イジハピ!

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2018年07月

【第1155回】【映画】いま、日本人が見るべき映画=ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書

5月12日には、映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見てきた。
大変感銘を受けた。

Washington Post2

邦題がペーパーズ、と複数形になっているので、「スリー・ビルボード」(原題はThe three billboards outside Ebbing, Misouli)を思い出して、ほぉー、と思った。
原題は「The Post」で、ワシントン・ポスト紙のことだ。
これは原題を生かして「ポスト」だとわかりにくいし、「ザ・ワシントン・ポスト」だと宣伝映画みたいである。
しかし「/最高機密文書」というのは必要だったのか。
ダサい。
安物のスパイ映画みたいだ。

「ペンタゴン・ペーパーズ」は、アメリカの大統領とメディアが最も緊張していたニクソン政権時代の新聞を描いた映画作品だ。
「大統領の陰謀」と良く似ている。
史実としては「ペンタゴン…」は「大統領…」の前日譚に当たる。

当時も今も、アメリカの政権を最も叩いた新聞はニューヨーク・タイムスであるが、「大統領の陰謀」も「ペンタゴン・ペーパーズ」も地方紙ワシントン・ポストを中心に描いているのが面白い。
ニューヨーク・タイムズをアメリカの朝日新聞とすると、ワシントン・ポストは東京新聞という感じだろうか。

「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する記事は、特にタイムスの特ダネをポストが後追いした形で、史実上ははっきりタイムスの手柄である。

にもかかわらずこの映画や原作小説がポストを中心に描いたのは、45歳の専業主婦から運命のいたずらでポストの社主になってしまったキャサリン(ケイ)・グラハムの権力と男性社会との葛藤も同時に描いているからだ。
このケイを演じるのがメリル・ストリープ。

映画に出てくる、男性社会と葛藤する女性というと、勝ち気で威圧的にしゃべりまくるイメージで、ストリープはそういう役も演じているが、この映画ではなんともふんわりした、頼りのない、慈母のように優しい初老の女性のイメージで、これは史実に従ったと思しいが、ストリープの演技が実にうまい。この人、大丈夫か? と思わせるところが実に名演技。

それにしても、戦争、隠されていた書類、メディアを饗応するメディア、書類の改竄、リーク、圧力と、どっかの日本国を風刺したような映画だった。

監督はスピルバーグで、なんでこんな人が動かない、社会的な映画を…と思った。
じっさい、彼は企画には賛同したが自分で撮るつもりはなかったが、動きかけたプロジェクトが3年以上掛かると聞いて、「この映画を撮るのは(トランプが政権についた)今しかない」ということでメガホンを買って出、早撮りで知られる彼にしても超特急の9ヶ月で撮り上げたそうだ。

ほとんどセリフで語られる物語だが、細かくカットが割られ、カメラが動き、新聞人たちの肉体がアクション映画として撮られる。
圧巻なのが最後、新聞が刷り上げられる場面で、タイプライター、エアーシューター、活字、溶ける鉛、輪転機と言った70年台の印刷所の風景がダイナミックに撮られている。

ポストが上場するためにケイがニューヨーク証券取引場に向かうと、会議室の前でおびただしい女性たちが群れなして立っている。
秘書たちだ。
そして会議室に入ると全員男。
この場面が印象に残った。

最後に、書類をリークしたシンクタンクの職員ダニエル・エルスバーグの肉声が引用される。
「ジョンソン大統領に『反逆者』呼ばわりされたときは驚いた。たった一人の指導者に反対したら反逆者になるとしたら、彼は『朕は国家なり』と考えていることになる」






【第1154回】【演劇】A・P・B-Tokyo『青ひげ城の館』を見た!

2018年4月19日、高円寺明石スタジオに、劇団A・P・B-Tokyoの『青ひげ城の館』を見に行った。
超面白かった。

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A・P・B-Tokyoは、2011年に『身毒丸』を見て、それからアングラの世界にドップリはまった劇団で、この『青ひげ』も2013年に見て、ブログを書いている。

だから、同一劇団、同一演目2回めであって、面白さが殺がれるかというと、これが面白い。

しょうじきアングラ劇とは、ぼくなんかの理解を超えるところにあって、何回も見ないと分からない。
同じ上演を連続して見ても分かるけど、何年かたってもう1回見ると、違いがあって、また理解が深まり、それが面白くなってくる。
頭が固くなっているなりに、その固い頭に言葉や場面が染み込んでいくのが面白いのである。

会場に入ると「板付き」で、もう役者さんが舞台にいて、ある芝居をしている。
このブログ、上の一行を書くときに、もっと具体的に書こうと思っていたのだが、また再演するかもしれないし、別の劇団が演じるかもしれないから、ぼくのブログなんて誰も読まないところではあるけれど、あんまり突っ込んで書かない方がいいような気がしてきた。
意外なことが、おこる。
そういう「驚き」も楽しみのうちである。
でもそればかりでは劇評がなりたたない。
どうしようか。
探りさぐり書いていく。

A・P・B-Tokyoの大きな魅力にマメ山田さんが出られるということがある。
低身長症のおじさんだが、コミカルで哀愁のある演技がすばらしい。

なんとか伝わるように書きたいが、小さい方が舞台に立っていると、狭い舞台に奥行きができて、同時に、どうしようもなく可愛らしい雰囲気が伝わってくる。
パーッと舞台に、ピンク色の空気が流れてくるような気がする。
そして、ひとつひとつの動きを見逃すまいと、食い入るように見つめてしまう。

ところが、今回、アリスとテレスという役を演じる二人の女優さん(後藤仁美さんと山崎萌子さん)がいて、この女優さんたちも小さい方だったのである。
シンメトリーで動く二人の女優さんの動きが美しくて、最高だった。
三人とも、もちろん小さいというだけの役者さんではなく、演技のひとつひとつが素晴らしい。
いろんな個性の人が舞台にいることは素晴らしいと、あらためて感じる。

もうひとり、変わった俳優さんとしては、この日はアフタートークのゲストが萩原朔美さんだったのだが、なんと「出演」もされていた。
台本を持っての演技だったが、堂々たる音声が響き渡っていた。

ぼくは世代的に間に合っていないが、朔美さんは天井桟敷の立ち上げ俳優で、美少年で有名であった。
いまは堂々たるダンディな紳士で、アフタートークで高野みゆきさんが「立派に、育って…」と言っていて爆笑を誘っていた。

もちろんおなじみのメンバーもすばらしい。
ぼくは主催の浅野さんの女装が大好きなのだが、見られてよかった。
あと、ごひいきの飯塚美花さんが「第一の妻」の役をお色気たっぷり(?)に演じていて、「あの美少女がこんな立派に育って…」と感慨にふけった。(笑)

※この舞台をイメージして、野外で取った電子写真集が、下の「CRP」というもので、これも面白くて良かった。








【第1153回】【演劇】DangerousBox『晩餐狂想燭祭~死~』を見た!

2018年4月14日土曜日、浅草六区ゆめまち劇場で行われた、劇団DangerousBoxの芝居を見に行った。
昼夜ダブルキャストの2回公演を見た。
題名は「晩餐狂想燭祭~死~」(ばんさんきょうそうしょくさい~し~)である。
長いし難しいしヤンキーっぽい!
でも内容はものすごく良かった。



この演劇は、バー「月光密造舎」で知り合った大友沙季さん、叶江 透さん、八木 岳さんが出ている縁で見に行った。
知り合いが3人も出ている芝居は珍しい。
ていうか、総出演者が100人の芝居である。
ひゃ、百人って君!
出演者の方も「まだ、全員揃っての通し稽古が出来ないんですよ」「最終的にどうなるか、まだ予想がつかないです」などと言っていた。
でも見終わってみれば、100人ピシリと舞台にカッコ良く収まっていたし、逆に100人出ないと、あんな迫力は出なかっただろうし、100人いる必然性を感じた。

明治時代の遊郭の話である。
何十人もいるのは、華やかな花魁(話をするだけの処女の花魁もいる)たちである。
そして、黒い着物を着た、長年の花魁暮らしで梅毒に掛かり、隔離されて娼館を終の棲家にする元花魁たちもいる。
こちらも、黒い衣装の隅々に細かい細工が施されていて美しかった。

ゆめまち劇場は、それなりに広い劇場で、真ん中の大きな花道を3方から客が取り囲む感じでとても見やすかった。
客席で飲食もできる。
また、最初に配られた模造紙幣の「おひねり」を、客がショータイムに花魁の胸元に入れたりするパフォーマンスもあって、客席も含めた劇場全体が娼館という趣向である。

びっくりしたのが和風生バンドで、三味線、琴、笙、太鼓が和風ロックを演奏していた。
ダンスもすごくて、舞台の隅にポールダンスが2箇所と、エアリアルが2箇所ある。
エアリアルって言葉、ぼくは知らなかったが、心底びっくりした。
天井に50センチ四方の四角い穴が空いて(ちょうど1個の穴がぼくの真上にあった)そこから白い布がするするっと降りてくる。
そして、半裸の女性ダンサーが、その布に絡みついて降りてきて、ブランブランしながら踊るのである。

夢みたいだ!
楽しい!
男優さんたちの剣舞もすばらしかった。

遊郭は現在でいう風俗という機能の他に歌舞音曲を披露する演芸場でもあったので(まさに浅草にも花街はあった)音楽やダンスを楽しむのも演劇のうちなのである。
お酒を飲みながら舞台を見ていると、虚構空間全体に飲み込まれるような、限りなくバーチャルなタイムスリップのような感覚に包まれる。
よく「舞台の世界に飲み込まれる」、「物語の世界にタイムスリップする」というような言い方がされ、ぼくも何回か書いてきたような気がするが、こんなにリアルに劇空間に飲み込まれる舞台は珍しい。

演劇の内容は遊女と金持ち、そして庶民の悲しい恋愛模様を描いた世話物だが、演劇の言葉がものすごく変わっていた。
うまく再現できないと想うが、たとえば「あなたが・すごく・好きだ」という文章があったとして、「あなたが」、「すごく」、「好きだ」という3つのフラグメンツに分割して、広い舞台のぜんぜん違うところにいる役者さんが言葉を継いでいくのである。
「あなたが」、「すごく」、「好きだ」という文章の断片が、観客を取り巻く空間をぴゅんぴゅん移動するのである。
いわば集団ポエトリー・リーディングだ。
これもすごい。
ポールダンスやエアリアル、剣舞と同じぐらい、セリフを言うことが言葉のアクロバットのようである。
観劇というより、演劇空間体験だ。
劇場を生きているという実感が湧いてくる、そんな舞台だった。

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