最近、Tポイントカード絡みで、また問題が報道された。
「育毛剤買った人にかつらの広告」は適法か、CCCが販促活動(QLifePro)
「Tポイントサービスに関する要望書」を提出(薬害オンブズパースン会議)
要するに、Tポイントカードを使って薬を買うと、この人がこの薬を買ったという情報がCCCという会社に蓄積され、ターゲット広告に使われるというものだ。
前からこういうこともありうる、と問題視されていたが、ついに大新聞に報道された形だ。
CCCは「何を買う人が何人いるか統計処理をしたいだけで、誰が何を買ったか、個人情報と紐付けすることはない」とテレビなどでは言っているが、一方別のところでは「誰が何を買ったかを紐付けして管理し、レコメンドに使う」(加盟企業Aの情報を企業Bが使うこともある。消費者は同意しているはず?)と言っていて、明らかに二枚舌である。
Tポイントは本当は何をやっているのか(高木浩光@自宅の日記)
何を買ったという情報を他の人に知られたくない、というのは自然な感情だろう。
よく個人情報絡みでネットが炎上すると「お前の情報なんか誰も欲しくない」と訳知り顔で水を差す人がいる。
炎上に水を差すのは時には必要かもしれないが、この場合ははっきり間違っている。
たとえば病気の薬をちょくちょく買う人が保険に入りにくくなったり、逆に高額な保険を勧められるようになったら問題だろう。
プライバシーと言うのは自分の情報をコントロールする権利を自分が持つ、ということである。
だから、すっかり絶滅した「芸能レポーター」が芸能人に「普段は我々に売ってもらっていながら、都合が悪いことは隠すのはおかしい」という論理はおかしいそうだ。
(筒井康隆の『みだれ撃ち涜書ノート』にあった)
もっとも、最近はお店の方もこの状況を問題視しているらしく、たとえば美容整形外科がTポイントの使用を止める例があるそうだ。
そんな情報を流す加害者になりたくない、という気持ちではないか。
必ずしもキレイ事ではなく、あとあと面倒なことになるリスクを病院などは取りたくないはずだ。
Tポイントはセコいポイントを貯めるのさえあきらめれば消費者は使用をやめられるはずだが、たとえば会員権や診察カードのように、その店を使うためにはそのカードが必要である、となったら問題である。
当然ツタヤでビデオを借りる場合はTポイントカードが必要であるが、レンタルビデオの履歴なんて個人の嗜好の固まりである。
知られたくないよー。
さて、ここからグッと個人的な話になるが、ぼくは薬局という場所はもともと問題アリだと思っていた。
詳しくは調剤薬局が問題だと思っていた。
ぼくは成人病のデパートであって、睡眠導入剤と、高脂血症を抑える薬と、その他いろいろ長年処方されている。
会社の下にある病院に、昼休みに行く。
エレベーターで行けるわけであって、グッとハンディだが、この病院の近くの薬局がものすごく苦手だった。
結局隣のビルまで行って、同じチェーンの別の店に行っていた。
「薬局が苦手」とはどういうことか。
主任と思しき年配の女性薬剤師が、ものすごくフレンドリーな人間を自ら以って任じるタイプの人、自分はフレンドリーな薬剤師のおばさんですよというキャラに陶酔しきった人だったのだ。
で、別に変わった人ぐらい町を歩いていればいくらでも遭遇するので、それはスルーしていればいいのだが、困るのは、病気の話を大声ですることだ。
具体的には「xxさんまた糖尿の薬出てますねー! 血糖上がっちゃいましたか!」という話を、他の待っている人の前でわざわざするわけである。
やめてほしい。
そうでなくてもこっちは病院で病気の話をして、ミゼラブルな気持ちで薬局に臨んでいるのである。
なぜ薬局で、わざわざ病気の話を繰り返さなければならないのか。
昔は「医薬分業」ではなかったので、診察が終わると薬をそのままスッと出してもらっていた。
病院と薬局と二回待たされることはなかったし、同じ話を2回することもなかったのである。
絶対昔の方が良かった。
薬剤師が医師の処方をチェックするというのだが、どうだか。
ぼくは明らかな間違いを調剤薬局がしたこと、医師の間違いを薬局がそのまま見逃したことを、少なくとも2回ずつ経験している。
工程が多くなると、ミスが発生する率も高くなるのではないか。
人手が増えるとチェックが増えてミスが減る、というのは、チェックだけを専任でする人がいた場合ではないか。
つまり、薬を出す人と、その薬をもう1回チェックする人がいた場合に、初めてミスが減る。
処方する人と、薬を出す人が別の場合、医師が正しくても、薬局が新たにミスを付け加えることがある。
実際にあったのである。
そしてプライバシーがまったく軽視されている。
病院の診察室は個室であって、プライバシーが担保されている。
そのための診察室である。
しかし、薬局はまったくプライバシーがない。
待合室の前のカウンターで、陽気キャラのおばはんが、血糖がどうした!こうした!という話をするのである。
水虫であっても性病であってもこういう話をするのであろうか。
まったくの人権蹂躙であって、こんな無神経な人が薬とか病気の業にたずさわるのはどうかしている。
医薬分業の利点として、よく、かかりつけ薬局を持てという。
複数の病院に掛かる人は、その処方箋を1つの薬局に集中させることによって、禁忌の組み合わせを避けるのだという。
どうだか。
病気になってみると分かるが、これは現実性が薄い絵空事である。
病院は、近くの薬局においてある薬を処方する。
逆に言うと、薬局は、近くの病院が処方しそうな薬を在庫しているのだ。
薬は膨大な数がある。
同じ病気であっても処方する薬が医師によってまったく違う。
そのすべてを在庫するのは不可能だ。
ていうか、どうやら、そうらしい。
ぼくも最初は面白がって、会社の近くの病院で処方された処方箋を家の近くの薬局で出したりしてみたが、たいていイヤな顔をされてものすごく待たされるか「これはありません」と言われることが多かった。
「郵送なら出来ますが」というものすごいことを言われることもあった。
最近は違うのかもしれないが、体の調子も悪いのに、人生は実験じゃないから、わざわざいろんな薬局に行って試すことはない。
結局めんどうだから、病院の近所の薬局に行くことになる。
少しも「かかりつけ」ではなく、病院の窓口で出されるのと変わらない。
ただ待合室で待つ手間と、症状を説明する手間が倍になり、薬局で不愉快な薬剤師にプライバシーを汚染されるリスクが増えるだけだ。
こっちは体の調子が悪いのである。
ちょっとは気を遣ってもらいたい。
Tポイントは本当は何をやっているのか(高木浩光@自宅の日記)
何を買ったという情報を他の人に知られたくない、というのは自然な感情だろう。
よく個人情報絡みでネットが炎上すると「お前の情報なんか誰も欲しくない」と訳知り顔で水を差す人がいる。
炎上に水を差すのは時には必要かもしれないが、この場合ははっきり間違っている。
たとえば病気の薬をちょくちょく買う人が保険に入りにくくなったり、逆に高額な保険を勧められるようになったら問題だろう。
プライバシーと言うのは自分の情報をコントロールする権利を自分が持つ、ということである。
だから、すっかり絶滅した「芸能レポーター」が芸能人に「普段は我々に売ってもらっていながら、都合が悪いことは隠すのはおかしい」という論理はおかしいそうだ。
(筒井康隆の『みだれ撃ち涜書ノート』にあった)
もっとも、最近はお店の方もこの状況を問題視しているらしく、たとえば美容整形外科がTポイントの使用を止める例があるそうだ。
そんな情報を流す加害者になりたくない、という気持ちではないか。
必ずしもキレイ事ではなく、あとあと面倒なことになるリスクを病院などは取りたくないはずだ。
Tポイントはセコいポイントを貯めるのさえあきらめれば消費者は使用をやめられるはずだが、たとえば会員権や診察カードのように、その店を使うためにはそのカードが必要である、となったら問題である。
当然ツタヤでビデオを借りる場合はTポイントカードが必要であるが、レンタルビデオの履歴なんて個人の嗜好の固まりである。
知られたくないよー。
さて、ここからグッと個人的な話になるが、ぼくは薬局という場所はもともと問題アリだと思っていた。
詳しくは調剤薬局が問題だと思っていた。
ぼくは成人病のデパートであって、睡眠導入剤と、高脂血症を抑える薬と、その他いろいろ長年処方されている。
会社の下にある病院に、昼休みに行く。
エレベーターで行けるわけであって、グッとハンディだが、この病院の近くの薬局がものすごく苦手だった。
結局隣のビルまで行って、同じチェーンの別の店に行っていた。
「薬局が苦手」とはどういうことか。
主任と思しき年配の女性薬剤師が、ものすごくフレンドリーな人間を自ら以って任じるタイプの人、自分はフレンドリーな薬剤師のおばさんですよというキャラに陶酔しきった人だったのだ。
で、別に変わった人ぐらい町を歩いていればいくらでも遭遇するので、それはスルーしていればいいのだが、困るのは、病気の話を大声ですることだ。
具体的には「xxさんまた糖尿の薬出てますねー! 血糖上がっちゃいましたか!」という話を、他の待っている人の前でわざわざするわけである。
やめてほしい。
そうでなくてもこっちは病院で病気の話をして、ミゼラブルな気持ちで薬局に臨んでいるのである。
なぜ薬局で、わざわざ病気の話を繰り返さなければならないのか。
昔は「医薬分業」ではなかったので、診察が終わると薬をそのままスッと出してもらっていた。
病院と薬局と二回待たされることはなかったし、同じ話を2回することもなかったのである。
絶対昔の方が良かった。
薬剤師が医師の処方をチェックするというのだが、どうだか。
ぼくは明らかな間違いを調剤薬局がしたこと、医師の間違いを薬局がそのまま見逃したことを、少なくとも2回ずつ経験している。
工程が多くなると、ミスが発生する率も高くなるのではないか。
人手が増えるとチェックが増えてミスが減る、というのは、チェックだけを専任でする人がいた場合ではないか。
つまり、薬を出す人と、その薬をもう1回チェックする人がいた場合に、初めてミスが減る。
処方する人と、薬を出す人が別の場合、医師が正しくても、薬局が新たにミスを付け加えることがある。
実際にあったのである。
そしてプライバシーがまったく軽視されている。
病院の診察室は個室であって、プライバシーが担保されている。
そのための診察室である。
しかし、薬局はまったくプライバシーがない。
待合室の前のカウンターで、陽気キャラのおばはんが、血糖がどうした!こうした!という話をするのである。
水虫であっても性病であってもこういう話をするのであろうか。
まったくの人権蹂躙であって、こんな無神経な人が薬とか病気の業にたずさわるのはどうかしている。
医薬分業の利点として、よく、かかりつけ薬局を持てという。
複数の病院に掛かる人は、その処方箋を1つの薬局に集中させることによって、禁忌の組み合わせを避けるのだという。
どうだか。
病気になってみると分かるが、これは現実性が薄い絵空事である。
病院は、近くの薬局においてある薬を処方する。
逆に言うと、薬局は、近くの病院が処方しそうな薬を在庫しているのだ。
薬は膨大な数がある。
同じ病気であっても処方する薬が医師によってまったく違う。
そのすべてを在庫するのは不可能だ。
ていうか、どうやら、そうらしい。
ぼくも最初は面白がって、会社の近くの病院で処方された処方箋を家の近くの薬局で出したりしてみたが、たいていイヤな顔をされてものすごく待たされるか「これはありません」と言われることが多かった。
「郵送なら出来ますが」というものすごいことを言われることもあった。
最近は違うのかもしれないが、体の調子も悪いのに、人生は実験じゃないから、わざわざいろんな薬局に行って試すことはない。
結局めんどうだから、病院の近所の薬局に行くことになる。
少しも「かかりつけ」ではなく、病院の窓口で出されるのと変わらない。
ただ待合室で待つ手間と、症状を説明する手間が倍になり、薬局で不愉快な薬剤師にプライバシーを汚染されるリスクが増えるだけだ。
こっちは体の調子が悪いのである。
ちょっとは気を遣ってもらいたい。