前回の続き。
日本語1音の名詞を分類する試みとして、前回「鵜」を分析した。
鳥の一種である。

前々回「胃」(い)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
 ・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する
 ・生命を持っている
 ・母体から切り離されると死ぬ

そして前回「鵜」(う)には以下のような特徴があると分かった。

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・生命を持っている
 ・一個の独立したものである
 ・独立して生きている

そして今日は「絵」(え)について考える。


「絵」は実体がある物体だろうか。
普通は紙や、キャンバスや、壁に描いたものを呼ぶから、実体のある物体のことを絵と読んでいる。

しかし、パソコンの画面に映る絵のように、単純な電気の状態を人間が絵と視認している場合もある。
この場合は、まったく同じ絵を複製し、多数の端末で見ることが出来る。
ここで言う絵は情報である。

同様に詩や文章は情報である。
紙がなくても電子情報や記憶の中に生き続けることが出来る。

それに対して、彫刻や陶器は明らかに物体であると言う気がする。

こうやって考えると、絵には情報だけのものと、情報+物体のものがある。
本来は絵とは情報のことを呼ぶのであって、「美術館に置いてある絵」は正しくは「美術館に置いてある絵が描いたキャンバス」とか「美術館に置いてある絵が描いた紙」と呼ぶべきであろう。

コンピューターやネットワークによって、画材を離れて存在する絵というものが昔は存在しなかった。
だから絵とはそれが描かれた画材そのものであったのだろう。

また、絵とは、人間によって描かれ、人間が鑑賞するために存在するものであることも「胃」や「鵜」とは違う。
これも情報というものの特徴である。
さっきから情報という言葉を定義せずに簡単に使っているが、この定義はいずれ議論することがあるだろう。

よく抽象画が「何が描いてあるか分からない」ということが問題になるが、これは面白いと思う。
描いた人の心象に投影されている図と、見る人の心象に投影されている図が一致していないのだ。
これは実はどんなに具象的な絵であっても、写実的な絵であっても言えることだ。

まとめると、

 ・情報であるか、その情報を定着させた物体(画材)である
 ・人工のものである
 ・人間が鑑賞するためのものである
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものである
 ・生命を持っていない
 ・どんなに小さいことも、どんなに大きなこともある

最後の項目は「胃」や「鵜」とは違う。
それに対して、「胃」や「鵜」には

 ・だいたい大きさが決まっている

という大きな特徴がある。
だんだん面白くなってきた。


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