5月12日には、映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見てきた。
大変感銘を受けた。
邦題がペーパーズ、と複数形になっているので、「スリー・ビルボード」(原題はThe three billboards outside Ebbing, Misouli)を思い出して、ほぉー、と思った。
原題は「The Post」で、ワシントン・ポスト紙のことだ。
これは原題を生かして「ポスト」だとわかりにくいし、「ザ・ワシントン・ポスト」だと宣伝映画みたいである。
しかし「/最高機密文書」というのは必要だったのか。
ダサい。
安物のスパイ映画みたいだ。
「ペンタゴン・ペーパーズ」は、アメリカの大統領とメディアが最も緊張していたニクソン政権時代の新聞を描いた映画作品だ。
「大統領の陰謀」と良く似ている。
史実としては「ペンタゴン…」は「大統領…」の前日譚に当たる。
当時も今も、アメリカの政権を最も叩いた新聞はニューヨーク・タイムスであるが、「大統領の陰謀」も「ペンタゴン・ペーパーズ」も地方紙ワシントン・ポストを中心に描いているのが面白い。
ニューヨーク・タイムズをアメリカの朝日新聞とすると、ワシントン・ポストは東京新聞という感じだろうか。
「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する記事は、特にタイムスの特ダネをポストが後追いした形で、史実上ははっきりタイムスの手柄である。
にもかかわらずこの映画や原作小説がポストを中心に描いたのは、45歳の専業主婦から運命のいたずらでポストの社主になってしまったキャサリン(ケイ)・グラハムの権力と男性社会との葛藤も同時に描いているからだ。
このケイを演じるのがメリル・ストリープ。
映画に出てくる、男性社会と葛藤する女性というと、勝ち気で威圧的にしゃべりまくるイメージで、ストリープはそういう役も演じているが、この映画ではなんともふんわりした、頼りのない、慈母のように優しい初老の女性のイメージで、これは史実に従ったと思しいが、ストリープの演技が実にうまい。この人、大丈夫か? と思わせるところが実に名演技。
それにしても、戦争、隠されていた書類、メディアを饗応するメディア、書類の改竄、リーク、圧力と、どっかの日本国を風刺したような映画だった。
監督はスピルバーグで、なんでこんな人が動かない、社会的な映画を…と思った。
じっさい、彼は企画には賛同したが自分で撮るつもりはなかったが、動きかけたプロジェクトが3年以上掛かると聞いて、「この映画を撮るのは(トランプが政権についた)今しかない」ということでメガホンを買って出、早撮りで知られる彼にしても超特急の9ヶ月で撮り上げたそうだ。
ほとんどセリフで語られる物語だが、細かくカットが割られ、カメラが動き、新聞人たちの肉体がアクション映画として撮られる。
圧巻なのが最後、新聞が刷り上げられる場面で、タイプライター、エアーシューター、活字、溶ける鉛、輪転機と言った70年台の印刷所の風景がダイナミックに撮られている。
ポストが上場するためにケイがニューヨーク証券取引場に向かうと、会議室の前でおびただしい女性たちが群れなして立っている。
秘書たちだ。
そして会議室に入ると全員男。
この場面が印象に残った。
最後に、書類をリークしたシンクタンクの職員ダニエル・エルスバーグの肉声が引用される。
「ジョンソン大統領に『反逆者』呼ばわりされたときは驚いた。たった一人の指導者に反対したら反逆者になるとしたら、彼は『朕は国家なり』と考えていることになる」
大変感銘を受けた。
邦題がペーパーズ、と複数形になっているので、「スリー・ビルボード」(原題はThe three billboards outside Ebbing, Misouli)を思い出して、ほぉー、と思った。
原題は「The Post」で、ワシントン・ポスト紙のことだ。
これは原題を生かして「ポスト」だとわかりにくいし、「ザ・ワシントン・ポスト」だと宣伝映画みたいである。
しかし「/最高機密文書」というのは必要だったのか。
ダサい。
安物のスパイ映画みたいだ。
「ペンタゴン・ペーパーズ」は、アメリカの大統領とメディアが最も緊張していたニクソン政権時代の新聞を描いた映画作品だ。
「大統領の陰謀」と良く似ている。
史実としては「ペンタゴン…」は「大統領…」の前日譚に当たる。
当時も今も、アメリカの政権を最も叩いた新聞はニューヨーク・タイムスであるが、「大統領の陰謀」も「ペンタゴン・ペーパーズ」も地方紙ワシントン・ポストを中心に描いているのが面白い。
ニューヨーク・タイムズをアメリカの朝日新聞とすると、ワシントン・ポストは東京新聞という感じだろうか。
「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する記事は、特にタイムスの特ダネをポストが後追いした形で、史実上ははっきりタイムスの手柄である。
にもかかわらずこの映画や原作小説がポストを中心に描いたのは、45歳の専業主婦から運命のいたずらでポストの社主になってしまったキャサリン(ケイ)・グラハムの権力と男性社会との葛藤も同時に描いているからだ。
このケイを演じるのがメリル・ストリープ。
映画に出てくる、男性社会と葛藤する女性というと、勝ち気で威圧的にしゃべりまくるイメージで、ストリープはそういう役も演じているが、この映画ではなんともふんわりした、頼りのない、慈母のように優しい初老の女性のイメージで、これは史実に従ったと思しいが、ストリープの演技が実にうまい。この人、大丈夫か? と思わせるところが実に名演技。
それにしても、戦争、隠されていた書類、メディアを饗応するメディア、書類の改竄、リーク、圧力と、どっかの日本国を風刺したような映画だった。
監督はスピルバーグで、なんでこんな人が動かない、社会的な映画を…と思った。
じっさい、彼は企画には賛同したが自分で撮るつもりはなかったが、動きかけたプロジェクトが3年以上掛かると聞いて、「この映画を撮るのは(トランプが政権についた)今しかない」ということでメガホンを買って出、早撮りで知られる彼にしても超特急の9ヶ月で撮り上げたそうだ。
ほとんどセリフで語られる物語だが、細かくカットが割られ、カメラが動き、新聞人たちの肉体がアクション映画として撮られる。
圧巻なのが最後、新聞が刷り上げられる場面で、タイプライター、エアーシューター、活字、溶ける鉛、輪転機と言った70年台の印刷所の風景がダイナミックに撮られている。
ポストが上場するためにケイがニューヨーク証券取引場に向かうと、会議室の前でおびただしい女性たちが群れなして立っている。
秘書たちだ。
そして会議室に入ると全員男。
この場面が印象に残った。
最後に、書類をリークしたシンクタンクの職員ダニエル・エルスバーグの肉声が引用される。
「ジョンソン大統領に『反逆者』呼ばわりされたときは驚いた。たった一人の指導者に反対したら反逆者になるとしたら、彼は『朕は国家なり』と考えていることになる」