イジハピ!

TwitterID:@query1000こと深沢千尋のブログです。
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さいきんブログの評判が意外と気になるようになってきました。
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2018年02月

【第1143回】【音楽】さいきんチェット・ベイカーさんを聴いている

YouTubeで、昔の動画を見ていたら、タモリさんがジャズを語るみたいな番組に、林家こぶ平さん(林家正蔵さん)が出ていた。
こぶ平さんというのは、落語家というよりゆるふわのタレントで、特に印象に残るネタも鋭いトークもなく(失礼)、あまり気にしていなかったが、この時のジャズ・トークがこだわりがあって面白かった。
いわく、ジャズはモダン・ジャズのコンボに限る、ビック・バンドは認めない、録音した年月日が分からないと気持ち悪い(!)ということだ。
録音した年月日が、というのが超オタク的で面白いが、その番組では深く聞かれなかった。
それで、ヴォーカルものも認めない、という話になって、タモリさんが「ビリー・ホリデイも認めないのか」と言うと「ビリーも、良さは分かるけど、(ジャズとしては)認めない」みたいな話をしていた。

まあこぶ平さんに認められようが認められまいが、人それぞれだから、いいと思うんだけど、ぼくはそのときもしその場にいたら、「チェット・ベイカーはどうなんですか」と聞いてみたい気がした。

"Chet Baker"
チェット・ベイカーさんはなんと言ってもトランペットの巨匠で有名だ。
50年台はマイルス・デイヴィスを人気投票で抜いたそうだ。
めずらしくウエスト・コーストで活動していて、ウエスト・コースト・ジャズの巨匠と呼ばれた。

この人が歌も歌う。
トランペッターで歌を唄う人はめずらしい。
とうぜん演奏と歌唱は同時にできず、歌の途中でトランペットを吹いたり、歌だけで終わってしまったりする。

この歌が、変わっている。
中性的なのだ。
この人の歌、特に、「恋をしらないあなた(You don't know what love is)」や、この人の絶唱で、曲の決定版と言われる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を、人に聴かせて、男か女か当ててみて、と言うと、「ううん、女って言えば女だし。。男って言えば男だし。。」としばらく悩むので、面白い。

中性的と言ってもオネエっぽいとかではなく、性を超越したというか、天使的な、無性的な歌声である。
それでいて、色気があり、感情が篭っている。
不思議な歌声と言うしかない。


波乱万丈の人生を送った人で、最後は悲惨だった。
とにかくルックスがいい人で、トランペッターとしてスターダムを駆け上がり、そしてヴォーカル・アルバムを出して人気の絶頂に立った時は、ジャズ界のジェームス・ディーンと言われたそうだ。

父親もミュージシャンだったが、子供の頃のチェットの歌を「お前の歌は女の子みたいだなあ」とはやして、それで唄うのをやめて楽器に転向したらしい。
最初はトロンボーンをやっていたが、トランペットに転向して人気を得て、それからあいかわらず中性的な歌声で堂々とアルバムを出し、大ヒットを飛ばすところがカッコイイ。

ロックにファンク、と時代の先端を行ったマイルスと違って、チェットはスタンダードの、それも分かりやすい歌を、ほとんどフェイクも、アドリブも入れないで歌っている。
とことん自然な歌いぶりで、まるで、今の気持ちをそのまま歌っているような、その歌がもともとそう歌ってもらいたかったような歌声である。
いまさらこんな有名中の有名の人にハマるのも恥ずかしいし、ブログなんかで人に紹介するのは恥ずかしいの二乗だが、ぜひ聴いてみてクダサイ。



【第1142回】【書評】カズオ・イシグロ『私を離さないで』

去年の10月半ば、日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞したということが話題になった。

Kazuo Ishiguro in 2017 03

早川書房は「特需」に湧いたそうだが、そうそう刷っていなかったので、どこの本屋さんでも売り切れていた、と話題になった。
電子書籍がないのか……? と思って、楽天koboを見ると、ある。
電子書籍はファイルをサーバーからコピーしてくるだけなので、売り切れるということが絶対にない。
絶版もまずない。
(ストアーが閉店したりして読めなくなってしまうことはまれにある。)
なのに、誰も買わないのである。
電子書籍ってマイナーなんだなあ~と思った。

それで、一番ポップそうな『私を離さないで』を買って読んだ。
具合が悪いときにベッドで読み始めたのだが、出だしが読みづらくて一回挫折した。
いかにヤワな本しか読んでないか、である。

通勤電車で読み始めたら、調子が出てきて、引きずり込まれた。
そういえば大江健三郎氏も「電車の中は逃げ場がないから難しい本を読むといい」と少年向けの公演で言っていた。

一人称の、おぼつかない口ぶりで、主人公の境遇が、だんだん明らかになってくる。
イシグロ氏の特徴的な手法は「信頼できない語り手」と言って、一人称の語り手が語らない、あるいは、知らないことがある、という特徴があるようだ。

この本には秘密がある。
イシグロ氏じしんは、別にミステリーではないし、ネタバレしてもらってかまわない、と書いているようだが、この秘密が明らかになるタイミングが斬新だなと思った。





以下一部ネタバレ





イシグロ氏がノーベル賞を受賞したとき、ツイッターに「英国人であるイシグロ氏の受賞を、日本の誉れであるかのように喜ぶマスコミは間違っている」という意見が踊った。
いぜん筒井康隆が「文学者は必ずしも国家のために作品を書くものではない。ガルシア・マルケスも大江健三郎も作品は反国家的である。むしろ、現代の文学は反国家的であることから生まれるのではあるまいか」という意味のことをたしか書いていて、それにぼくも共鳴していたので、イシグロ氏の受賞を喜ぶマスコミを揶揄するツイートを書いた。

しかし、イシグロ氏の受賞スピーチおよび記者会見での数々の発言は、日本への思いがあふれたものであった。
長崎での母親の核体験、日本という国について想像を巡らすことが虚構を仕事とするもととなったこと、村上春樹の受賞を願っていたはずの日本人が我がことのように受賞を喜んでくれて感動した、などなど。

『わたしを離さないで』を一通り読んで感動した後に、他の人の感想を読みたいと思って、一通り検索してみると、Dan Kogaiさんが書評を書かれていて、作品の筋立てに根本的な疑問を呈されていたので、あらためて本を読み返し、自分なりに考えた。

404 Blog Not Found:書評 - Never Let Me Go

Never Let Me Goというのは、作品の中で掛けられる架空のレコードの題名である。
意味としては「恋人よ、私を離さないでくれ(自分を愛し続けてくれ)」という意味にも取れるが、この作品を読むと「ご主人様、自分を逃さないで下さい(自分が脱走するのを阻止して下さい)」という意味にも取れる。
そして「私を殺さないでくれ(私の命を取らないでくれ)」とも感じる。

文学作品を、すぐに社会批判に結びつけるのも愚かなことだが、ぼくはこの作品に出て来る不幸な子供たちを、どうしようもなく今の日本人に結び付けざるを得なかった。
不幸な状況にいて、それを嘆きながら、しかし逃げはしない、自分の環境を変えたり、物理的に外国に移住したりしない民たち、そして、最終的には支配者は自分のことを良くしてくれる、大勢の集団を良くしてくれはしなくても、自分だけは(なぜか)いい目を見せてくれるのではないか、という、淡い希望を持っている民たちのことを考えたのである。

しかし、それは、よく知らないが、イギリスの下層階級にも言えることらしい。『わたしを離さないで』は、どうしようもなくイギリスの階級社会についての批判とも読める。
イギリスの虐げられた民たちも、逃げない。
どういうわけか、逃げないで、自分たちだけは、なぜか、いい目を見られるのではないか、と思っている。

イシグロ氏は5歳から母の国日本を離れて、イギリスに住んで、根っからのイギリス人に育ったと言われているが、しかし見た目は日本人であり、イギリス社会の中で、有形無形の差別を受けたに違いない。
そしてその文学の中にも、被差別者としての体験が織り込まれている。

イシグロ氏はやはり平和賞を受賞した、日本人を中心とした反核団体ICANのことも褒め称えている。
彼が受賞したことを、日本人として喜び、感謝したい。



【第1141回】【時事】スケート、イ・サンファさんの商売っ気のなさ?

韓国、平昌(ピョンチャン)で行われた冬季オリンピックが閉幕した。
最初は、会場の建設が出来ないんじゃないか、選手村に暖房がなくて選手が寒いんじゃないかとか言われていたが、結果的に日本のテレビ大衆的には大盛り上がりに盛り上がって終わって良かった。

Nao Kodaira 2008-11-09
ぼくはもともとスポーツを自分ではやらず、見るのもそこまで好きではなくて、寒いのにスキーやスケートばっかりテレビでやっていて、アナウンサーが「愛国」的な発言を繰り返すのにはゲンナリしていた。
それでも、ちょっと見ると面白いし、若く美しい選手たち、そして日本の選手が活躍していると、どうしようもなくうれしいし、続けて見ようという気にもなってくる。

今回最高に盛り上がったのは、やっぱりスピードスケート500m、小平奈緒さんの金メダルと、イ・サンファさんの銀メダル、試合後の二人の抱擁と、10年に渡る友情秘話が明かされたことである。
ぼくはこういう感動モノが苦手なはずだが、この話はすごく感動し、チャンネルをはしごしたりして二人の姿を追った。

テレビでは小平さんが最初に韓国語を学び、自分の上を行くサンファ選手に近づこうと努力したそうだ。
オランダ語も中国語もできるそうで、すごい人だ。

小平さんがスランプに陥って、何度も転倒してフェンスに突っ込んだりしている時期に、サンファはともに泣いたり、アドバイスをくれたりしたそうだ。
小平さんの話に、いちいち映像がかぶるのがすごいなと思った。
すべて国際大会だから、映像が残っているのだ。
オリンピックでメダルでも取らなければ、ぼくなどは知るよしもなかったが、何年にも渡って、スタジアムの隅で、友情ははぐくまれていたのである。
お互いに家に招くような仲であるとか、サンファさんが小平さんをタクシーで空港まで送ってくれて、お金も払ってくれたなどという話が、笑いとともに語られる。

それにしても、不思議に思う。
二人は絶対的なライバルである。
どちらかが上に行けば、どちらかが下に行く。
それなのに、友情を育むことが可能なのであろうか。

小平さんはソチ五輪のあと、スピードスケートでは世界トップのオランダに武者修行に行く。
ここでも子供向けの本を読んだりしてオランダ語を独学でしゃべれるようになった小平さんもすごいが、さまざまな特訓を彼女に課してくれたオランダのスケート界もすごいと思う。
強力な選手を外国に育てれば、それだけオリンピックや、国際大会で、強力な敵として立ちはだかってくることは必定である。

ぼくはこういうサンファさんや、オランダのスケート界の態度を見て、いい人たちだなあ、変な言い方だが商売っ気ないなー……と思った。
敵に塩を送る、利敵行為ではないだろうか。

だいぶ話は変わるが、いぜん英会話の本のベストセラーを出している本の著者と知己を得ることがあった。
ある日、「こういう目的の本はありませんか(書いてくれませんか)」というぶしつけな質問をぶつけた。
するとその先生は、「私ではありませんがxx先生という人の本に、xxという本があって、それにぴったりです」と言って、それ以外にも何冊もいろんな先生の本を教えてくれた。
ぼくはびっくりして「先生、商売っ気ないですねー。他の著者の本ばかり宣伝して」というと、「うーん、他の先生の本を宣伝することが、必ずしも『商売っ気がない』ことにはならないんですよ」と言った。
あとは自分で考えて、ということだったようだ。

ぼくは長年放っておいたこの質問への答えが、今ならなんとなく分かるような気がする。
結局、その世界が盛んになれば、回り回ってみんなが助かる、ということではないだろうか。
サンファさんも、オランダのコーチも、「小平さんという選手が成長して、スケート界が興隆すれば、選手のレベルも上がるし、世間の注目も集まる。
そういう視点を持っているから、ライバルであっても惜しみなく教えるのではないだろうか。


【第1140回】【演劇】虚飾集団廻天百眼『殺しの神戯』初日!

さいきんは体の不調も手伝って、酒を呑みに行くことも演劇を観に行くことも減ってしまった。
じつは去年から会社勤めを復活して、いろいろ失敗もあるけど真剣に取り組んでいるので、ブログも書くにまかせなかった。
でも、さすがに月蝕歌劇団と廻天百眼とA・P・B-Tokyoは観に行く。
今日、2018年2月25日(日曜日)は、ザムザ阿佐谷に百眼の劇場本公演『殺しの神戯』を見に行った。



コロシのシンギと読む。
わけが分からない題名である。
いや、『屍のパレード』や『冥婚ゲシュタルト』がわけが分かったわけじゃないけど、『殺しの神戯』は部分部分が分かるだけに、全体としてはわけが分からない。
一通り見て、いやあ~これは「コロシのシンギ」としかいいようがないなあ~と思った。

ザムザ阿佐谷は、東京の中心の近くなのに自然を感じる劇場で、舞台がどこか神社というかお寺の感じがするし、そういうセットが組まれることが多い。
でも、回りに飲み屋街や古いフーゾクのお店があったりして、猥雑な感じもする。
その劇場の周辺の感じが、そのまま舞台に結晶している気がした。

ビックリすることが多い百眼の舞台だから、なるべく情報を入れないようにしていたが、それでもどうしても情報が入ってきてしまう。
今回は『帝都物語』のようなサイキック・バトルの話なのかなあ~と思っていたが、どちらかというとむかし少年チャンピオンに漫画化が載っていた『百億の昼と千億の夜』のような宗教戦争の話だった。
一回でわけがわかる話ではないし、こんな風にエンタメを別のエンタメに似ている、と評するのもバカっぽいのだが、小学生の頃『百億の昼と千億の夜』を見たときに、阿修羅王と鞭を持ったイエスが戦う、聖俗入り混じった話を、わけがわからないながらワクワクして読んだ感じを、数十年ぶりに思い出したことが、ここに書きたかった。

ひとつだけネタバレすると、序盤に若い女優さんが肌を見せる場面があって、あまりにも、陶器のようにきれいだから何らかのお人形かと思っていたら、動き出して、それでも何らかのプラスチックのボディスーツかと思っていたら、生身で心底驚いた。
それが、後半の、百眼お得意の衝撃のシーンにつながっていて、魂を鷲掴みにされるようなショックを受けた。
エロスと、タナトスと、パトスと、エトスが交わるところにある演劇。
これは3月4日の楽日まで何回も見に行くことになるだろう。

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