さいきん疑似科学が多く話題になっている。
パワースポットとか、風水のようなカジュアルなものであれば、正月のお参りとかクリスマスの贈り物のように、好きな人はやればいいで済ませられる。
深刻なのは、いくつかの考えが「科学(のようなもの)」として権威付けされており、教育の現場で大真面目に推進されていることだ。
有名なのが「水からの伝言」である。
水を「ありがとう」というきれいな言葉を掛けながら凍らせると美しい結晶になり、「ばかやろう」というきれいな言葉を掛けながら凍らせると汚い結晶になるという。
提唱した人は写真集を出している。
これだけなら、アハハ新手のトンデモだなーで済むのだが、問題なのは多くの学校の教師がこれを真に受けて、道徳の時間の副教材に使っていることだ。
人間の言葉が、物質の形に影響を与える。
これだけであれば理科(物理学)のカテゴリーであるが、「道徳」の時間に副教材として使われているというところに妙味がある。
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パワースポットとか、風水のようなカジュアルなものであれば、正月のお参りとかクリスマスの贈り物のように、好きな人はやればいいで済ませられる。
深刻なのは、いくつかの考えが「科学(のようなもの)」として権威付けされており、教育の現場で大真面目に推進されていることだ。
有名なのが「水からの伝言」である。
水を「ありがとう」というきれいな言葉を掛けながら凍らせると美しい結晶になり、「ばかやろう」というきれいな言葉を掛けながら凍らせると汚い結晶になるという。
提唱した人は写真集を出している。
これだけなら、アハハ新手のトンデモだなーで済むのだが、問題なのは多くの学校の教師がこれを真に受けて、道徳の時間の副教材に使っていることだ。
人間の言葉が、物質の形に影響を与える。
これだけであれば理科(物理学)のカテゴリーであるが、「道徳」の時間に副教材として使われているというところに妙味がある。
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