連載の第13回。
今回はアルバム『ドミノ・セオリー』を紹介する。



昔この言葉(ドミノ理論)が流行っていた。 Domino Cascade
もしヴェトナム戦争に勝てずに共産化を許してしまったら東南アジアの小国は全部ドミノ倒しのように共産化してしまう。
だからどんな犠牲を払ってもヴェトナム戦争は続けなければならないというアメリカの勝手な理屈である。
しかしこのアルバムが出たのはヴェトナム終戦から9年後の1985年なので、直接の関係はない。
なんとなく名前がカッコいいから付けたんじゃないだろうか。

日本では(世界でも)ロックスター的に人気があったジャコが脱退してしまったのと、やはりスター・プレイヤーであったショーターの影が薄くなってしまったので、この時期のウェザーは途端に人気がなくなる。
愚かなことだと思う。
どうも日本のジャズ、ロックファンはプレイヤー指向なところがあって、ギターがうまいとかそういう点に注目が集まる。
まあザヴィヌルは独裁者的に他のプレイヤーの意向を無視することが多かったので(そしてないがしろにされるミュージシャンがいずれも超が付くスーパープレイヤーばかりだったので)非ザヴィヌルファンの心が離れるところがあったかもしれない。
いずれにしてもこのアルバムあたりは、不幸にしてあまり評価されていない。
内容は超大傑作である。

M1「CAN IT BE DONE」はWillie Teeというニューオルリンズ出身の古いシンガーのバラードを取り上げたもので、カール・アンダーソンのヴォーカル以外のすべての楽器をザヴィヌルがシンセで演奏している。
ドラムは当時出てきた「リン」のエレキドラムである。
日本ではYMOが「君に、胸キュン。」を出したのが1983年で、この時もドラムを全部リンにしたので話題になった。
このオープニングを聞くだけで、フツーのジャズファン、ショーターのサックスが聴きたくてレコードに針を落とした人は腰を抜かしてしまうだろう。
ぼくもなぜこの曲で始めたのか、なぜそれをザヴィヌルが一人で演奏しようと思ったのか、正直分からない。
が、ムリヤリ解釈すると、ザヴィヌルの「非ジャズ宣言」「非バンド宣言」を見たような気がする。
このバンドは俺一人のバンドで、どのジャンルにもとらわれずにやる、という決心を感じるのだ。

すっかりなごんだところで怒涛のようなドラム攻撃でびっくりするのがM2「D FLAT WALTZ」である。
「Boogie Woogie Waltz」同様三拍子の、超ゴキゲンな曲だ。
いかにもウェザーですという感じの曲だが、シンセの音色やショーターのサックスの録音が80年代風の派手なサウンドなのが楽しい。

M3「THE PEASANT」は小作農という意味だと思う。
ザヴィヌルがただ手クセで弾いているだけ・・・のようなウネウネした曲だが、中毒性がある。
こんな曲はのちのトランス、テクノに通じるミニマルミュージックであり、多国籍的なメロディも合わせて早すぎたザヴィヌルの才能を感じる。

M4からがレコードのB面。
「Predetor」(捕食者という意味)はショーターの曲だが、非常にアルバムのコンセプトに合った激しい曲だ。
最初にテーマのメロディを吹いたショーターが、どんどんメロディを超人的に変えていくのが楽しい。
真剣に聞いていると酔う。

ただ、この美しさは両刃の剣だとも思う。
ショーターの音楽はあまりにもメロディ、コードがリッチなので、ソロアルバムだと酔ってしまって苦手だと思うことがある。
ザヴィヌルもマイルスも、よりアーシーでシンプルな音楽に突き進む上で、ショーターのあまりにも美しいメロディ、複雑なコードを切り捨てて行ったのではないだろうか。

M5「Blue Sound - Note 3」はへヴィーな曲だが、後年にザヴィヌルがソロでも取り上げていた。
(晩年の日本公演でも見た。)
M1の不思議なシンセブレイクが再現される。

M6「Swamp Cabbage」はまたショーターの曲だが、M4と同様のハードな曲だ。
当時のショーターは作曲に時間を費やし過ぎるザヴィヌルと人間関係がうまく行かず、もう心はソロに行ってしまっていたように書かれているし、ぼくもそう思っていたが、こうして改めてアルバムを聞きなおしてみると、非常にザヴィヌルがやろうとしていることを理解して、それをさらに飛躍させていることが分かる。
後半のザヴィヌルの変なメロディと、テーマを再現するところが曲芸的で楽しい。

M7「Domino Theory」は非現実的なリンのドラム、アルペジエーターで自動演奏されるシンセで始まる。
基本的なドラムはリンで、それにオマーが生ドラムのフィルをかぶせている。
(リンのプログラミングはオマーがやったとも言われている。)

リズムマシーンと生ドラムの競演は以前アルバム『Weather Report(1982版の方)』でも試されていた。
こっちの生ドラムはピーター・アースキンだ。
また、もっと前の『ミスター・ゴーン』の曲「ヤング・アンド・ファイン」ではスティーヴ・ガッドがドラム本体を担当して、ピーター・アースキンはただチキチキ言うハイハットを踏んでいたこともある。
またベーシスト、マーカス・ミラーのソロアルバムでマーカスがジャコの「ティーン・タウン」をカヴァーするときも、スティーヴ・ガッドがリズムキープのドラムを叩いてオマー・ハキムがフィルを入れるという試みもあった。
こういう、方針の違うリズムを錯綜させて複雑な響きを生む効果は何度も試みられている。

ところが「ピーターはスティーブに仕事を取られてハイハットに追いやられてしまった」、「ピーターはリズムマシーンに仕事を取られてバンドを辞めてしまった」などと、1回でもアルバムを聞けば分かるような大嘘を書いているライターの人もいる。
このへんのとらえ方が良く分からない。

不愉快なことは忘れて音楽に戻ろう。
「Domino Theory」はヴィクターのベースソロを中心にした激しい曲だ。
このアルバムは基本的にテンションが異常に高い。
プーッ、プーッという汽笛のようなサウンドも不思議にすごい。
こういうところがザヴィヌルという人はどこまで時代を先取りしていたんだろうと思う。
今聞いても新しいのだ。
若い人がやっているロックの方が保守的で安全指向な気がするのである。

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