前回の続き。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「蚊」を分析した。
前々々々々回「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
 ・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
 ・生命を持っている
 ・母体から切り離されると死ぬ
 ・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている(※前回追加)
 ・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである(※前回追加)
 ・人間にもある(※前回追加)

そして前々々々回「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・生命を持っている
 ・一個の独立したものである
 ・独立して生きている
 ・種類の中でだいたい大きさが決まっている
 ・羽毛がある(※前回「蚊」との区別のため追加。納得が行かないが・・・)

そして前々々回「絵」(え)には以下のような特徴があると分かった。

 ・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
 ・人工のものである
 ・人間が鑑賞するためのものである
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものである
 ・生命を持っていない
 ・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある

そして前々回「尾」(お)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
 ・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
 ・生命を持っている
 ・母体から切り離されると死ぬ
 ・母体に対してだいたい大きさの比率が決まっている(※前回追加)
 ・母体の大きさによって絶対的な大きさはまちまちである(※前回追加)
 ・人間にはない(※前回追加)<=ここが「胃」との違い

そして前回「蚊」(か)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・生命を持っている
 ・一個の独立したものである
 ・独立して生きている
 ・種類の中でだいたい大きさが決まっている
 ・羽毛がない(※「鵜」との違いのために追加)

鵜と蚊を分けるのは羽毛があるかないかである。
ちょっとこれまでのように腑に落ちないのだが、なぜ腑に落ちないかも分からないので、腑に落ちないままにしておく。
この苦味も哲学の味か。

さて、今日は「木」だ。

木と草はどこが違うか。
これはWikipediaの部とを見ても、学者によって論争があるそうだ。

おおむね木質の幹を形成するかということで分けているが、じゃあ竹はどうなるのという話である。

ぼくは毎年花を咲かせ、実を付けたら根こそぎ枯れてしまうのが草かと思っていた。
しかし多年草というのがある。

ただし多年草というのはムラサキケマンのように1年目で発芽し、2年目で成長し、3年目で花を咲かせて枯れるものもある。
リュウゼツランや上記の竹のように、何年も掛けて生育するが、最終的に花を咲かせると枯死するのもある。
こういうのを一稔生というらしい。

一方、ミントやマツバギクのように、年中緑の葉があるものを常緑多年草という。
これらは同じ株から毎年花を咲かせる。
冬の間は地上部は枯れてしまうが、根だけ生きているものは宿根草という。
以上全部Wikipedia調べである。

竹が一番コントラヴァーシャルというかマージナルである。
明らかに木質で、固いが、一稔生であり、一生に一度花を咲かせて、死ぬ。
竹の専門家が「竹は、木でも、草でもない、竹だ」と言い残しているそうだ。

もともと世の中はグラデーションになっていて、人間が勝手に分けているだけである。
雨と、雪と、霙と、雹と、霰という言葉があるが、これらはの違いも分からない。
たぶんすべて中間的な状態があるだろう。
気象庁用語では、5mm以上が雹、5mm未満が霰だそうだ。
イヌイットにはもっとたくさんの雪の言葉があるそうで、やっぱり雪への関心が高いんだろう。

昔学校で習ったのだが、南洋の言葉では「立っている男」「座っている男」「寝ている男」「歩いている男」を全部違う名詞で表すそうだ。
教師の言によると「未開の国の言葉ほど、多くの語彙を丸暗記しなければならない」ということだそうだ。
でも、じゃあ「雹」と「霰」を包摂して雹にしてしまって、「横浜南部では5mm未満の雹が降りますが、北部では5mm以上の雹が降るでしょう」などと言うことにすれば覚える言葉が少なくてより開明的かというと、明らかに不便になるわけであって、ここはやはり言葉を分けた方が良い。

木と、草と、竹も分けた方が良いが、自然界は人間の分類に従って増えているわけではないので、マージナルなケースは存在するだろう。

ちなみに草に実るのが野菜で、木に生るのが果物だそうだ。
レモンやアボカドは甘くないが果物である。
ちなみに英語でlemonと言うと不良品という意味のスラングだが、これはフルーツなのに甘くないということだそうだ。
一方イチゴやバナナは草に実るので野菜の仲間で、果菜と言うそうだ。

「木」はこれまで分類したものの中では「鵜」や「蚊」に近いが、カバレッジが広い。

物質-無生物
  -生物-動物-変温動物-昆虫-蚊
        -恒温動物-鳥-鵜
     -植物-木

と言う状態で(実際にはリンネが始祖となったもっと完璧な分類があるのだろうが)蚊や鵜よりはずいぶん一般的な名詞である。
しかし前に議論した植物よりも個別的な名詞である。

こんな感じか。

「木」(き)

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・生命を持っている
 ・一個の独立したものである
 ・一か所に固定している(※蚊、鵜との区別のために必要)
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る(※他の植物との違いのために必要)
 ・大きさがまちまちである

あらためて、この連載でぼくが何をしようとしているかというと
 ・この世界はどういうものかを最も単純に説明する
 ・そのためには、この世界を人間が現時点でどう捉えているかを考える
 ・そのためには、人間が使っている言葉を分類し整理する(手始めに日本語1文字の名詞から・・・)
ということであるらしい。

「木」について説明しろと言われたら、普通は
 ・物質の一種である生物の一種である植物の一種
 ・植物には他に、草、苔、茸があるが、これらとは固い幹を持ち、何年も生き続け、毎年実が生る点が違う
 ・木には杉、松、桜などの種類がある
 ・木は一か所に固定している
という説明が簡単であろう。

しかしぼくは「木と蚊はどこが違うか」「蚊と胃はどこが違うか」など、普通は比較しないものも比較しようとしている。
これは何の役に立つんだろう。

普通に
「物質の中で生物と無生物を分けるものはなにか」
「生物の中で動物と植物を分けるのは何か」
「植物の中で木とそれ以外を分けるものは何か」
というアプローチの方が、明らかに合理的で、分かりやすいし、捗る。

でも、それだと従来の科学の枠組みに捉えられる気がする。
自分はどうも、それに捉えられないものとしてものごとを理解したいらしい。
でも、そんな理解は可能なのだろうか。
むしろ既成の科学の枠組みに捉えられた方が世界を深く理解できるのではないだろうか。

ううん。
とりあえず50音考えてから考えよう~~。

次回は「区」を研究する。


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