懐の深さに拍手を送りたい。

コンピューターに正座は出来ない。
なにしろ足がないからである。
ところが、「現代ビジネス」の記事にこんな文章があってびっくりした。

大盤解説会で、屋敷伸之九段の聞き手役を務める矢内理絵子女流四段が、特別対局室にいるもう1人の「三浦」について話題にした。対局者の三浦八段の前に座り、GPSが選択した手を盤上に指す「模擬対局者」役を務める三浦孝介初段、まだプロをめざして修行中の奨励会員だ。今回の電王戦で全局、この仕事をまかされている三浦初段を、矢内はこう賞賛した。

「三浦初段は全局を通じて、一度も正座を崩していないんですよ」

 ところが、屋敷九段がすかさず言う。

「それは当然です。もし正座を崩したりして、師匠に見つかったら大変ですよ」

 機械ならぬ生身の人間は、こうした「修行」によって、正確な読みと揺れない心を手に入れるのかもしれないな、と思った。そしてふと、将棋で「人間がコンピュータに負けちゃいけない」のは、彼らの技術の陰にこうした苦しみがあることを、誰もが感じ取っているからではないかとも思った。だから負けちゃいけない。というより、負けてほしくないのだ、と。

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【前編】対局3日前、「棋界の武蔵」三浦八段が漏らした本音文/山岸浩史


コンピューターは駒を動かすロボットアームを持っていないので、次に自分が差す手を指示するだけだ。
それを見て、忠実に駒を動かす係の人がいて、その人は将棋プロを目指す奨励会員で、その人は絶対に正座を崩さない、もしも崩したら師匠に大変な目に合わされる、と言うのである。

どうやら米長さんの発言に小学生の頃ぼくが感じ取ったものは、勘違いでも過剰反応でもなく、「正座を崩さないこと」は、将棋界において非常に重要なことらしい。
コンピューターの手をそのままなぞって差す係の人が足を崩さないことが賞賛されるほど素晴らしいことらしいのである。

そしてとりあえずぼくには、その価値がまったく理解できない。

ぼくは足が固くてすぐ痺れてしまうので、これからどこかでプロ棋士に出会ったとしても、将棋の指南を求めることはないと思う。
でもプロ棋士にも正座が苦手な人ぐらいいるんじゃないだろうか。
足がしびれるのを気にしていたら、なかなかいい手を打つのは難しいと思うのだが・・・。

あと、ブラジル出身のマルシアさんが「日本人が足が短いのは和室で正座するからだ」と言っていたのだが、これは根拠があるのだろうか。


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