さて、今日から試みとして自作の哲学を考える。
いちばん簡単な哲学書にも歯が立たなかった自分が、頭の中だけで哲学を考える。
世の中にいろんな情報を発信してる人いると思うけどここまで大胆な企画も珍しいのではないか。
当然、すでに解明されたことを縷々書いているケースもあると思うので、その場合はご教示願えれば幸甚である。
逆に興味がなければどうか読み飛ばしてください。

そもそも哲学とは何か。
ぼくの考えでは物理から物体を除いたもの、化学から物質を除いたもの、数学から数を除いたものである。
逆に、物質を加えると化学が出来る。
生物を適用すると生物学が得られる。
そういう知のフレームワークのようなものが得られると考えるのに効率がいいと思う。

ではどこから考えるか。
ぼくは言葉を分析すればいいのではないかと思う。
自分が今使っている日本語である。
言葉を研究すれば思考が分かり、思考が分かれば哲学になると思う。
人間は言葉でものを考えるからだ。

途中で挫折するかもしれないが、とりあえずやってみよう。

言葉を分析するのは文法の役目だが、文法も流派がいくつかあって、議論がある。
ここでは一番カンタンな名詞を扱う。

で、名詞を分類するのだが、まずひらがな1文字の名詞に注目する。

「あ」という名詞はあるのだろうか。
あるとは思うけど知らない。
本ブログの特徴としてなかなかものを調べない(辞書も引かない)というのがある。
知らない字は飛ばす。

「い」としては「胃」がある。
胃について考える。

胃は人間の消化器の一種である。
独特の曲がった形をした袋であって、胃酸(ペプシンと塩酸)を分泌して、蛋白質を分解してアミノ酸にして吸収する。ストレスを受けると痛くなるが、その場合はH2ブロッカーのような制酸剤を飲むと痛みが治まる。

胃癌になると一部または全部を切除するが、切除しても生きていける。
悪くもないのにダイエット目的で切る人もいる。
切ったら一生大量のビタミン剤を飲まないといけないから大変だそうだ。

胃は前回言った物質か現象かという話で言えば、物質(物体)である。
また人工物ではなく、自然界に存在するものだ。

もっとも、一個の物体であるかは難しいところもある。
人間の消化器はそもそも口に始まって肛門に終わる1本の管であって、それに注目すると人間はトポロジー的には一本のパイプのようなものだ。
胃はその中の「範囲」である。
東名高速道路の静岡県部分のようなものだ。
だから1個の独立した「物」であるのか難しい。
ただし、何を胃と呼ぶかは医師をはじめとして専門家によって確立していて、非常に確からしい確信に至っている。
とりあえず胃液を湛えている部分が胃だ。

人間であれば(手術で切除した人や、先天的にない人を除けば)基本的にみんな持っている。
つまり人間の数だけ胃がある。
(先天的に複数持っている人もいるだろう。)
イギリスや皇居のように、世界に1個しかないものではない。

人間だけでなく、哺乳動物であればみんな持っている。
牛の場合は焼肉屋表記ではミノ、ハチノス、センマイ、ギアラの4つあると言われるが、実際にはギアラだけが胃で、他は食道が発達したものと言われている。

胃はそれを持っている動物あってのものだ。
動物が死ぬと胃だけで生き延びることはできない。
(iPS細胞の山中先生のような科学者が研究室で生かしている場合もあるかもしれないが除く。)
つまりそれを囲む動物の一部に注目して命名したものだ。

以上をまとめると

 ・物体である
 ・自然に存在する
 ・世界に無数にある一般的なものの名前である
 ・一個の独立したものであるとも、連続したものの範囲であるとも言える
 ・より大きな別のものに従属したものとしてのみ存在する

と言える。

この5つの属性が適切か(胃のすべてを言い尽くしているかどうか、そして重複した冗長な属性はないか)は分からない。
いろんなものを分類しているうちに分かることもあるだろう。

再来週は「う」について考える。
こりゃまた長旅になりそうだな!


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