昨日の「DTPの勉強会 第9回」の続き。
セミナーの後と言えば懇親会だが、ぼくはDTPerでもないし濃い文字っ子でもないし、知り合いもいないのでどうしようかなあと思っていたが、特に用事もないので日本人特有の同調圧力に乗って参加することになった。
最初は文字っ子クラスタのみなさんにそばにいさせてくださいと頼んでいたのだが、出遅れて席の埋まり具合が変な感じだったので、結局知らない方ばかりの4人席に同席した。
結果的にはみなさん気さくで楽しいみなさんばっかりで、非常に楽しくまた勉強になる時間を過ごした。
同席したのは大阪から参加された矢来さん、植木さん、東京からの倉重さんの3人だった。
矢来さんはぼくより10歳ぐらい若い感じで、なんと今日のMC-B2の話で飛び入りスピーカーをされた方だった。
なんと「すぐわかるPerl」を読んでくださっていたそうで、大変感動した。
めったに読者に合わないので感動である。
植木さんは、大阪で同業(ローカリゼーション)の会社で働かれている方だった。
トランスレーションメモリーの話などをして盛り上がった。
倉重さんは東京の出版社に勤めるDTPerだが、やはり本社は大阪という話だ。
この中で一番若い25歳。
ぼくもこれぐらいの歳で休みの日に勉強会に来ることを知っていたら、今頃もっと別の展開があったかなーと思って、スタートラインについた早さがうらやましく思った。

全員基本的にMacを使っているそうだ。
倉重さんはInDesignでなくIllustratorを使って組版をしているそうだ。
100ページもあってページをまたいでフローがある場合はInDesignでないと考えられないが、ペラものであればIllustratorを使う方が自由度が高いということのようだ。
しかし、お客様あっての商売であって、いまだにQuarkを捨ててくれないお客さんのためにMac OS9も捨てられないという話だ。
あと「レナトス」という専用機を使う案件が年に1回ぐらいあるので、「レナトス」も捨てられないという話もあった。
「今度頼まれたら、レナトスは壊れちゃいましたと言いたいんですが」ワカルナー

逆にPageMakerやFrameMakerを使う、という人はいなかった。
ぼくの属している業界はどちらかというと工業的なマニュアルを大量に作る業界で、同じ出版関係業界でも違うんだなーと思った。

途中で最後のAiのセッションのスピーカーを勤められたカワココさんが席に入って来て、Ai話に花を咲かせた。
InDesign、Illustrator、Photoshopには「派閥」のようなものがあるのか聞いたら、用途に応じて使い分けるのが当たり前だから特に対立のようなものはない、という話だった(当たり前か)。
ただ出来ることが重なっているので、薄いものであれば組版であってもイラレを使ったり、絵からデザインに入った人はイラストをフォトショを使ったり、同じ仕事を何を使ってするかは人によって違うということのようだ。
「ベジエ曲線で萌え絵とかは描けないでしょ」と軽く言ったら「いや、さっき萌え絵をイラレで書く方法の同人誌を買ったんですよ」と矢来さんが出してこられたのには驚いた。

しばらくして席がシャッフルして、ものかのさん、小池さん、直井さんという当代を代表する文字っ子のみなさんが一緒の席に座ってくださった。
Unicodeに中指を立てる絵文字が入るという話をしていると「いや、他の絵文字はダミーで、あの人の本音はコレだと思う!」とヴァルカン・サインをみなさんが出していた。
あの人はトレッキーだから、アレを入れたかっただけだと思う!」ホントカナー

小池さんが隣になったので、10年来の読者として文字の話をいろいろ聞いた。
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(ぼくの深沢の沢は国字ですか)
あれは「釋迦」をお経を書く人が釈迦と書いたので、駅などと一緒につくりが尺化したのだと思う。
駅の旧字体は残っていないのに、深沢の沢だけは澤と書かないと失礼に当たるという人がいる。
こういう「変なこだわり」はいっぱいある。

最近は横浜を「横濱」と書く人が多い。
古い字を残すのは意味があるかもしれないが、だったら横のつくりも上半分を廿とーに分けるべきだ。
錦糸町の糸を「糸糸」と書く人もいる。
たしかに糸の旧字は「糸糸」だったかもしれないが、総武線のきんしちょうが「錦糸町」以外の書き方をされたことは一回もない。

いやらしいのが映画監督のクロサワ・アキラで、彼は手書きでは自分の名前を新字で「黒沢明」と綴っていた。
しかし「黑沢組」と書かれた台本が残っていて、クロだけが旧字になっている。
しかし新聞は「黒澤明」とサワだけを旧字にする例が多い。

(ムラマツ・トモミとコウダ・クミもそうですよね)
村松友視という作家がミは示見にしろとか、幸田来未という歌手がコウはイ幸、クは來にしろとか言う。
でも、それは「自分の好きな字を使え」という以上の意味はない。
でも、生きている人が自分の名前を自分の好きな字にするのはまだ分かる。
でも芥川竜之介じゃなくて龍之介だとか、死んだ人の名前をうんぬんするのはあまり意味がない。

たとえば司馬遼太郎の遼は二点しんにゅうに作っていることが多い。
司馬さん本人は一点で許容していたはずだが、出版社や編集者はなぜかこだわっていて、二点しんにゅうを作らせる。
週刊文春の中吊りを見て、苦しい字形で二点しんにゅうの遼を見ると、ああわざわざ作字させられたんだなあとかわいそうになる。
そのくせ石川遼の遼は一点しんにゅうで書いている。

しんにゅうはもともと辵の字をくずしたもので、3点が正しいかもしれない。
2点(「ヽ+ヽ+フ」)をやめて1点で書くなら、下の部分をぐにゃぐにゃっと曲げて全体としては4画にする(「ヽ+ろ」)べきだが、学童に難しい字を書かせるのはやめようということで「ヽ+フ」みたいになった。
そこで各フォントメーカーは、ヽを長く引き伸ばしてみたり、ヽとフの間を妙に開けたりしている。
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(東京セブンローズの「天台宗」について教えてください)
「東京セブンローズ」は井上ひさしが非常に苦労して旧字体で書いた作品だが、これを、旧字体の活字を持っている精興社がやればいいのに、持っていない会社に任せたものだから、新字体にない字を全部作字している。
この作字が下手なので、問題にしようと思って書き始めたら、止まらなくなって、「漢字問題と文字コード」の項目まるまる1個になってしまった。





天台宗のことを、井上は天䑓宗と書いている。
たしかに台は䑓(うてな)という字の新字ではあるが、最澄が開祖となった天台宗は天䑓宗と表記されたことは一回もない。
台は台でこういう字が別にあったので、䑓を略字にした字があとから重なってしまったというのが真相。
藝術新潮の藝と芸(ウンという別の字がある)と同じ現象。

(青空文庫の夏目漱石について教えてください)
たとえば体と言う字は體と書かないとおかしいという。
確かに底本には體と植えてある。
しかし漱石の自筆原稿には体と書いていることもある。
小説家が體なんてしちめんどくさい字をいちいち原稿に書くはずはない。
当時は体という原稿を見れば體と言う字を拾うのが当時の高卒の植字工にも当たり前に出来た。

ぼくの名前はWebでは小池咊夫と書いている。
小池和夫で検索するとポテトチップスの湖池屋の社長が異常に当たるので変えてみた。
咊と和は同じ字。
これは嶋、島、嶌と一緒で、古漢字では山と鳥の位置関係が自由だったから。
秘密裡の裡と裏もそう。

文章を著す時、同じ字が2回出てきたらわざと字を変えたりした。
変体仮名もそうで、同じ字が2回出るときは字を変えるのがたしなみだった。
そうすると読み飛ばしが起きない。
「か」というひらがなには今使われている「加」由来のもののほかに、「可」由来のものもある。
柳原可奈子さんと、加奈子というひとがいますね。
(榎本加奈子)

とにかく、日本人にはいろいろな形の字をおおらかにとらえて、使い分ける能力が昔はあった。
今は細かいことに変にこだわっている。



以上、ぼくが聞きたかったことを集中的に聞いて、記憶に頼って勝手にまとめたもので、当然不正確なこともあるだろうが、プラトンがソクラテスの言葉を勝手にまとめたのと同じだから許してください。
とりあえずめちゃめちゃ楽しかった!


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